瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

住み心地のいい世界

2016-09-19 15:42:23 | 随想
結局すべてのことがそうなのだけれど、わかりやすいのは環境問題か。

環境問題は問題になっているのは環境のことであって自分のことではない。要するに他人事である。自分のことでないことに人は一生懸命にはならない。だからいつまでたっても環境は問題を抱えたままである。

だが環境は他人事なのか。自分のことではなのか。いやそうではあるまい。環境とは自分のことである。環境なくして自分の存在はあり得ない。ならば環境もまた自分である。

人は自分とそれ以外という区別をする。
それはそれで当然正しいのだが、反面、自分とそれ以外なんぞという区別は無意味でもある。というのは自分とそれ以外の存在は繋がっているからである。繋がっている以上、自分以外の存在は自分の延長線上の存在であるわけで、要するに自分である。すべては地続きである。断絶しているわけではない。

他人事だと考えているから世界は問題だらけである。ちっとも解決しない。
あれもそれも自分のことなのである。関係の濃いのもあれば薄いのもあるけれど、ともかくも自分と繋がっていないものはない。

話は飛躍するように聞こえるかもしれないけれど、要するに自分なんぞ存在しないとも言えるのである。エゴと言ったほうが通じやすいか。本来、エゴなんてあり得ない。自分とそれ以外と自ら分断することでエゴが発生する。すべては繋がっているのだから自分とそれ以外という分断を自らしさえしなければ、エゴは発生せず、世界そのものが自分である。

世界が自分であれば、当然あらゆることを他人事なんていってるいられない。環境はもちろん他者のことも。他者もまた自分なのだから。
そのように意識すれば接し方も変わろう。

分断された世界より繋がっている世界のほうが住み心地がいい。本来そうであるのに何が哀しくてわざわざ分断するのか。愚かしい。
そろそろエゴを捨てていい頃だ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 豊穣な世界 | トップ | 元気でいられる行為 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。