ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

アルツハイマーになった母との思い出

2017年12月09日 | 随想
NHKでドラマ「たからのとき」を再放送していた。そのロケ地の村である福岡県東峰村は、この番組の放送1年後、この七月の集中豪雨で大被害を受け、美しかった山あいの村が見るも無残な姿になってしまった。しかし被災者たちは、泥の中から立ち上がって再建を始めた。その様子を演じた俳優たちが村人と共に語りながら「もう一つのたからのとき」と題して続いて放送していた。失われる時は、一瞬にして失われる、語りかけがあった。

ドラマの話に戻る。女優、寺島しのぶが主人公の物語で、『とうほう村テレビ』で住民ディレクターとして活動する室井たから(寺島しのぶ)には、秘密があった。制作する番組は村の思い出深い名所の紹介をするのだが、それは自分自身が若年性アルツハイマー症になり、家族と思い出を大切にするためであった。

アルツハイマーと聞くと、私は母とのことを思い出す。母が八十歳の頃に診断が出て、私は家族と離れ3年間、母と二人だけで暮らした。それはアルツハイマーという病気を、つぶさに知らされた3年間だった。その間は食事や家の整理など日々、「戦いすんで、日が暮れて」だった。

最初はさんざんカモにされていた訪問販売業者との熾烈な戦い。診断のきっかけになった近所とのトラブルは、私が謝って歩くと、泣いてくやしがられたものの、みなさん快く許してくれた。それが一段落つく頃、外出時には、何処の家の庭であろうとも母は雑草を抜いていた。つまり自宅との区別がなくなっていた。
困ったのは、ヘルパーさんが家に来ることを嫌がり始めたことだ。次第に泥棒扱いにしたり、恐れだした。次第に私が息子であることも忘れ、私が帰ってくると「どこの誰かさんでしたかいのォ」と、聞かれ始めたときは、正直参った。残酷な病だぁ、と悲しくなった。「アルツハイマー症だけには、決してなりたくない」という思いを当初は、強く持った。

しかし、記憶が無くなっていった母は、私が全く知らない子ども時代の娘に戻っていた。こんな子ども時代を過ごしていたのか、と母の発見もあった。私は記憶を失っていく母を見るのがつらかったものの、怒りや不安の状態から母は次第に落ち着き、私に依存するようになった。

施設に母が行くまでは、息子の私が保護者で、車に乗るのが好きな母は、どこにでもついてきてくれた。坊ちゃんの松山にも行ったりした。息子だとわからなくなっても、母は私を嫌がることはなかった。母がアルツハイマーになって一番癒やされたのは、母との関わりを再発見できたこの私だったかも知れない、とも思うようになった。
この番組を見て、当時のことをありありと思い出した。





ケパ




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