多くの方は「感謝する」には同意されても、この聖書の御言葉を実際にご自分の生活に当てはめて実践しようとする人は少ないようだ。例えば夫婦喧嘩をしている時、「妻が怒りっぽく不機嫌なことを感謝します」とやっちゃうと、かえって火に油を注ぐのがオチである。交通違反切符を切られてガクッとなりつつ「か、感、感謝しまーす」と無理に言う。しかしそれはちょっと怪しい感謝に違いない。けれども口先だけでも感謝すると、切符を切られたことに対する怒りや落胆に支配されずに済むから、感謝には確かに大きな力があることは確かだ。
もし本当にすべてのことを真に感謝するならば、その日の体調、気分、心配事などがその人の心を支配して不機嫌になったりはしない。別に無理せずとも、いつも自然な喜びが、心と顔ににじみ出てくる。なにしろ雨が降ったらアーメン、日照りの時もハレルヤ!、仕事で失敗しても、良い学びができて感謝!とそれを喜んでいる。だからこの「すべてのことについて感謝しなさい」は「いつも喜んでいなさい」の土台であることがわかる。
特に感謝することは、自分の欠点や深い罪性についてだ。「神様、これがあるのであなたの憐れみを受け、わたしは救われました。永遠のいのちという恵みを受けました。これこそわたしの宝です」と。
こう語ると、「あーあ、私はクリスチャンなのにできていないから、本当にダメだぁ。心がねじまがっている」とますます恵みから離れてしまう方が出てしまうかも知れない。それで最近は以下のような、重要な祈りを(たとえ心からできていない感謝であっても)付け加えることにしている。
「私にはその力がありませんが、神様にはできます。そして私が直ること、心から感謝できるようになることは御心です。神の力によって私が問題から解放されます」と口に出して宣言することだ。すると主が私たちの信仰に報いて働いてくださるようになり、なんと驚くべき神の力を見るようになるのだ。
ケパ
もし本当にすべてのことを真に感謝するならば、その日の体調、気分、心配事などがその人の心を支配して不機嫌になったりはしない。別に無理せずとも、いつも自然な喜びが、心と顔ににじみ出てくる。なにしろ雨が降ったらアーメン、日照りの時もハレルヤ!、仕事で失敗しても、良い学びができて感謝!とそれを喜んでいる。だからこの「すべてのことについて感謝しなさい」は「いつも喜んでいなさい」の土台であることがわかる。
特に感謝することは、自分の欠点や深い罪性についてだ。「神様、これがあるのであなたの憐れみを受け、わたしは救われました。永遠のいのちという恵みを受けました。これこそわたしの宝です」と。
こう語ると、「あーあ、私はクリスチャンなのにできていないから、本当にダメだぁ。心がねじまがっている」とますます恵みから離れてしまう方が出てしまうかも知れない。それで最近は以下のような、重要な祈りを(たとえ心からできていない感謝であっても)付け加えることにしている。
「私にはその力がありませんが、神様にはできます。そして私が直ること、心から感謝できるようになることは御心です。神の力によって私が問題から解放されます」と口に出して宣言することだ。すると主が私たちの信仰に報いて働いてくださるようになり、なんと驚くべき神の力を見るようになるのだ。
ケパ