ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

最大最上のプレゼント

2017年06月15日 | 感謝
ある朝一人、早天で祈っていて示されることがあった。「神様に仕えて、その報いって、私は何をいただいたのだろうか?」と。否定的にではなく、恵みを忘れないために。

すると、ただ一つのことしか思い出すことがなかった。「永遠のいのち」。これほどの素晴らしい神からのプレゼントはない。「私は永遠のいのちをいただいている、これで完全で充分なのだ」と。たとえ明日命を召されたとしても、またたとえ無一文になって、路上生活の末、飢えと寒さで死んだとしても、悔いどころかこれで充分なのだ、と。

聖書のラザロの話を思い出した。ラザロは今で言う路上生活者で、金持ちの家の前にあわれみにはあずかれなかった。全身のできもので覆われた彼は金持ちの家の門前に置かれ、あわれみを受けることなく、死ぬまで忌避され続けたのだ。ただ犬だけが彼のおできをなめてくれて、慰めてくれたのだ。人間的にはまことにあわれな生涯に見えたかも知れない。
ところが、である。この世での成功者である金持ちもまた死んで、ハデスに下ってみると、そこは炎の中、熱く苦しいところであった。目を上げてみると越えられぬ淵の遙か向こうに、アブラハムのふところ(つまり天国よようなところ)に抱かれたあのラザロが見えたのである。

この後まだ話が続くが、要は神を信じた者は天に迎えられ、神を信じなかった者は永遠の苦しみに遭うという明快な話である。
神を信じるとは神を主とし、神の生き証人になるということであり、己の欲望を追求することではない。路上生活者になると言うのは、決して証にはならないので、たとえこの世で報われなかったとしてもの極論である。

人は必ず死ぬ。本当の勝負はたとえこの世で報われなかったとしても、せいぜい数十年かしかいきられないのである。しかしその後は永遠である。ならば永遠の命があるかどうかが、1番のポイントではないだろうか。
私は平安である。なぜならイエス・キリストが、わたしの罪を完全に肩代わりして下さったからでもある。
ハレルヤ!!!



ケパ
コメント
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