2010年5月29日(土)、毎年、砧のNHK技研で行われている研究成果発表会 兼 ビジョン発表会でもある「NHK技研公開」に行ってきた。
NHK技研の展示によると、NHK全体では、今から 10年後の2020年に、スーパーハイビジョン (SHV)の実用化を目指しているという。今から 10年後と言うと、とても遠い未来のように感じる。今のように技術の革新速度が速い今、10年後と言うと、一体どういう悠長な話をしているのだ、という風に感じてしまうのだが、NHKは大真面目だ。
■ ハイビジョンの普及には 40年間
今急速に普及が進んでいるハイビジョンテレビの時は、家庭に普及するまで 40年かかったという。NHK技研の年表によれば、ハイビジョンの研究を開始したのは 1964年のこと。東京オリンピックかよ、みたいな年の話である。もはや歴史の一コマであるような昔話だ。しかし、実際に一家に一台ハイビジョンテレビが入ってきて、番組制作の大半がハイビジョンになったのは、2006-2008年のこと。そういわれると、確かに 40年かかったのだなあという気がする。もちろん、途中には衛星を使ったテレビ放送技術、デジタル化、ブラウン管からプラズマや、液晶ディスプレイと言った技術の進化もあった。そんな様々な技術の進化も待ちながら、1964年という昔からハイビジョンというコンセプトを一貫して掲げ、年間総額 7,000億円超の巨額の受信料の一部をつぎ込みながら邁進してきたのが、NHK なのだ。
■ スーパーハイビジョンは 25年間で試験放送へ
そんな NHKが推進するスーパーハイビジョンは 1995年から研究を開始している。すでに現時点で 15年が経過。これから 10年後の 2020年に試験放送を開始しようというのだから、開始から 25年で衛星による試験放送を行う、というのが「スーパーハイビジョン」という大プロジェクトだ。そして、+5年後などには地上波でのテレビ受信がスーパーハイビジョンに切り替わっていく(正確には知らない)。今のアナログ放送が終わるのと同じように、地上デジタル放送が終了し、地上スーパーハイビジョン放送が始まるのだ。
■ スーパーハイビジョンは人間の知覚の限界
多くの人にとって今のハイビジョン (1920 x 1080i) だって、普通に楽しむには十分だ。十分リアルに感じられる。頭で考えたり、自分の経験を駆使して、想像してみても、今のハイビジョン以上の品質が必要だとは思わない。しかし、実際に 8K x 4K のスーパーハイビジョン映像を見てみると、そのリアルさはまるで今のハイビジョンテレビと、ワンセグの差ほどある。だから、ここでいくら言葉を尽くして解説してもあまり意味はないと思うのだが、少しは興味を持ってくれる人もいるかもしれないので、自分なりの説明をお知らせしておこう。
従来のハイビジョン映像がカメラで撮った写真だとすると、スーパーハイビジョンは虫眼鏡や顕微鏡の域に達する。(顕微鏡と言ってもせいぜい光学10倍レベルの話だが)。再現できる色範囲も従来の色を遙かに越えて Adobe RGB の全領域を再現できるという。実際に、映像を見ると、グラビア印刷よりも綺麗と感じるほど。例えば金の時計に光をあてながら、映像を撮影すると、それが金であることもわかるし、輝いている様もわかるが、ディスプレイを通して見ている限り、決してそこに本物があるようには見えない。やはり映像であることはわかってしまう。一つには一つにはピクセルサイズの問題。24型ではみえないピクセルも、37型、40型、50型と大きくなるに連れて、それがくっきり見えるようになる。もう一つは色再現能力の問題。やはり映像側はリアルな視覚に対して、少し色あせて見える。
このスーパーハイビジョンカメラで撮影した映像は、100型の画面に表示しても、いわゆる表示のピクセルを感じることはすでになく、仮に金の時計であれば、その時計にあてた光からは艶さえ感じてしまう。本当にそこにあるかのように見えるのだ。物体の表面がザラザラしているのか、艶があるのか、それともねっとりした感じなのか、またはガラス越しの映像なのか、肉眼で見ているのかの違いがわかるというか、そういう空気を感じることができるほどのリアルさがあった。
ゼロからの発明だったアナログ 4:3 テレビに対して、16:9 のハイビジョンテレビは、3m 離れた位置から、もっとも映像をリアルに感じられる縦横比を元に決められたという。人間の視覚領域を表示領域で覆うことにより、没入感が得られるようにしたのが、初期のハイビジョンの要求仕様の優れたところだ。一方、純粋な情報量はアナログテレビの 6倍ほど。これは当時のアナログテレビの縦解像度 2倍から決められた数字のようで、本質的な意味はない。
では、今度の 8K x 4K は何なのか、というと、それは人間の知覚の限界なのだという。自宅の壁一面がディスプレイになったとして、そこに、8K x 4K 以上の表示を行っても、人間の目ではすでに何も違いを感じられないのだという。最初のテレビだって、見た人は十分驚いたはずだが、3世代経って、でも、100年経たずして、ついに映像は人間の知覚を超えるのだという。すごい。
■ スーパーハイビジョン撮影カメラ
今日の展示を見る限り、技術としてのスーパーハイビジョンはかなりの部分ができあがっているようにも見えた。例えば撮影に使うカメラが展示されていた。従来は複数台のカメラを使って撮影し、合成することで 4K x 2K を実現していた時代もあったが、今は 70kg の 1台のカメラで 8K x 4K の撮影が可能だという。そして、撮影した映像をそのまま伝送して、4K x 2K のディスプレイパネル 4枚に映し出すデモも行われていた。
■ 10年後のディスプレイパネル
スーパーハイビジョンの表示部分にしても、今回試作機が展示されていた。8K x 4K の 1/4となる 4K x 2K 相当の表示を Panasonic が 58型のプラズマディスプレイ上で実現。(もちろん市販品ではなく、4K x 2K の表示ができるプラズマディスプレイパネルを試作している。) 一つの画素ピッチは 0.33mm だという。これは、8K x 4K を約100型のテレビで実現にしたときに、必要になるのが 0.33mm の画素ピッチだから。つまり、人間が近くできる限界の素子サイズというやつだ。これ以上の微細化は可能だろうが、肉眼では見えないので、ビジネス的に意味がないのだという。
つまり、今回お目見えした 4K x 2K の 58型プラズマテレビは、将来作られる 100型超のテレビのちょうど 1/4部分を開発できました、という展示なのだ。10年後のテレビの 1/4模型が今すでにリアルなものとして動いている。これが、NHK、Panasonic の力の一端だ。
ちなみに約100型超のテレビというのは、自宅に導入することができるほぼ限界の大きさなのだという。
■ 撮影できて表示できても『テレビ』にはならない
ここまでに紹介した二つの技術。撮影できて、表示できる。
これでスーパーハイビジョンを構成する基本技術はすべてか、というとそうではない。
例えば、伝送技術。先に紹介した 8K x 4K カメラでは、60P での撮影が可能だ。その非圧縮映像の伝送帯域は 72Gbps。えーと自宅で使えるBフレッツなどのサービスが、100Mbps とか 200Mbps のベストエフォート。通常のパソコンで使えるLAN端子が普通は 1Gbps対応。通信キャリアが使っている高帯域の伝送路が 40Gbps という今の時代に、72Gbps って何だっけ? と言うほどの速度で、90Gbps の伝送能力がある光ファイバーを使って編集機器に入力される。DWDMという技術で、光ファイバーの中に何本も光を波長多重で重ねることで実現している速度だ。
当然だが、この映像を加工するためには、90Gbps という通信速度でやってくる映像を処理できる映像編集システムが必要だ。編集した素材は、それを記録しておく媒体も必要となる。安く、20年-50年と記録メディアとしての性質を保ち続けることができる媒体が必要だ。さらに、それを伝送するための装置も必要になる。こうした素材伝送可能な速度としては、210Mbps まで圧縮して伝送するのだという。
そこまで圧縮しても、まだ地上デジタル放送相当の普及技術にはならない。最終的に 60Mbps まで圧縮する必要がある。そして、今の地上デジタル放送と同じ 6MHz という帯域で 60Mbps 流すためには、今 64QAM で行っている変調の多値化を 1024QAM まで広げる必要があるという。このように変調方式の精度を上げることで、情報単位を 6bit から 10bit に拡張し、縦偏波と横偏波を組み合わせることで 2倍に。そうすると、20Mbps ある地上デジタル放送の伝送を 10 ÷ 6 x 2 = で、約3.3倍に拡張して利用することができて、そこでは 約60Mbps の映像伝送帯域が確保できるという。72Gbps で撮影した映像は最終的に 60Mbps に圧縮されて、各家庭に届けられることになる。
もちろん、1024QAM を使った技術も展示中。しかし、1024QAM で伝送できるのは、NHK技研敷地内の直線約100mほどの距離で、まだ雨にも弱いという。実際には、東京スカイツリーから 100km 程度、様々な電波干渉が発生する状態の中で、いつでも美しい映像が楽しめなくてはならない。距離だけ見ても後 1,000倍の進歩が必要。
電波干渉も、実際の電波が発射されたあと、フィールドで検証することで解決していく必要がある。その意味では地上デジタル放送の放送開始後、この 5-7年間で、やはり進歩があった模様だ。(よく聞いていない) 中継装置の改善や設置も必要だ。また、テレビ機器に搭載するノイズフィルターやゴーストフィルターの開発も必要だ。
スーパーハイビジョンで撮影して、中継して、表示するテレビが一般に普及してこそ、初めてテレビのインフラが整うことになる。10万円~20万円という価格で 100型テレビを製造できるようになって、3-5年という短期間で 1,000万世帯規模でこのテレビの普及が進むという革命が起こせるようになって、初めて民放局も番組制作に乗り出すことができる。そして、『テレビ』として成立することができるのだ。
基本となる撮影と表示、だけでは成立せず、多くの企業、そこで働く人の努力がまだまだ必要な世界。だからこそ、NHK技研公開などの場で、その価値を展示する必要があるのだという。その他でも名古屋万博でスーパーハイビジョンを展示したように、ビジョンを積極的に公開していって、はじめて、テレビという世界が 10年かけて一つ進むのだという。その意味では、スーパーハイビジョンの試験放送まで後10年というのは長いようで、短い目標なのだという。
折しもハイビジョンの時と違い、日本国内だけをみるとテレビ業界規模は徐々に縮小を続けているし、ひかりTV、J:COM などの有料多チャンネルサービスは、まだ映像業界を支えるほど成長できてはいない。(その他のアクトビラや、TSUTAYA TVなどは自身のビジネスも支えられていない) こうした中でのスーパーハイビジョン普及というのは、ハイビジョンの時とはまた違った難しさがあり、それだけに NHKやテレビメーカーが一丸となっても中々難しいのだ。
■ 音も重要 22.2ch サラウンド
ここまで、映像の絵の部分にフォーカスをあてて紹介してきたが、映像としての臨場感には「音」が大きく影響する。音なしの映像はいくらみても、臨場感も迫力も感じない。映画館の上映は、自宅のハイビジョンと大差がない映像品質なのに、迫力が全然違う。一つには目の前を覆い尽くすスクリーンサイズもあるが、実は劇場全体でサラウンド効果をバリバリ出している音の影響も大きいのだ。
この観点から、私が初めて NHK技研公開に行った 2004年(6年前だ)には、22.2ch スピーカーシステムを使った臨場感のある音が聞ける展示が行われていた。22.2ch というのは、従来の 5.1ch のような自分の前後左右にスピーカーがあるだけでなく、上下、にもスピーカーがおかれるというのが大きな違いだ。人間の耳は左右にしか付いていないのだが、ちゃんと上下のスピーカーから来る音の場所や、その音の距離なども聞き取ることができる。この人間の知覚できる音の最高スペックが 22.2ch ということだ。
実際に「スーパーハイビジョンを使ったパブリックビューイングの可能性」という展示では、すでにワールドカップの中継や、コンサートの中継などが行われているが、それのスーパーハイビジョン版。映像のリアリティはぐんとあがる。それにも増して自分の周囲で、様々な音が鳴る。今のステレオスピーカーでは、雑踏の中や、電車の騒音の中などで収録された音はなかなか聞き取ることができない。しかし、この 22.2ch システムでは、ホール全体で音が鳴り響いている他に、小さなノイズや音も聞き取れる。どうやら、人間の耳の特性なのか、体全体で会場の雰囲気としての音を感じ、耳では相対的に小さな音を聞き分けようとしている自分に気がつく。人間の目でスーパーハイビジョン映像をみると、その空気やにおい、質感が感じられるという風に紹介したが、音は全身で感じ、かつ聞き分けられるのが 22.2ch のスーパーハイビジョンの音声トラックなのだ。
■ 22.2ch の音を自宅・自室にパッケージング
先に書いたとおり、22.2ch の音声デモは 6年前から同じようなデモが実演されている。もちろん、使っている音声ソースは、毎年収録し直しているし、収録に使う機材も進化しているので、徐々にクリアに、デモとしての完成度も上がっているが、新しい展示はこのコンセプトではない。
今回は、この 22.2ch で収録して伝送した音声を、自宅の中でどんな風に再生するかという技術も展示されていた。展示されていたのは、2種類あり、一つは 3.1ch スピーカー、もう一つは、8.1ch という構成だ。3.1ch は自室をイメージ、8.1ch はリビングをイメージしているらしい。
実際に、3.1ch の場合、展示の時に指示された赤線のスイートスポットに立ってみると、それなりに迫力のある音を聞くことができる。しかし、スーパーハイビジョンだから聞ける音とは中々思えない。
もう一つの 8.1ch は 3.1ch に比べると上下位置にもスピーカーが配置されるのが特長だ。これによって、臨場感がグット増す。包み込まれるような音響は、まるでホールにいるかのような効果を感じることができる。この臨場感が自宅に必要かどうかはおいておいて、技術としては大変素晴らしい。
■ スーパーハイビジョンで番組、映像体験は楽しくなるか?
スーパーハイビジョン関連では、様々な映像が登場したが、印象的だったのは、今回の展示で使われた 2つの映像シーンだ。
一つは、見下ろすカメラに向かって、子供たちが近寄ってきて、カメラをみながらしゃべるという内容。実際の公園で、目の前に子供たちがいるかのようなリアリティを感じることができた。現在のテレビ番組のズームやカットを利用した映像では、いかにもテレビっぽさを感じるが、スーパーハイビジョンカメラを固定して、そこに次から次に人が入ってくると、まるで立っている自分の前に、次々人が飛び込んでくるような映像効果を感じることができる。通常のアナログテレビだと陳腐かもしれないが、スーパーハイビジョンなら、それがリアルで新鮮に感じられるという例だ。
もう一つ、「これはこれまでにない体験だ」と感じたのが、フィギュアスケートの中継映像。昨年の長野で開催されたフィギュアスケート NHK杯の映像だった。単にリアルなだけでなく、会場でもホール全体で鳴り響いていたであろうスケートの伴奏音楽が、映像をみる自分たちの周りでも鳴り響いている。そして、ズームしたカメラは、実物大の中野選手を映し出した。手前には肉眼で見ていると見まがう、氷のリアルなスケートリンクが映し出されていた。まるで、観客席から見るのではなく、スケートリンクの中に座って、ダイナミックなフィギュアスケートの演技を楽しんでいるかのような感覚を感じたのだ。
この新鮮な感動に感謝。
■ まとめ
これまでに15年、これから10年かかるというスーパーハイビジョン。わずか 5日間程度の話であるが、東京世田谷区砧のNHK技研に行くと、その10年後に当たり前になるかもしれない映像を、今目にすることができる。この技術を使ったら何が起こるのか、どんな変化が世の中にあるのか、そして、自分にエンジニアとして求められている挑戦は何か、そうしたことをぶわーっと、巨大なうねりのようなインパクトを持った展示で見せてくれる。それが、NHK技研公開だ、と感じた。
この原稿は、会場を出て用賀駅の側のパン屋のイートインコーナー(単にガラガラで空いていた)で、
ポメラに向かって打ち込んだものだ。なんか、感動は書き留めておかないと、一晩ネタだけでも、誰かと話をしただけでも風化しそうだったので、とにかく1時間半、打ち込みまくった。わかりにくいところ、伝わらないところも多いと思うが、だからこそ、興味のある方は、NHK技研公開に行って、同じモノをみて感じて語って欲しい。ちなみに来年も同じ頃にやっていると思うので、ぜひ、自分の Windows Phone の「予定表」や、Google カレンダー、職場のグループウェアなどに登録しちゃっておいてもらいたい。必ず土日が挟まれているので、比較的行きやすいイベントである点もありがたい。
ということで、楽しかったぞ-。
p.s.
あ、ちなみにこれがちょうどポメラの文字数限界 8,000字になります。(^^; 7,665文字っす。