I先週の金曜日、テニスで久しぶりのシングルスを楽しんでいた。7人の参加者全員と総当たり戦をするので、6回勝負することになる。いくらシングルス好きだとは言え、少しだけ過酷だ。
因みに私が最年長者。息子ぐらいの相手と3人、五十代前後の相手と2人終えた時点で、結果は3勝2敗だった。しかしもう1戦、というところで私は急にリタイヤした。右ひざ下内側の付け根の痛みが激しくなったのだ。
この日、途中でその兆しは感じたが、五つ消化した段階で、これほどの痛みを感じるようになったのは想定外だった。もはやプレーは続行不可能だったので、少し足を引き吊りながら早々に引き上げた。靱帯損傷まではしていないが、重度の肉離れなどは幾度か経験している。今回のはどう見てもひざにつながる腱の部分を痛めている。最近準備運動やストレッチをおろそかにしていたせいだろうか、「ああ、やっちまった・・・・腱というか靱帯は治りが遅いんだ」とかなり悔やんだが、やってしまったものはしょうがない。後の後悔、先立たずである。帰り道、病院に行くべきか少し悩んだが、ドルカスにはそのことを口に出せなかった。日常生活には差し障りがないので、とりあえず自宅で湿布程度をして、安静にし様子を見ることにした。
翌土曜日は朝から仕事だったが、立ったり座ったリの激しい動作では、どうしても右足をかばう不自然な動きをしてしていた。また土曜日と日曜日の朝、深夜とか早朝に、ひざ下の鈍痛で目が覚めた。うずくのである。これでこれからもテニスができるのだろうか、日曜日の朝はさすがに不安になった。予定していたテニスに不参加の意向を伝え、断る必要があるのでは、とさえ思うようになった。しかしドルカスが祈ってくれているので、不参加は何とか思い留まっていた。
そこで日曜日の朝、痛みで目が覚めてから、不安な心で神に癒やしを求めて祈った。すると自分で直に癒やしを祈るよう促しを受けたので、ひざ下に右手を当て、癒やしの祈りをした。その時、示しが続いた「わたしはあなたを癒やします。癒やされた確信をもってテニスをしなさい。あなたはまったく痛んだことを忘れてプレーし、終わってみて完全に癒やされていることをみるでしょう。これは、自分自身のからだを通して、これからあなたが癒やしに用いられて行くしるしと確認のためです」と。
さて本日、テニスができる今日の月曜日、またまた早朝のベッドの中、鈍い痛みで目が覚め、反射的に手を当てて祈ろうとすると、「あなたは癒やされたことを信じていないのですか?」と示しが来た。それであわてて手を引っ込めた。とにかく、信じて従うしかないと腹を決めた。
さて、コートでは3時間、かばうどころかふだん以上に激しくコート上を走り回り、調子はルンルンだった。テニスができない、不参加にしようと思っていたことなど、まったく忘れていたのだ。気がついたのは帰りの車の運転中である。「あれれっ、右ひざ下はどうなってる?、全然大丈夫だったじゃあないか。テニスの中で、意識をしなかっただけではない、もう、何の痛みも感じない。本当だ、これはもう完全に癒やされているー」
ハレルヤ。主よあなたに栄光を帰します。
ケパ