ひざっこぞうのがんばるブログ

スキルス胃ガンになっちゃったバツイチ母の闘病メインだけど他にもいろいろ書いちゃう日記

抗がん剤について

2006-11-20 | 闘病生活
お昼前、I 医師が来ていきなり「抗がん剤なに使うか、家族と話して決めた?」

手術後の説明の際 F医師からは
「来週あたりもう1回時間を作ってどんな抗がん剤を使うか決めましょう」と
言われておりました。
だから家族となんかまだ話しあっていません。
どんな抗がん剤があるのかも詳しく聞いてないんだし。話しようがないじゃん。

しかも、他の患者さんもいる病室で大声で話すか?そんなこと。

結局その場で抗がん剤について説明を受け、副作用なんかも教えてもらって、
家に帰ってちょっと調べてから退院後の診察までに決めますと伝えました。

その際「なにか資料はないのか?いつもこうやって口頭でしか伝えないのか?
できれば今言ったことを紙に書いてほしいんだけど」と
生意気なことを言ってしまったせいでしょうか、
I 医師はかなり御機嫌斜めで退場なさいました。


この日の夜、勤務先の上司に電話をして全てを話し、このまま退職させてほしいと
お願いいたしました。
さらに友人にもメール。

話してしまって私はすっきりしたけれど、
聞かされた人はたまらなかったでしょうねぇ。ごめんなさい。

日曜日の出来事

2006-11-19 | 闘病生活
初めて娘がお見舞いに来てくれました。
寂しい思いをしているであろう娘のことを、私の兄が気遣ってあちこち連れ出してくれたらしく
その帰りに寄ってくれたんです。
うれしかったです。ほんとに。
早く帰ってうんと甘やかしてやりたい (ただし2.3日だけ) と思いました。

ところでこの日は日曜日。
私に点滴をしてくれた看護士さんはなぜか6時までに終わらせようと慌てていて、
しょっちゅう見に来ては点滴のスピードを上げて行くんです。
実は、点滴の針を刺すのに 3回も 失敗してくださいまして、私の腕は赤アザだらけ。
今刺さっている針も、ほとんど無理矢理「大丈夫」と言わされたようなもんで
ただでさえかなり痛いのに、そこへさらにスピード上げられたらほんと痛いんですよ。

看護士さんが立ち去った後そっとスピードを落とし、
また看護士さんが来て上げていく、の繰り返しで、
結局6時前、まだ終わっていないのにはずされてしまいました。
日曜日の夜間は点滴をできない理由でもあるんでしょうか?

ある日の病院食

2006-11-19 | 闘病生活
ようやく痛み止めなしでも寝られるようになり、
食事もだいぶすすむようになりました。
そうなると病院食のマズさとおかずの少なさに閉口です。
おかゆはキライ、と言ったら、あっさりご飯に替えてくれたので
ふりかけを買ってきて、せっせとご飯を食べていました。

その甲斐あってか、初お通じ。めでたい。


お見舞い

2006-11-18 | 闘病生活
親戚のおばさんがはるばる横浜からお見舞いに来てくれました。

実は入院前に、母に言ったんですよ。
うちは家族が重い病気にかかったりしても、いつも親戚に隠しておくけど
本人にしてみればこんな寂しいことはない。
ひょっとしたら私が死んでも誰にも知らせないつもりじゃないでしょうね、って。

うちの両親は、親戚との付き合いが希薄なんですよね。
私はほとんど会わせてもらえないし、誰かが入院とか手術とかしても(めったにないけど)
「迷惑かけるから」って知らせないし。
母自身は、自分が死んでも誰にも知らせないでほしいんだって。
お葬式に来てもらうのは、母にしてみれば「迷惑をかける」ことなんだそうです。

私はそんなんじゃいやだ、死んだり病気になったりしたらもっと大騒ぎしてほしいって
入院当日の待ち時間に話してたんです。
だから呼んだんでしょうね。

今回、病気が病気だけに、友達のお見舞いは断った私ですが
やっぱり誰かが自分のために来てくれるって、うれしいです。

おばが持ってきてくれたお花。私の大好きなスイートピーでした。
奥にちらっと写っているのは、自称カメラマンの父が持ってきたフクロウの写真です。

点滴打ち直し

2006-11-18 | 闘病生活
点滴の針を刺したところが痛み出したので、刺しなおしてもらいました。
が、血管をうまく探し出せない様子。
皮膚に刺しては、血管を探してグリグリグリグリ。
何度か刺したり抜いたりしてるうちに気持ち悪くなってきちゃったので
いったんやめてもらいました。

手術後初めてシャワーを許可されて喜んだのもつかの間、
からだが固まっててうまく洗えない。シャンプーするのなんて、ほとんど拷問。
誰もいないのをいいことに、いろんな角度でシャワーに頭を突っ込んでいました。

脊髄の麻酔とられた

2006-11-17 | 闘病生活
A医師とI 医師が二人でドドドッとやってきて「さぁ背中の麻酔、取りますよ」って。
いやだいやだと言ったって、聞いちゃくれない。
有無を言わさず、はずされてしまいました。

二度も麻酔切れを指摘された A 医師の腹いせ じゃないかと思いましたね。
その後、鈍痛がずっと続きました。
ただ、背中の麻酔は尿管の筋肉にも作用するらしく尿の出を悪くしているとかで、
確かにその後、トイレは楽になりました。

夜だけは楽に過ごしたいと思い、
看護士さんに夜9時に痛み止めの点滴を入れてくれるよう頼んであったのですが、
来たのは10時過ぎでした。

昼間、赤い縁のメガネをかけたB看護士さんが来て
「Mさんのことだから、病気のこと聞いても無理に笑ってるんじゃないかと思って」と
優しく私の本音を聞き出して、思う存分泣かせてくれました。
こういう人のことを白衣の天使って言うんでしょうね。

手術の結果

2006-11-16 | 闘病生活
手術後初めて起き上がり、なんとか歩けるようになったところで
F医師から手術の結果報告がありました。

なんとなく予感はありました。
胃を全部取ってしまっていたら、痛みや不快感はこんなものじゃないはず。
父や母に聞いても言葉を濁すし、なにかが絶対におかしい。
そんなふうに思っていました。

でも、やっぱり事実として聞かされると衝撃的ですね。
すでに腹膜に転移しているので(腹膜播種というんだそうです)胃だけを取っても意味がない。
抗がん剤治療をするしかないので、体力温存を第一に考え、
結局胃は切除しないでそのままになっていると。

抗がん剤治療。
つまりこれから長い長い間、私は普通の生活には戻れないということ。
胃が無くなるよりもつらいことのように思えました。

シリアスな話の後でなんですが、鼻がかめなくて困りましたねぇ。
私、泣いた後はかならず鼻水が出るんですが。
お腹に力が入らないから、フンッてできないんですよ。
家族が帰ったあと、一人で情けない思いをしておりました。

またまた痛みとの戦い

2006-11-16 | 闘病生活
朝の回診時、昨日麻酔薬を入れ忘れたA医師がやってきました。
ちょうどまた痛みが出始めたところだったので
「また麻酔薬切れてませんか?」と聞いたら、やっぱり切れてた。

「すぐ持ってくるからちょっと待ってて」と言われて待たされること1時間半。
痛みは待ってくれないのに。

この病院は、患者の苦痛に鈍感すぎるよ。

手術後、初めてくしゃみがでたんです。最悪ですわ。

また痛みとの戦い

2006-11-15 | 闘病生活
今日は午後から少し起き上がってみましょう、と言われておりました。

ところがお昼頃、また痛くなってきたので点滴してもらったのだけど効かない。
看護士さんにしつこく訴えると、A医師がやってきました。
痛いからやめてと言ってるのに、何度もお腹を押しては「どこが痛い?」「どんなふうに痛い?」

そして、私の枕元を見て小さく「あっ・・・」
背中から脊髄に直接入れている麻酔が切れていたらしいです。
あわてて麻酔薬を取りに行く医師。
なんで朝の回診のときにちゃんと確認してくんないのよ。

痛みが取れるまで時間がかかり、結局この日、起き上がることはできませんでした。

お花

2006-11-14 | 闘病生活
会社からお花が届いてました。
日頃「お花はめんどくさいからいらない」と言っていた私ですが
こういうときもらうのは、うん、うれしい。