ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

生きるには支えが

2019年11月18日 | 信仰
ひと昔前になるが、五十代に入ってすぐの頃、夫婦と娘たち四人でマイホームを建てて暮らしていた私は、ある日、家族を失った。長女の進学を機に、妻が遠くの都会に出て行ってしまったのだ。長女のためというより「(癒しの教会に行くことで)癒されるため」というのが表向きの理由だった。その時の妻、つまり前妻は、重い精神の病にかかっていた。

【介護の日々】
家を賃貸してその家賃収入を妻たちの家賃払いに充てるため、私も自宅を出ざるをえなかった。それでちょうどその頃深刻化してきた母のアルツハイマーの介護に、実家に戻ることになった。その時私は、家族から捨てられたような気分になったものだ。



しかしアルツハイマーの母と住んだ二年間は、その淋しさを感じる間もないほど忙しかった。老人を食い物にする悪徳業者との戦いに明け暮れたかと思うと、その次には近所の方々からの、母への苦情にひたすら詫びて回った。実際母は、自由に出入りしていた隣家との境に、通行できない高いブロック塀を築くなど、かつてからは考えられないことをしていた。母は私の諌めに逆上して興奮する毎日だった。

その母も一年近く経つと、その時期が過ぎて、私の子どものように頼るようになり、かえってそのことの方が私には悲しかった。
とにもかくにも、夕食が遅いと茶碗をチンチン叩かれながらも、母が居たから私は正常だった。しかし二年もすると、あれほど相当待たされる、と聞いていた老人施設に急に入れることになった。そして私の一人住まい、ほんとうの孤独が始まった。もう誰からも私は必要とされていなかった

【孤独】
一人で食事は作る気にならず、心は淋しさとむなしさでいっぱいになった。特に御体なる行ける教会失っていたことが大きかった。なぜならそれまで、今で言うネット会員のような、当時属そうとしていた聖霊派の教会には、家族を奪われた思いとその間の軋轢で、もはや関わりが失われていた。御体なる教会を失う、これは信仰的にも最悪で、非常に危険な状態であることを私は身をもって知ることになった。

【私は、おかしくなった】
私は夜な夜なうさを晴らすために、自宅でカラオケをするようになった。演歌
(艶歌)というのは、かなりの曲がサタン的なのはご存知の通り。神への賛美が礼拝者として引き上げられるのと、ちょうど反対のことを私はしていたわけだ。だんだん私は破壊願望を持つようになった。私は歓楽街に行って、全財産をばら撒こうと思ったりしたが、よく事件で「誰でもよいから殺そうと思った」とかは、まさにこのサタンに支配された状態のことで、私もそのことがよくわかる状態だった。


【神のあわれみ】
もしあの時、神が私にその状態を気づかせ、悔い改めさせ、触れてくださらなかったら、ほんとうに「♪私はどうなっていたのでしょう♪」である。神にあわれまれた恵みを心から感じる。

私たちは何によって生きているのだろうか? 夫が、また妻がいる人は、けんかしようと何があろうと、その伴侶という生き甲斐がある。子やそのほか家族がいる人は、それが生き甲斐かも知れない。あるいは仕事やそれに類することもあるかも知れない。しかし言えることは、それらは決して永続的なものではないことだ。

自分が生き残っていて、そして体はだんだんに衰え朽ちていく。精一杯生きた証を残したいかも知れないが、所詮それは虚しいことだ。永遠なるものに目を留めよう。見えるもの、形あるものは必ず崩れ、失われるのが必定。むしろ見えないものに、永遠なるものがそこにある。

偶像ではなく、存在からして人間には全容が理解不可能だが、三位一体の真の神がいる。神が私たち一人一人のために十字架にかかって死んで、信じる者の全ての罪を赦してくださった歴史的にも確かにされた愛の神がいる。この神は永遠なのだ。決して失われることはない、永遠の世界までも。

もし霊を信じ、死後行く世界がこの世と変わらないなら、そこは地獄だ。しかし罪の無い世界に行くとすれば、確かに天国ではないか。人間の力で罪を無くすことができないから十字架の愛がある。もしイエス・キリストが神でなかったならば、私たちくりすちかは何と惨めなものであろうか。しかし神を信じる者に、イエスは確かに三位一体の神であることがわかる。こらは理屈ではないから、信仰と言う。どんなに世で一人者とされ孤独にされようと、この神の愛によって生きる者に本当の孤独は無い。天への喜びで日々新たにされ、喜びに満たされる。これは嘘では無い。
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11月17日主日

2019年11月17日 | 教会のこと
おはようございます。昨日午後に少しだけ近所を散歩してたら、何と季節外れのこの花


クレマチスの花が、咲いていた。根元からすーっと新芽伸びて、完全に季節間違えましたね。余りにも夏の暑さそして一気に涼しくなり、また暑くなり、さらに例年になく長雨が続き〜秋の草刈りの後にこの結果。
まだ蕾がいくつもあるから、切って家で飾った方が長持ちするかしら。と思わず〜思ってしまった。

さあ本題!!
今日な主日礼拝は、第4会議室ですので、礼拝はオンラインで、ご一緒に出来ます。
Facebookカメラからですので、ご準備の上お待ち下さい〜

ドルカス   




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イスラエルチームダイジェスト映像

2019年11月16日 | 派遣
10月28日〜11月9日のイスラエルチームの様子が👇こちらから、ご覧になれます。


澄み渡ったイスラエルカラーの空の下にエルサレムの街


やがてここからイエス様が入場される  黄金門



ホテル庭がガリラヤ湖畔です。黙想し祈る。



ガリラヤ湖を見下ろす、アルベル山頂

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。
マタイ28章16節
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」
マタイ28章19~20節
聖書 新改訳2017

今回は執り成し組が御心でした。
必ずまた訪れたいと、祈り続けます。
(Photoはブログなどから拝借しました)

ドルカス   







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冬支度

2019年11月15日 | 自然
先月の19号台風で、住まいが床上浸水にあった妹からのPhotoです。今朝の北アルプスは雪化粧。道理で寒い朝だったと。


毎年2月末に開催される白馬キャンプに行く風景が、突然にわたしの目の前でした。

そうよね。もう11月も半ば、信州は暖をとらなければ過ごせない朝晩の冷え込み。

過去にも床上浸水を何度か経験してる妹達。1階部分が殆ど水に浸った時もあった。
あの頃は子供達も幼くて、手伝いは無理だったけれど、今回彼らの働きはとても助かったと。
そうね、もう30年程前にの事だからね。

エアコンの外機が水面下で使えなくなり、暖をとるのは石油ストーブのみだったが、ようやくエアコンが使えるようになると。きっと寒がりの妹は毎朝震えて朝食の支度ではと思う。だいぶ痛い出費になったわよね。
ギリギリ冬の到来に間に合ってよかったわね。

更に被害の大きかった地域は、厳しい冬を迎えるのですね。心から祈りを促されます。

ドルカス   



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ボランティア

2019年11月13日 | ゴスペル
今日は『船橋ゴスペルクラブPeaceful』で、ゴスペルでボランティアに行ってきました。


前回訪れた施設ではありません。10月スタートした同列の小規模多機能施設です。



曲は前回と基本的には変えてないのですが、
緊張緊張〜
♪全然大丈夫全然OKだから
♪大きな愛
♪からし種のように
♪心からの賛美
♪God is Love
♪君は愛されるため生まれた
お喋りもしながらの45分間は、皆さんに楽しんで頂けたかしら〜〜

まだ新設されたばかりの施設ですから、人数は少なめでしたが、共に歌ってくださる方、頷きながら聴いてくださる方、
言葉で言えない代わりに涙が伝えてくださった男性。様々な表現で喜んでくださった。

是非また来てください、毎月でも来てくださいとオファーをいただきました。

来月はまた行きたいですね〜
さあ帰ってから、水曜礼拝。そして祈祷会ですよ〜


ドルカス   



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健康管理

2019年11月13日 | 健康・スポーツ
日没が早くなったから、早く家出なきゃと、4時半頃いそいそとしていても、陽はあっという間に沈む今時。間も無く5:00pm


最近太っちゃったから〜
『あぁ〜  神様どうか体重が減りますように〜」
ってブツブツ1人で祈ってたら、それは御心の祈りしてる?と突っ込まれてね

実は今教会の祈祷会では、祈り聞き従う以上に御心の祈りをと願い祈ってるから。
御心の祈りは、天の父が喜ばれる事なのですね

で、私はその通り〜と。先ず、すべき事は❣️
最近サボり気味なカーブス(女性筋トレ)に行こうと出かけてきた。


船橋に越してからずっと続けてきたのに、この夏頃からか、週通う数がそれまでの半分も通えない。ビューンと🚲走らせたら5〜6分なのに。回数が減るごとに体重増加なんてね〜

なので心を入れ替えてですね、今日は絶対行くと決めていて、暗くなるのを承知して出かけた私です。
往復時間含め1時間弱の時間を、体調と相談しながら、週に2回ー3回通います。
と、今度はここでも宣言して、出来ない私を天の父に支えてもらいます(御心だと思うのだ)


帰りの道は、ぼけぼけPhotoですが、月が綺麗でした。6:00pm頃

ドルカス   





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エデンの東と親子関係

2019年11月12日 | 示されたこと
親子の関係とは「大草原の小さな家」のように麗しいものがあれば、同時に手の施しようがないほど、こじれ愛憎入り混じったものがある。その例を言うなら「エデンの東」がある。


私はこの映画で一躍スターになったジェームズ・ディーンがあまり好きではないし、悲しい映画だ、の記憶しかなかった。しかし聖書のエデンの園の話はあまりにも有名だし、楽園の追放を意味するこの映画には、聖書に対するかなりの造詣が必須である。だからいくらクリスチャンでも若い時にはこの作品のメッセージ性がまだよくわからなかった、と言うのが本当だろう。

【本題】
聖書の話は置いておいて、要はこれは親の愛をめぐっての兄弟の相克の映画である。聖書の通り、アダムの息子キャル(カレブ=カイン)はアロン(=アベル)を売春宿の実母に引き合わせ、心の傷を負ったアロンは折からの第一次大戦に応召して戦死してしまう。戦地行きの列車で、頭でガラスを割るような自暴自棄アロンの姿を見た父のアダムは、ショックで脳梗塞なような半身不随になってしまう。


聖書と違うのはこの後、キャルがアロンの婚約者アブラの取り成しで、楽園追放される寸前で父から「そばに居てくれ」と許しを受けることである。



私は歳を重ね、七十近くなり、映画の父役アダムよりもさらにひと回りぐらい上になってしまった。そこで思うことだが、親子がうまくいかないとかの問題は、第一に親と子のどちらが悪かったという不毛の論はさておき、不仲、うまくいかないことに勝者がいないことである。子の不従順だろうと、親の育て方が悪かろうとともだ。

勝者とは親子の対立、問題を克服して仲良く助け合い、共に暮らせることにある。だからそのためには、たとえ親が子に膝まづき、詫びてでも互いの平和を勝ち取ることである。十字架の神の恵みを受け、互いに許し合って、心のわだかまりを解くこと、これ以上の祝福がどこにあるだろうか?

親たちよ、プライドを捨て、詫びてでも実質を取りなさい。


聖書 新改訳©2017創世記 4章7節
"もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」"


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11月10日主日礼拝

2019年11月10日 | 教会のこと
今日の礼拝は広々の特別会議室。備えられたテーブルは巨大で、私は移動にグルグル回らなければならないのよ。
皆さん二階一番奥の部屋です〜

今朝は早速磨いた靴を履いて貰って〜
出かける前に。ちょいと協力してもらい撮影完了。


古い靴👞も磨きあげたら、なんとか見られるね

礼拝は。真希姉妹の司会でスタート。
本日も。Facebookカメラでオンラインです。ぜひご覧ください〜


今年度の聖句から、ケパ牧師のメッセージは、手書きの地図を利用して



年間聖句、第2歴代誌20章15・17を、
まずはヨシャパテの時代考証の説明から
語られました。

ドルカス



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主婦の仕事❗️かな

2019年11月09日 | 生活
いつもいつも気になって、
あぁ靴磨いてあげないと、なんだかショボけてる牧師になってしまうね〜
と、昨日はやっと玄関に座り込み、シューズボックスから全ての靴を出して始めた。


履き慣れた古い靴も👞よそ行きも、ついでに私の靴👠も全て磨いた〜

磨き上げると気持ちがいいねぇ〜
なかなか出来ない主婦の仕事一つ出来たわ

ドルカス





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おさなごのいのち

2019年11月08日 | 祈り
昨年の11月7日思い出してます。


ガリラヤ湖畔のホテルから、再びエルサレムへ戻った翌日、オリーブ山で祈るためバスから降りる直前姉からのメールに気がついた。

姪が予定日の前日出産の為入院。しかし一晩経つのに産まれない。一晩眠れずいきみ過ぎて意識がなくなり寝てしまう程疲れたようだ。

夕方になって、母子ともに危険な状態となる前に帝王切開となった。その後ベイビーは、パパの腕に抱かれている写真で確認した


仕事で忙しい彼は、出産には立ち会わず、産まれたら行くよと言ってたが、
出産に間に合うどころか、一晩じゅう姪のそばに付き添って励まし更に出産に立ち会えた。

が、姪はなかなか病室に戻らない。その為の祈りのリクエストが姉から来た。
それぞれ祈りに集中しているんだから、人に頼むのではなく自分で祈りなさいと、ケパさんに言われ、その通りだと、必死で祈った。勿論彼も祈ってくれた。


その数時間後、処置が終わり意識が回復したと連絡がきた。母子ともに守られてる事にホッとして主に感謝した。

天のお父様は誕生後の今も多くの恵みを夫婦に下さり、その母と父達にもさらに、親族に及ぶまで喜びを下さってます。



そしてお誕生日を共に祝う為に孫と娘のために出かけた姉は、喜びを私にも分けてくれます。

すねて泣いたら、抱っこしてもらえる事を知っ
たというこの子は、😂お祈り姿勢でせがむようですよ。

と、とにかく、一年目のお誕生日おめでとう🎈



ドルカス

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