私たちが生きているこの時代に、聖書が預言している七年の大患難時代がやがて来るだろうことは確実である。(簡単に学べる大患難時代は下のリンクから)
今回黙示録を読んでいて、次の2点が気づかされた。その前半3年半には多くの人々が死ぬ。封印の時代に1/4、ラッパの時代に1/3、併せてなんと全人類の半数1/2が死ぬと言っている。どんなに聖書がこれまで100パーセント正しく預言してきた事実を示しても、おそらく多くの人は信じないだろうし、クリスチャンでも受け入れがたいかも知れない。また、前回の聖書の数字解説で述べたように、これは象徴的な数だと受け取るかも知れない。しかし私が声を大にして言いたいのは、これはユダヤ的数字の比喩表現ではないことだ。と言うことは、割合であり、ほぼこのくらいの実数となる(75億の半分)可能性が高いのだ。
となると、これを空恐ろしいと誰しもが思うだろうけども、実は神が全世界を2度滅ぼされることまで聖書は預言されていた。最初は水で。次は火である。ノアの大洪水では8人の者しか生き残れなかった。今回は最終的には太陽も星々も海も無くなり、天の都が降りてきてそこから新しい川が流れての別天地になる。全く異なった永遠の世界、霊が実存する聖なる世界なので、もはや血肉で生きている人は存在しなくなるはずだ。
患難時代の前半の3年半に人類が半分死んでも、結局7年の終わりにはサタン以外の多くの人はエルサレム周辺で死ぬ。こらに参加せず生き残った人々は千年王国の時代を経て、最後の大審判で結局は全員裁かれて終わりを迎えることになる。これら全体が火の裁きであると称されているわけだ。だから血肉の体に希望を持っている方には、それはない・・・一刻も早く永遠のいのちを得てくださいとしか言いようのない、神が定められた計画である。
ところでこの大患難時を迎えるに当たって、特に聖徒たちの祈りがあることに今回特に気づかされた。
先ず封印を開く時代(1/4の人が亡くなる)の前に、二十四人の長老たちが多くの天使たちとともにささげる金の香ーーそれは聖徒たちの祈りそのものだったとある(黙示録5:80-11)。
次にラッパの時代(1/3が亡くなる)の前にも、多くの聖徒たちによって祈りがあった。
「別の御使いが来て、金の香炉を持って祭壇のそばに立った。すると、たくさんの香が彼に与えられた。すべての聖徒たちの祈りに添えて、御座の前にある金の祭壇の上で献げるためであった。香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。」(黙示録8:3-4)
とある通りである。
これら聖徒たちの祈りとは、およそ次のようなものではなかろうか。
「血肉の命を失われようとする皆さん、それは必ず滅ぶものです。この機会にぜひ、罪を悔い改め、十字架の主イエスによる罪の赦しを受けてくださーい。天国で私たちと一緒に新生の交わりを致しましょーう。血肉の命がある時が、最後のチャンスなんですよー。」
この聖徒たちの祈りと、実際、迫り来る死を前にして、後の雨と呼ばれる大リバイバルが起こっていくのだ。今回私は、これが祈られての災いであることに、目を開かせられた。クリスチャンたちが災いを祈るはずがない。だからこれは、素晴らしい大収穫の祈りなのだ。
また後半の3年半には、死に関する記述がない。どうして前半より、さらに大きな患難時代のはずなのに、と疑問をもったが、死ぬよりも生きることの方が辛い時代って、想像ができないものの、確かにそうなのだろうという気がしてきた。「その期間、人々は死を探し求めるが、決して見出すことはない。死ぬことを切に願うが、死は彼らから逃げて行く。」(黙示録9:6)これは前半の中での五カ月だけだが、これが三年以上も後半で続くとなると、死ぬ以上の患難であろう。
となると、後半の3年半は、前半よりも確かに格段に厳しい時代であることに納得する。
付け加えだが、額に印をつけられたクリスチャンたちが守られるとある。自分の額を指して、ここでしょうか?と聞く人が出るかもしれない。
聖書には「証印」「焼き印」という表現で、真に神を信じ、自分をささげたクリスチャンを神の所有として現している。自分の罪深さがわかり、聖霊のバプテスマを受けた人はこの意味が分かるはずである。またそのような人は、聖霊様が反応して、おそらく一瞬ですぐにわかるはずだ。反キリストが666の帽子とかネクタイをつけて現れる(笑い)はずがないように、おそらく外見的に一目でわかる証印を付けられるはずがないので、心配でも自分の額にない、無いと慌てられないように。