ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

梅雨の雨に思う

2020年07月14日 | 自然
 私の故郷は広島県の中国山地の盆地で、山に囲まれて空が狭かった。ちょうど今、大雨注意報が出されている所だ。そこは瀬戸内の海岸沿いの気候とは全く異なり、いつも霧や雲が立ち込めることが多い。この時期大雨警報がよく発令される所だ。


 私はこういう湿った気候育ちなので、ジメジメベタベタがあまり気にならない。快調にさえなることが多い。だから梅雨の暮らしも気にならない。よく雨が降ったり濡れることを毛嫌いし呪うが如くの人がいる。そこまで嫌うのかと、不思議に思う。動物の根源は草であって、その草を成長させる水は命の元の元ではないか。ならば天からの純水の雨は、動物にとっても命の源なのだ。それを厭うことはおかしい。

昔、水を入れたバケツを持って廊下に立たせられる罰があった(※体罰で今は厳禁)。水は1リットル1kgだから、一杯5キロ以上はあるバケツを持ち続けていると、腕が伸びてしまいそうになるほど過酷だ。
 こんな重い水がどうして空に浮かんでおれるのか、理屈は分かっていても、重いバケツに実感として不思議でならない。「あり得ない!」と。その時は子どもで神を知らなかったが、今はわかる。神が造られたシステムの完全さに、脱帽しただ感謝する。

 今この船橋に住んで、同じ日本でも彼我の違いに痛感する。千葉は日本一の平坦地。山がないということは広大な土地があっても大きな川がないことで、水利が悪く住むにも不適だった。しかし今は利根川からのパイプラインで唯一の弱点も解消された。こうして温暖で乾いた快適な気候。ただ風が少し強いだけの恵まれた土地になった(※ただし、農業用水にまでは行き渡らないようで、千葉は米以外の畑作中心)


 私の育った地方、水が豊かな故に、今その水で苦しんでいる西の地方に、千葉から思いを馳せ、その取りなしを神さまに祈ろう。


      ケパ

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