「あなたの隣人を、あなた自身のように愛せよ(マタイ19:19)」とはイエス様のご命令である。
少し前にイギリスがEUを離脱するというショッキングな出来事が起こった。これは誰がどう考えても、英国民が賢明な判断をしたとは考えられない。国民投票だから、正しい判断と結果が得られるとは・・・限らない、そのことを思い知らされる。
歴史を振り返ると、第一次大戦後ワイマール憲法というもっとも民主的な体制下で、ヒットラーは合法的な選挙で政権を握るや否や、直ちに憲法を停止し全権を握った。その結果、恐るべき破壊が世界を覆った。
当時ドイツは戦勝国側の膨大な戦後補償で痛みつけられていた。人間のプライドほど、判断を狂わせるものはない。同様にかつて世界を数百年にわたって支配した大英帝国は、今や国を支える産業は見る影もなく、現在はシティーを中心とした金融国家で何とか命脈を保っている。このたびのEU離脱はそれをみすみす放棄する結果になるだろうし、これからイギリスは欧州の片隅の島にある二流国家の道しか残されていないだろう。ほとんどの国民はシティーとは無縁だから、残留して得するのは金持ちや貴族たちであって、自分たちには目先のことしかなかったのだ。
イギリス人の判断を狂わせた目先のこととは直接的には難民・移民問題だと指摘されている。上の写真はロンドンの公立学校で、ロンドンの人口の6割がイスラム系移民だという。シリアやリビアから何百万のイスラム教徒が、キリスト教圏のヨーロッパを目指して、命がけで移動しようとしている。いったんEUに入れば、彼らは目指すところのどこにでも行ける。彼らは高福祉の恩恵を目指して、ベルリンやロンドン、ストックホルムを目指す。しかしその豊かそうに見える都市にも、実は多くの貧しい市民がおり、ただでさえ少ない職を奪われ、本来自分たちに使われるはずの税金が難民にぶんどられるのを恐れているのだ。だからイギリスに限らずヨーロッパでは、移民排斥の右翼政党がどこの国でも飛躍的に党勢を伸ばしている現実がある。
先に経済のことだけを述べたが、イスラム教徒(モスリム)は、日本人には容易には理解できない特質がある。それは移住先の社会や文化に、決して溶け込むこむことはないという特質である。いやそれどころかヒジャブ(女性が顔や体を覆うもの)とかハラール(イスラム教徒専用の清めた食材および料理)、日に五度礼拝するための礼拝所の要求など、自分たちの宗教、スタイルを世界中どこででも行使する(あるいは、するしかない)存在である。だからヨーロッパの国が人権、難民救済という高邁な理想を掲げて、いったんモスリムを大量に受け入れたなら、それはその国の一体感が失われるだけでなく、国内に警察権力の及ばないイスラム法の半独立地域を許すということであり、それは時にテロなどの温床にもなるということである。だから移民を排斥する政党は、押し寄せてくる難民の彼らに人権はあっても、自分たちの隣人とはなり得ないと「No!」を突きつけているわけだ。
これは対岸の火事ではない。周りを海で囲まれ、イスラムの直接的脅威がないとは言いながら、明日は現実となる可能性はある。私たちは世界を知らねばならないし、世界中の人々と分け隔てなく隣人でいたい。しかし今でも外国人が増えたり、行き来が盛んになると治安やゴミ、公衆道徳など多くの課題が噴出する。同胞には自分自身のことのように隣人だと即肯定できたとしても、問題を抱えた大量の外国人が押し寄せてきた前で、それを貫くことができるのであろうか。今からやたら心配する必要はないかも知れないが、少なくともその時には、この国がリバイバルを経ており、しっかりと聖書と神に祈って決める国であってと思う。 「しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。」(ルカ6:27)のみ言葉とともに。 ケパ