先週のイスタンブ-ルの空港やバングラディシュのレストラン襲撃、イラクの自動車爆弾事件など、ISの犯行が顕著になっている。ISが国家宣言をしている本体のイラクやシリアでは、重要な支配拠点が次々に落とされて劣勢になっているだけに、臨終に近い悪あがき的な蛮行といえる。今日、この世の友人たちと話していて感じたのは、テロはテロでも、IS特有の「自爆攻撃」が解せないということだった。そこで出しゃばって友人たちに少し説明したことをブログ読者にもおすそ分けしたい。(写真は発見された自爆ベルト)
まず、今のIS(イスラミック・ステート)やかつての9.11のアルカイダは、ひとくくりにして「イスラム(原理主義)過激派」と呼ばれること。彼らが自分の死を犠牲にして、できるだけ多くの異教徒を道連れにしようとしている自爆攻撃は、自分がジハード(聖戦)の戦士として死ぬ、=殉教者となって天国へ行けると思っているから。 「そんな馬鹿な」と思うのだが、その源流はエジプトのモスリム同胞団の理論的指導者サイイド・クトゥブ (Sayyid Qutb 1906年-1966年・下写真)が、 今日の世界をイスラムの始まる前の世界としたことにある。つまり本格的なイスラム法に基づくイスラム国家が実現する過程であり、理想的なイスラム国家実現のための剣とコーラン、つまりテロや暴力を是認したことにある。これは時の政権から危険視されるのは当然で、激しい弾圧を受ける中、やがてファトワ-(イスラム法学者による勧告)が出たりして、不満を持つ全世界のイスラム教徒(ムスリム)に広がっていくことになった。彼らが最初に起こした犯罪は、すでに記憶に遠くなっているハネムーン中の日本人10人を含めて、50人近くの観光客が殺されたルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿襲撃事件である。
注意しなければいけないのは、大部分のモスリムはイスラム過激派を容認しないし、若者を中心としたほんの一部のモスリムに過ぎない。問題なのは現在のイスラムの世界で、クトゥブ主義と呼ばれる「過激派のこのような理論は間違っている」と立ち上がる人や組織がいないこと、つまり自浄作用が弱いことである。これはキリスト教世界と全く異なることで、キリスト教世界では明確な倫理・判断などの基準としての聖書があるので、このような世界認識、聖書の解釈をすればすぐさま「異端」として排除されることだろう。キリスト教では「あなたの隣人を、あなた自身のように愛しなさい」と聖書が言っている。その隣人とは「良きサマリヤ人」のたとえでじかにイエス様が語られたように、ユダヤ人にとっての異邦人のことであった。したがって間違っても「異教徒を殺せ」などと受け取られる余地はない。 イスラムのコーランは幅が広く、解釈が多様にできること、逆に言えば過激派のような勝手な解釈や、これに追随したようなファトワーが出ることが問題に感じる。モスリムの99%以上が健全だと思うが、しかしその中の0,1%以下でも、過激派の思想に走ってしまう可能性があると世界の人々は恐れ始めている。それは全モスレムにとって途方もない損失であると思う。 これは、イスラム社会が息をひそめて様子見をするのでなく、コーランを誰もが正しく理解できる努力していただいて、自らの力で過激派の誤った解釈を正して行かれることが、過激派を終息させ、世界の支持と信頼を回復させるための解決法であると思う。 ケパ