昨日封切りの映画「Fukushima50」を観た。この映画は、原発事故で冷却装置を失い、溶融した原子炉(メルトダウン)の拡散を防ぐ最後の砦、格納容器を守ることに命をかけて現場に残り続けた、原発職員50人を描いた映画である。






正直、この映画を見るまでは、この50人のことについてはよく知らなかった。しかしおそらくこれは、一切の作り話、飾りを排して、ほとんど事実そのままに再現したものだろうということはわかる。創作を入れるには、あまりにも生々しい現実があるからだし、事故からわずか2年余りで死んだ、現場の最高責任者、吉田昌郎(まさお)所長の追悼映画ともいえる。吉田は福島第一原発への津波の可能性を研究していた人物であり、実現はしなかったが、その対策を提言をしていた人物でもある。その彼が所長の時に、研究し危惧した津波が襲ったのであるから、最高の人を得ていたわけである。(建屋の爆発 しかし格納容器まではまだ守られていた)

この映画を通して、想定外の事態に狼狽し対策を打ち出せないだけでなく、政府の言いなりに終始した東電トップや、ただ怒鳴り散らすだけの管総理が描かれている。管は環境出身の政治家らしく、冷却のための海水注入に対し、海への汚染が心配だと停止命令すらかけている。もしあの時、吉田所長が、停止命令を出す東電トップに従って止めていたなら、最後の砦、原子炉格容器まで爆発し、チェルノブイリよりもさらに強力な放射能が、都心を含む数百キロに渡って拡散していたという。

そうなると日本の大部分は死の灰で埋まっていただろうし、最悪、下図250キロ圏内は人が住めない地域となっていた。そうなったら、この国はおしまいである。

これほ、改めて戦慄を覚える話である。またベントという、格納庫の圧力を抜くための装置弁を開く(当然、放射能が弁の煙突から排出される。しかし格納容器の爆殺よりはるかに被害を少なくできる)ため、職員が高い濃度の放射能の中、幾度も決死隊を組んで突っ込んで行くしーんには泣かされた。しかもその全員が、自ら志願した職員であった。
もし格納容器まで爆発すると、続いて2号機、3号機まで連鎖する可能性があり、そうなると超巨大な原子爆弾の爆発地となり、とうてい50人は生きては帰れない。その影すらもなくなるだろう。それを知っている居残った職員たちは遺書を書いたり、最後の写真を撮ったりと、最後の備えをする。(同じ縮尺のチェルノブイリとフクシマの被害を比較した実際図)

今私たちが関東で暮らせ、日本があるのは彼らの奮闘のおかげである。それと同時に、所長らが述懐する「どうしてこんなことが・・・」の問いに「自分たちは技術に高ぶっていた」という悔いる彼らの言葉は胸に滲みる。

人間は自然を征服し、その技術に慢心しがちである。確かに神は地球の管理者として人を創造された。映画のエンディングシーンは、福島原発の工事や完成を祝い、明るい未来を喜ぶ人々の記録映像で終わっていた。最後まで席を立つことができなかった。
(祈り)
人間の高ぶりを打ち砕いてくださる神よ、今被害に苦しんでおられる方々を癒してください。そしてまた、この国民が映画に出た偶像の神々にではなく、真の唯一の神であるあなたに祈りを捧げる国民となりますように。科学万能で驕り高ぶり、神への謙虚さを失ったこの国民をあわれんでください。どうか主よ、私たちをリバイバルのために用いてください。
ケパ







