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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

西坂 now‥‥

2017年02月08日 | 祈り
最終目的地は、ここ 西坂の丘

最後に十字架刑の時までを丁寧にレリーフの人物を指差しながら、説明されます


今回は殉教祈りのツアーに参加できて祝福でした。

西坂の丘が、主の臨在で満ちていた事を思わされました。
さらにここで今一度祈りの時、したかったのですが、私達はここまで

ギリギリ5時5分前、5時5分発の長崎空港行きリムジンバスに乗ることでき(2時間前)ました。


感謝します(((o(*゚▽゚*)o)))♡ ドルカス


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時津

2017年02月08日 | 祈り
ここは少し短めの滞在です。

この港の沖に深夜舟を止め陽が昇る前に港に降ろされました。この地はキリシタンの多く住む土地でしたから、用心したのですね。奪い返されると。

説明をやはり私達に必要なポイントをお聞きできました。
ここはゲッセマネ。夜を過ごした時津です



ここから1人の姉妹が、船で空港へ向かいます。一足先にバイバイ〜〜


そして最終目的地の西坂へ向かいます

ドルカス

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彼杵その二

2017年02月08日 | 祈り
しばらく歩きます。

長崎教会の方々とおしゃべりしながら歩きます。

ここに書かれてある以上に

私達に必要な事を話してくださいました。


海辺でしばらく

お祈りと、黙想、聖書をとそれぞれ神様との交わりのよき時間。

再びバスで移動。
お隣さんにおやつ頂きました。

抹茶味です。ご馳走様でした。

そして時津へ向かいます。

ドルカス



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彼杵その一

2017年02月08日 | 祈り
着いて早々にトイレタイムと、道の駅でお食事です。お野菜もお安く!お食事も郷土料理的な

ケパさんの彼杵定食。¥680
ちょっとつまんだ

そして私は、つみれとクジラのお肉が一枚入った〇〇定食 ¥500

🍙は一つケパさんのお皿へ移動

それぞれ美味しかったね〜 ドルカス



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山本村で

2017年02月08日 | 祈り
祈りのツアー最初に訪れた、山本村

山本川で船に乗せられここまで来ました。
ここでルドビコ少年に、奉行の寺沢半三郎が、世にある命を諭しました‥が


このストーリーは、アニメーションで見ることができます。後程アドレス貼ります。あるいは、ブックマークで紹介しますね。

ここで説明を聞き

しばらくお祈りの時。


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2回の殉教記念聖会

2017年02月08日 | 祈り
毎年は2月5日に行われます。その日でしたから。今年は主日と重なったために7日に行われました。

西坂の丘公園で、6回目ですが

こんなに晴れやかなお天気は初めてと、メッセージ前に話されてる、長崎教会木原牧師ですが、本当に青い空と暖かな陽射し乗り込み午後。

賛美ささげ喜び、特別賛美を聞き、メッセージてさらに恵まれました。

オンライン配信で見てくださったかしら。

夕方は、路面電車で移動、


平和記念会館で、夜の聖会でした。

ご一緒してるなは、T姉のおばさま。今日がお誕生日でして、おじいちゃんの介護ずっとされて、少し前に天に帰りました。
Tちゃんはとても感謝してました。労いの気持ちも含めてプレゼントの長崎でした。
すっかりお友達になりました。

夜の聖会には更に会衆賛美で喜び満ちます。特別賛美もありお二人の長老牧師メッセージで、恵まれました。


ホテルには9時過ぎなので今回はお弁当用意しておいてね。
見て見て❣️この豪華そうなお弁当

開けてみると

これケパさん食べたいとケパさん用でしたが、ちょっと安いお弁当私用が

豚角煮弁当を、それが私が食べますと交換しました。


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今日は祈りのツアーに

2017年02月08日 | 祈り
昨夜のblog出来ずで朝になりました。後ほどプレーバックしたいと思います。


今朝は昨日できなかった、西坂の丘で早天しました。
主の十字架の全国から集まった方々が朝の早天に見えてます。

私たちはレリーフのある右側の小高いところで祈りました。ここが良いとケパさんが座ります。確かにここでした。

7時前にホテルへ戻り、一番に朝食。
そしてパッキングを急ぎ、チェックアウト


バスターミナルのロッカー利用。その足で長崎教会へ


教会では賛美で礼拝しました。ハレルヤ
♪天の賛美です。東京オンテオケ教会の前田さんがギターで導きます。

臨在満ち溢れです。

ストップしなければいつまでもいつまでも賛美し続けそう。

9時過ぎにはバスに乗り込み、出発しました。

31名参加です。

イスラエルチームで親しくなったサンディエゴ教会のT兄もご一緒です。

ドルカス

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イスラエルのシロで③・・・・「幻なき民は滅びる」

2016年11月21日 | 祈り
「幻なき民は滅びる」(箴言29章18節 文語訳聖書)
ここを新改訳聖書では「幻がなければ、民はほしいままにふるまう」と訳しているが、文語訳の出典はKJVと呼ばれる欽定訳英語聖書からである。ずいぶん違うようにも思えるが、考えてみれば、民がほしいままに振る舞えば民や国は滅びるわけで、私にはさすがはKJV、かえって適切なもののように思える。
(Where there is no vision, the people perish.)
聖書で幻(Vision)とは、神の言葉、特に預言を指す。またこの神の言葉の成就には、信仰がなければならない。

シロで「この地は、パレスチナ、それともユダヤ、いったいどちらのもの?」と思った際に、私は重大なものを見過ごしていた。どちらが先住民であるかのような世的なことではなく、信仰の視点である。(写真は、嘆きの壁と言われる神殿の西壁に達したイスラエル軍)

1948 年、イスラエルは約二千年近くの時を経て、国を復興させた。再来年には七十歳になる。世界の民族興亡の歴史で、未だかつてこのような復活した国はなく、人類史上未曾有の出来事である。誕生するまでにシオニスト運動などがあったものの、ナチスによるホロコーストという最大の悲劇が、民族の悲願として、国という形に結実したものと信じる。

しかしなおかつすごい、と思わさせられることは、ユダヤ教徒として、ユダヤ人としての民族性である。私は森繁久弥のミュージカルは観ていないのだが、ブルーレイで「屋根の上のバイオリン弾き」を観て、ある意味、ショックを受けた。
舞台はツアー専制下、ロシアの片田舎である。今私たちの群れが関わっている、ロシア系ユダヤ人そのものである。

ロシア革命は1917年なので、物語はちょうど今から百年前になる。映画に出て来る彼らは、どんなに農作業に明け暮れていても、常に四隅に房をつけた律法通りの服装である。家に入るときは必ずメズーサに触れながら入り、安息日にはそれこそ今でもエルサレムで見れる、超正統派特有の山高帽にロングのフロックコートを着込んでシナゴーグに集まる。
地元ロシア人は異教徒なので、決して深入りのおつきあいはしない。映画では互いに握手することさえビクビクもので、律法遵守が生活に徹底していることがわかる。

もし日本人がアメリカに移民をしたりしたら、ユダヤ人とは大違いであろう。一刻も早く現地の人と親しく交わり、生活に溶け込み、その国の○○人として生きようとするだろう。そうなると数世代後には、その地に日本人など一人も存在しないはずである。ところがユダヤ人は違う。何世代、何千年経っても相変わらずユダヤ人としての存在し続ける。だから彼らは決して溶け込まぬ存在として迫害される。
関心を引いたのは、ロシアの片田舎に住んでいようと、追放されても、ニューヨークとかに行き先を確保していることであった。常に迫害や困難を予測し、世界各地にユダヤ社会のネットワークを形成して備えていることが見てとれた。なるほど彼らは生き抜くために情報にたけ、金融や商業などに強いわけである。

この違いは「Vision(幻)」があるかどうかである。言い換えれば、信仰があるかどうか、だ。ユダヤ人は、信仰の父アブラハムが神の約束を信じ、神に聞き従って、行方を知らずして旅立った結果の信仰の民族である。神の独り子キリストを殺したイスラエルの不信仰に、神は亡国と離散という裁きを下しても、決して見捨てたわけではなく、預言者を通しイスラエルの復興を説いた。だから聖書の民は世界をどんなに流浪しようと、神の言葉の幻を持ち続けユダヤ人であり続けた。シェークスピアの「ヴェニスの商人」、オペラ「屋根の上のバイオリン弾き」でも、ユダヤ人は世界どこでもユダヤ人として独自性をいささかも失うことなく生きて来たのだ。そして今、彼らは神の言葉、預言の成就としてここに戻ってきたのだ。(今から三千五百年前のシロに置かれた幕屋の模型)

「幻ある民は(決して)滅ばない」。この地に立って、どんなに世界から非難されようとも、幻を離さないユダヤ人は神の言葉を成就していくだろうと思わさせられた。霊的イスラエル人であるクリスチャンたちと共に。
ところで私たち日本人に、幻は、あるのだろうか?


ケパ
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イスラエルのシロで②・・・・この地は誰のもの?

2016年11月18日 | 祈り
シロの丘の頂上部には、シロの歴史を映像で観せる、銀色でハイカラな円形の建造物がある。そこに行けば、シロ近辺が一望できる。私は今回、間を見つけて近くの兄弟姉妹に問いかけた。「皆さん、ここから見える(パレスチナの)土地は、一体、誰のものなんでしょうね?」(写真では遠景にその建物が見える)

この際、ちょっとだけ説明をさせて欲しい。
シロは地理的には、ヨルダン川西岸、パレスチナ自治政府の中央部にある。このヨルダン川西岸というのは旧ヨルダン領で、旧エジプト領だったガザと同様、六日戦争の結果、イスラエルが占領支配をした所である。

こうして元は一つであったパレスチナに住むアラブ人は、三つ別れてしまった。1948年にイスラエルが誕生した際に、国外脱出しての難民の道を選んだアラブ人、自分たちの土地を離れずイスラエル人として生きる道を選んだアラブ人、そしてこの西岸自治区のようにイスラエルに占領され国を失ったアラブ人。
このヨルダン川西岸地区は、イスラエルの占領支配を経て、PLOのアラファト議長の下、粘り強く数々の抵抗の後に自治権という和平を得て、現在のパレスチナ自治政府となったのだ。

しかしその際の和平案が複雑怪奇である。この地は三つに分けられた。住民の住んでいる町だけ、それは全土の18%しかなかったのだが、行政も警察もPLO(現パレスチナ自治政府)のA地区。これと同じぐらいの行政はPLOだが、警察権はイスラエル軍のB地区。残り六割近くが行政も警察権もイスラエル軍だ。つまりパレスチナ自治区は上図の通り、自分たちの住まい近辺以外はほぼ、イスラエル軍に握られている。これでは国の体を成していない。そんな状態で国連やアメリカが、ヨルダン川西岸のイスラエルの支配地区にイスラエル人(この場合はユダヤ人)の町を作ることを違法として非難しているのだ。しかしイスラエルにとっては、AとかB地区以外に建設するのであれば、先住民族である自分たちのものであり、これは何ら違法ではないのだ。

国連やアメリカも、西岸自治区はパレスチナ人の土地なので、ユダヤ人が勝手に町を作り、この地を蚕食するのはけしからんとパレスチナ自治政府の肩を持った。しかしユダヤ人にとって、実はこの地こそ本来ユダヤ人の地なのだ。シロ、ナブルス(シェケム)、アイ、ヘブロン、ベェル・シェバなど、これらは聖書の重要な土地であって、すべてパレスチナ自治区にある。つまりヨシュア率いるイスラエルが最も初期に占領支配し、神に約束されたイスラエルの土地として確立したのは、実はまさにここ、この地なのだ。こここそ、元々は(三千五百年ぐらい前から)イスラエルの土地なのである。だからイスラエルは二千年の時を経て、帰ってきたのだ。つまり大家の留守の間に勝手に居座りを続けて、今まさに居住権を主張しているのがパレスチナ人、アラブ人と言うことになる。イスラエルから見れば、この地は絶対に譲ることのできない、神が約束された土地なのだ。(写真はシロの遺跡+公園の入り口)

「この地は、一体、だれの(どちら側の)土地なんでしょうか?」・・・・周囲の人々にそう尋ねながら、実は私自身も答えあぐねていた。何とか平和的に互いが共存できないものだろうか? しかし入植そのものがパレスチナ人の怒りを買っている現状では、それも難しいのだ。(神殿の丘を嘆きの壁から見る)

神殿の丘はもっと先鋭化している。ユネスコがアラブ人のものだと断定したようだが、誰がどう見てもそこはダビデが神に示され、ソロモンが神殿を建てた場所であるから、たとえ不在でも所有者はイスラエルである。破壊されようと、世界に住まうユダヤ人唯一の神殿跡にモスクを建てるなどとは、これは平和のことではなく、永遠の争いの種になるのは当然なのだ。


ケパ
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イスラエルのシロで①・・・・この地は誰のもの?

2016年11月14日 | 祈り

今回のイスラエル派遣でシロに行った。シロはエフライム族の長であるヨシュアが占領したイスラエルの地理的心臓部分である。四十年間シナイ半島を放浪した幕屋はここに居を定め、以後エルサレムに移るまでのおよそ二百年、全イスラエルの宗教的、政治的な中心となった所である。 だから聖書を学ぼうとする者にとっては、是非とも行きたいところである。しかしシロは、現在はパレスチナ自治政府の真っただ中にあり、ここにはアメリカや国連が非難しているイスラエルの入植地(自治区の中にイスラエル人の町を建設すること)の場所で、係争の火種になっているところなのだ。

だから正直、今年ツアー日程にシロが載っていても、私は本当に行けるかどうかは五分五分、御心次第と思っていた。昨年は直前に中止となっていたし、今年もエルサレム神殿の丘を巡ってのアラブ人のテロや、シロ近辺でもシロ近辺で事件が起こっていたからだ。しかし主は幸いなるかな、なんと、今年はOKである。感謝!


シロへの道は以前より渋滞し、道路の拡幅工事が行われていた。エルサレムから北北東50キロの地に位置するシロ、行く度にガイドしてくださるナホルさんが私たちを待っていてくれた。(幕屋の説明しているナホルさん。) シロはアーモンドの木で満ちている。アーモンドは桜と見まごうほど、見事な花が咲く。春にここを訪れたらどんなに美しいことだろうか。 今は実が熟し、収穫の時であった。 私たちが訪問した時、シロはイスラエル軍の若き兵隊たちがたくさん居た。そして彼らが私たちに「Welcome to Israel」と声をかけてくれた。が、それを聞きながらこの言葉に私は、此所は【Palestinian:アラブ人のパレスチナ(自治政府の地)でなくて(Israel:イスラエル)の地である】という意味があるように感じた。ナホルさんによると、彼ら兵隊は学習で来たと言うことだった。 「そうか、イスラエル軍はマサダ(ローマに滅ぼされようとしたイスラエルが、最後まで抵抗して全滅した砦)で入隊式を行うだけでなく、イスラエルの歴史を実地に教え、精神教育を怠らないのだ」と感じさせられた。戦いにおける強さというものは、精神面も重要な要素である。同時にこの入植地の問題は、そうとう長引くことも予感させられた。・・・・続く ケパ


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