毎朝、日課のように私はストレッチをする。健康への殊勝な心がけだと思わないでほしい。これは運転中の右臀部の痛み解消のため、病院処方の一環、リハビリでせざるを得ないのだ。(その中でも1番ピリピリ痛いのが下図)

ところで、マットの上で横になって制止し窓を見上げると、その先の、遠く青い空の中、何やらキラキラ光る物が通過していく。成田着立のため、高度を下げていく飛行機だ。聞こえてくる総武線の電車は数分おきの激しさだが、こちらも5分とかからずひっきりなしだ。どの飛行機も、まるで空にレールがあるが如く、同じ方角、向きで入ってくる。

船橋は今日も風が吹く。ただし今日だけは台風15号の影響だ。この地は私流の勝手で「日本のロサンゼルス」と思っている。年中海風が吹き、ほとんど雨雪が降らない陽光の街だ。ここは東京から至近の距離にありながら、東京湾の真北に位置し、絶えず東京湾を渡る風が吹き寄せる。前に住んでいた杉並が武蔵野の面影を宿すなら、ここは遠浅の海浜の面影がある。智恵子抄で有名な高村光太郎の妻、智恵子は九十九里の海浜で療養したが、太宰治が一時期、やはり療養のため杉並からこの船橋に移り住んだことがある。太宰はかなり気に入って、夾竹桃と共に住んでいたとの記録もあるほどだ。(太宰治の記念碑 船橋市本町2-2-5)

ところで私はこの地で牧会をしている(下写真)が、神様はどうしてここに私を置かれたのだろうかと、時々思う。もし55歳までの私の人生を、住んでいた山陰型の土地柄になぞらえれば、ここはまさに光溢れる乾いた平野の地で、真反対である。前の広嶋の山地を出る時、また杉並からこの地に来る時にも、私は神から明確に導かれて来た。従って神はこの地で私を用いられる。
器としては小さきものなれど、それがために神の力はかえってハッキリと見てとれるはずだ。福音がどうかこの地、京葉地域の人々に、光のようにあふれて広がりますように、今日も祈る。

ケパ