ひざっこぞうのがんばるブログ

スキルス胃ガンになっちゃったバツイチ母の闘病メインだけど他にもいろいろ書いちゃう日記

私物整理

2006-11-30 | 闘病生活
勤務先の会社へ出かけていって、私物の整理&お世話になった方々へご挨拶メールの送信を
させてもらいました。

社長は、私の顔を見るなり「栗蒸し羊羹は好きか?」
とっても高級なのを買っておいてくれたそうで。
社長が出張のたびにご当地の名産品を買ってきてくれるのが
私は楽しみだったんですよね。
社長もまた、私が喜ぶのを知ってて買ってきてくれるのがわかってたから
これで最後かと思うと、なんか寂しかったです。

監査役は、ふと外出したかと思うと、これまた高級なケーキを買ってきてくれました。
でも賞味期限が今日なんですよねぇ。
その時点ですでに夜の7時。
まだまだ作業が残っていて、それから帰ると何時になるかなぁ。
食べる時間あるかなぁ。
そしたら監査役はおっしゃいました。
「大丈夫、保冷剤3時間分 入ってるから」
・・・問題点が違うと思う。

社長が手を差し出して「俺は気が強いから」と。
そんなことわかってるよ、と内心思っていたら
「“気”のパワーが強い」ということだったようで。
ガンには“気”の力が必要だとおっしゃりたかったようです。
しっかり握手をして、ありがたく“気”を頂戴してきました。

爪もみ療法

2006-11-29 | 闘病生活
免疫力を高めるのに「爪もみ」がいいとか。
前からなんとなくやってはいたけど
本屋でちゃんと(?)立ち読みして、どこをどのくらいもんだらいいのか
学んで来ました。
効果あるかな。

体重が前日より2.5kgも 増えていた 。なぜ?
いつやせ細っていくのかと不安な日々だったはずなのに。。。

ビフィズス菌

2006-11-28 | 闘病生活
アガリクスに続いて、ビフィズス菌も飲み始めました。
これは純粋に健康のため。
入院中、せっかく2回も腸の中をからっぽにしたんだから
毒素がたまらないうちに善玉菌をたっぷり送り込んでおこうかと。

しかしアガリクスと反対で、錠剤を買ったのは失敗。
糖衣じゃないし、丸くかたどったエッヂの部分がノドにひっかかって飲みにくいんです。
今度は顆粒にしよう。

親戚一同来宅

2006-11-27 | 闘病生活
横浜から母の姉と弟が、仙台から母の妹が、揃ってわざわざお見舞いに来てくれました。
私はあまり病人らしくないので申し訳なかったです。
やはりお見舞いというのは、病人が寝込んでないとサマになりませんな。

80歳を越えている母の姉のことを
我が娘ッ子は「おばあちゃん(つまり私の母@70代)より年下だと思った」だって。
60代の母の妹にいたっては「50代だと思った」

若いと言われたおばさんたちは喜んでいたけど(確かに若いんだ、ふたりとも)
いちばん身近にいるおばあちゃんのこともほめてあげようね。

アガリクス

2006-11-25 | 闘病生活
キノコ全般が苦手な私ですが健康のため、いや生命維持のため
がんばってアガリクスの顆粒を飲み始めることにしました。

まず~い。

錠剤のを探せばよかった。

家事全般

2006-11-24 | 闘病生活
掃除機ってけっこう重たいものだったんですねぇ。
物干し竿って、こんなに高い位置にあったんだ。
お布団もこんなに大きいものだったっけ?

張り切って家事全部こなそうとした結果、疲れ果てました。
無理はするもんじゃない。

午後は部屋にこもって、保険会社に片っ端からTEL。
さっさと給付金を手に入れなきゃね。

保険契約をよ~く読み直してみたら
ある保険会社の退院給付金は「20日以上の入院に付き」だって。
ケチ。

退院して思ったこと

2006-11-23 | 闘病生活
たまに耳にするフレーズに「○○を経験すると世界が変わる」ってあるけど
こういうことなのかなって思いました。

私にとっては、入院前と退院後、確かに全てが違いました。

ささいなことですが、たとえば洋服や靴なんかを見にいって
今までと同じに通勤重視で選んでから、あぁもうこんな服は必要ないんだった、と
ふと気づいたとき。
その売り場はもう私のいる場所じゃないわけで
いままで慣れ親しんだお店が、よそよそしく感じられて寂しくなる。

退院後、初めて買い物にでかけて帰ってきた瞬間、思ったんですよね。
私は別の人間になっちゃったんだなって。
もう、今までみたいにただなんとなく、どうにかなるさって生きてるわけには
いかなくなっちゃった。
しかも2度と元には戻れない。
いやおうなく、私は今までと違う生き方をしなきゃいけないわけで。

そうか、世界が変わったんじゃなかったんだな。
私が変わっただけなんだ。

なんか無性に悔しい。

退院の日その2

2006-11-22 | 闘病生活
お昼過ぎにようやく退院。
けっこう元気に歩けるつもりだったのに
荷物を持ってみたら、かなりしんどい。
病院から駅まで徒歩10分の道のりを、迷わずタクシーに乗りました。

なんかうまいもん食いたい、ということで、駅前の喫茶店へ。
久しぶりのパスタ。
昔ながらのミートソースだったけど、とってもおいしかった。
まだあんまりたくさん食べられないのが残念。

家に着いて、早々にダウン。
やっぱり手術の後は体力落ちてるのね。
病院にいるときは気づかなかったけど。

布団敷いて寝てたら娘ッ子が帰宅。
学校の制服のまま黙って布団にもぐりこんできて、一緒に昼寝。
お腹を蹴られそうで不安だったけど、久々のぬくもりがうれしかったので
そのままぬくぬくしていました。
私も娘も、泣かなかったなぁ。

この日の夕飯は、両親宅で世話になりました。
退院当日くらい、甘えたっていいでしょう。。。

退院の日

2006-11-22 | 闘病生活
朝、A医師がやってきました。
できるだけ早く抗がん剤始めようね、という話から始まって
最初の抗がん剤のときには また入院してもらうから って。

聞いてないよ~。そんなこと。

副作用の様子を見るために最初の1週間くらいは入院するんだって。
F医師も I 医師もそんなこと言ってなかったじゃん。
なんかこの病院って、医師がそれぞれ勝手なこと言ってる気がするなぁ。

会計からお呼びがかかるまで病室で待機。
呼ばれたのは12時。お昼だよ、もう。
お昼ご飯食べて帰りますか?って言われたけど
外に出てもうちょっとおいしいもの食べたいから、お断りしました。

退院準備

2006-11-21 | 闘病生活
I 医師が看護士を連れて突然ドドドッとやってきて、いきなり胃ろうチューブの切断。

胃ろうチューブとはなにかと申しますと・・・
今後、抗がん剤の副作用なんかで食事が取れなくなった場合に備え
胃に直接栄養を流し込めるように、お腹に穴を開けてチューブを差し込んであるのです。
これがないと鼻から管を通すことになるんだそうで
それよりは負担が少ないからと、手術の際に前もって入れておいてくれました。
もちろん使わない可能性だってあるわけですが。

今まではそれが長めになっていたんですが
退院後の生活に備えて、肌ギリギリまで短く切ってくれたってわけ。
ちょうど、浮き輪やビーチボールの空気を入れるところみたいな感じ。
それがお腹に付いてるって、かなり不気味ですよ。
決して自分で触ろうとは思いません。

で、それが終わるとまたいきなり(なんでもいきなり始める先生だな)
ペンチのようなものを取り出して、傷口の抜糸、いや、抜針?
傷口は糸じゃなく、ホッチキスのような針でふさいであったんですね。
それを突然引っこ抜き始めたもんだから、私は大騒ぎしちゃいました。
痛いって。心の準備ってもんがあるでしょうに。

そしてまたいきなり言いました。「いつでも退院していいよ、いつがいい?」
あらビックリ。
そんなにあっさり退院させちゃっていいの?
つい昨日まで点滴してたんだよ?

まぁいいや。私だって早く帰りたいし。

「んじゃ明日」ってわけで、いきなり退院準備が始まった次第です。

まだ入院が続くと思って洗濯物を抱えて来ていた母の方が大慌てでしたね。
持ってきたもの全部持って帰らなきゃいけないんだもん。