「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

12人の怒れる男

2008-08-27 | 映画
映画「十二人の怒れる男」といえばヘンリー・フォンダ主演の米国の傑作映画ですが、そのロシア版リメークが上映中です。裁判員制度がいよいよ来年という時期だけに、新聞で話題になっています。というわけで観に行ったのですが、正直、あまり良いできばえではありません。

==以下goo映画から==
ロシアでチェチェンの少年がロシア軍将校だった養父を殺害するという事件が起きた。少年は第一級殺人の罪に問われ、検察は最高刑を求刑。有罪となれば一生刑務所に拘束される運命だ。審議が終了し、市民から選ばれた12人の陪審員は、改装中の陪審員室の代わりに学校の体育館に通された。携帯電話も没収され、全員一致の評決が出るまで幽閉されることに。12人の長い長い審議が始まった。



米国のは、まさに市民社会、民主主義というのを感じさせるし、謎解きのワクワク感もあって見終わると爽快感、人間の理性を信じたくなるのですが、ロシアのはぜんぜん爽快感がありません。まあ、ロシア的といえばロシア的なのでしょうが、ぞれぞれの人物の体験談ばかりが先にたって理性的な話し合いもほとんどありません。なんでこの人たちは次々と意見を変えていくのか、見ている私にはまったく理解ができない。情念、感情だけが先行して、論理は置き去り。

陪審員の身分も早々に語られる。それはナシだろ、と思うのですけど。ストーリーの中心にチェチェン紛争がからみ、陰惨な画面、やたらにうるさいばかりでまとまりのない場面が延々と続きます。で、極めつけは最後の結論。ネタばれになるのであえて書きませんが、法ではなくマフィア的なものに支配されているロシア社会という現実を背景にしたのでしょう。でも、私は日本という法治国家で生きている人間ですから、「まったく何を言っているのやら」というのが素直な感想でした。あきれてしまいます。さらに意味不明度が増したのは、その最後の場面で、12人のまとめ役をやっていた人物が目に涙をためる場面です。なんで涙? 唐突過ぎて、何がなにやらさっぱり。ほかにも作中で意味不明な場面がいくつもあって、「???」が頭の中を行きかいます。

日本版リメークともいえる三谷幸喜さんの「12人の優しい日本人」という作品も観たことがあります。これは、とても日本人的な議論の進め方、意見のふらつきや叙情的な態度などを笑いにまぶしていますが、きちんと押さえるべき論理性は押さえていました。本家・米国版とはやや違う爽快感も感じることができます。

ロシア版はいったいなにを伝えようとしたのでしょう? ロシア的なるもの? 延々と2時間半以上もこんな映画を見てしまい後悔しきりです。強いて言えば、裁判員になったらやはり人を裁くことの重さは相当なものだろうな、ということを少し考えさせられた程度でしょうか。はっきり言って、劇場で見る価値は見出せませんでした。