親子の関係とは「大草原の小さな家」のように麗しいものがあれば、同時に手の施しようがないほど、こじれ愛憎入り混じったものがある。その例を言うなら「エデンの東」がある。
私はこの映画で一躍スターになったジェームズ・ディーンがあまり好きではないし、悲しい映画だ、の記憶しかなかった。しかし聖書のエデンの園の話はあまりにも有名だし、楽園の追放を意味するこの映画には、聖書に対するかなりの造詣が必須である。だからいくらクリスチャンでも若い時にはこの作品のメッセージ性がまだよくわからなかった、と言うのが本当だろう。
【本題】
聖書の話は置いておいて、要はこれは親の愛をめぐっての兄弟の相克の映画である。聖書の通り、アダムの息子キャル(カレブ=カイン)はアロン(=アベル)を売春宿の実母に引き合わせ、心の傷を負ったアロンは折からの第一次大戦に応召して戦死してしまう。戦地行きの列車で、頭でガラスを割るような自暴自棄アロンの姿を見た父のアダムは、ショックで脳梗塞なような半身不随になってしまう。
聖書と違うのはこの後、キャルがアロンの婚約者アブラの取り成しで、楽園追放される寸前で父から「そばに居てくれ」と許しを受けることである。
私は歳を重ね、七十近くなり、映画の父役アダムよりもさらにひと回りぐらい上になってしまった。そこで思うことだが、親子がうまくいかないとかの問題は、第一に親と子のどちらが悪かったという不毛の論はさておき、不仲、うまくいかないことに勝者がいないことである。子の不従順だろうと、親の育て方が悪かろうとともだ。
勝者とは親子の対立、問題を克服して仲良く助け合い、共に暮らせることにある。だからそのためには、たとえ親が子に膝まづき、詫びてでも互いの平和を勝ち取ることである。十字架の神の恵みを受け、互いに許し合って、心のわだかまりを解くこと、これ以上の祝福がどこにあるだろうか?
親たちよ、プライドを捨て、詫びてでも実質を取りなさい。
聖書 新改訳©2017創世記 4章7節
"もしあなたが良いことをしているのなら、受け入れられる。しかし、もし良いことをしていないのであれば、戸口で罪が待ち伏せている。罪はあなたを恋い慕うが、あなたはそれを治めなければならない。」"