瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

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明かりを灯す

2016-09-30 08:47:11 | 随想
理屈として正しい。それが絶対である。
と思っている人が多いだろうが、それは間違いである。いかなる場面においても理屈としての正しさが絶対であるわけではない。理屈として正しくともその正しさが求められていない時もある。

わかりやすい例をあげれば趣味である。
趣味とは得てして理屈に合わないことを平気でするものである。他人から見れば馬鹿馬鹿しいことをやらかすのが趣味とも言える。
他人の趣味について理路整然とその不合理について述べたててみても仕方がない。正論は野暮というものである。

趣味に関してだけでなく、正論は時として話の腰を折る。間違いを正すことは常に必要なのではない。間違っていたところで支障がないような話ならスルーでいい。正論はウザいだけという場面は多々ある。

どんな時でも絶対と言えるものがあるとすれば、それは正論であることではなく、心に明かりを灯すことである。気持ちを明るくし前向きにさせることである。正論は時として暖かい気持ちを冷たくさせる。

念のために書くが正論がいけないのではない。頭を冷やさなければならない場面ももちろんあるわけで、そのような時は正論をぶつけるべきである。燃え盛っている気持ちに水をぶっかける必要がある時もある。
正論も時と場合によりけりだ、という話である。

何を優先させなければいけないか。
正しさよりも気持ちである場合が多い。人は理性より感性が優位だからである。
常に正しくあることではなく、常に明かりを灯すことを心がけたほうがいい。理屈としての正しさよりも笑顔であることのほうが正しい。それが豊かな生き方である。
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