瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

自立して生きる

2016-09-28 10:12:50 | 随想
最近のニュースからコピペ。



 国土交通省は、暗くなると車のヘッドライトが自動で点灯する「オートライト」の搭載を、2020年4月以降に売り出される新型車からメーカーに義務づけることを決めた。日没前後の「薄暮」の時間帯に多発する高齢の歩行者らの事故を減らす狙い。



いいことだとは思う。これで事故は減るだろうから。いいことだとは思うけれど何とも情けない話でもある。暗くなったらヘッドライトを点ける。そんなこともできないなんて。国交省も人に言っても埒があかないから車の機能として装備させることで解決することにしたんだろう。確かにその方が現実的である。

しかし義務化は危険だとも思う。
義務化されるとはコントロールされること。管轄下に置かれること。支配強化である。
人はこうして飼い馴らされていく。飼い馴らされれば人は飼い馴らされていることに気がつかなくなる。

自分の主人は自分であるはずなのに実は別の何かにコントロールされているなんぞ、それでは誰が生きているのだかわからない。

意識しさえすれば出来ることなのに、意識しないからやらず、他者(いまの場合は権力)から強制されてやらなければならない羽目になる。自らコントロールされたがっているようなものだ。

人は自立していてこそ人である。他者にコントロールされていてはただの人形である。人形に魂はない。何を好んでそんなものになりさがるのか。

なすべきことをなす。それを意識してこそ自立できる。それを意識してこそ人である。日常のレベルから人生のレベルまでさまざまなレベルがあるが、自分の主人は自分であるということを肝に刻んでおくことだ。その人生は誰の人生なのか。よくよく考えれば分かりきったことである。
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