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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

月曜日から

2018年09月06日 | 祈り

月曜日、写真ニュースでP牧師が東京に戻られると知った。そして翌日は台風の為、羽田、成田それぞれの関西空港便が欠航するとニュースを見た。

火曜日、関西地方を大型台風21号が通過した。かつてない程の威力。場所によっては風速51~速度の台風は、家屋を剥ぎ取りビルを破壊し車を薙ぎ倒し、日本海へと抜け、関西国際空港そして大阪市内など多くの被害を残した。

私達も、都内から帰宅中のⓂ️東西線車内から、ますますの強風と、江戸川、荒川の水位と荒れた水面を見た。

P牧師が昨日のうちに帰られて良かったと感謝しホッとした(被害をテレビで見てたら、P牧師は何と主に愛されておられる。また、信仰的なお方だと思わされた)

水曜礼拝。いつも程の暑さではなく🚲を軽快に走らせて出掛けた。

礼拝後、お掃除と休憩と学び会が行われ、夜の2つの祈祷会では、深く主に感謝し祈った。(私達には至福の時)

そして今朝、iPhoneで始めて深夜に起きた北海道の、地震を知った。震源地は震度7。全道に渡る範囲でライフラインが危うい状態。
山が崩れ、家ごと土砂に押し流され、樹木が動いた。液状化した道路はうねり、水道管が破れ水が溢れ出る。所により地盤沈下して住宅が倒れ、商店の品物は床に散乱し、多くの犠牲者が、思わず身震いした。
まず、北海道在住の姉妹たちの安否が気になり祈った。そして全道の為に祈った。


先週の金曜日、都内に虹と雷が同時に出たと、Instagramでみたのだろうか、これは何の しるしだったのだろうか。

今はメディアで情報が手に取るようにわかり、すぐに祈りが始まる。
反面、わからない事には不安が走る。
なんて身勝手なのだろうと悔い改め、感謝しつつ、さらに祈る。

主よ
これ以上、災害が起こりませんよね〜
と、自然の力の大きさを思わされた。
そして聖書箇所を思わされる。

明日は平穏な日でありますように。
災害の起きたそれぞれの地域の為に、祈ります。ここに居て私に出来る事です。

ドルカス


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2018年08月21日 | 祈り
私は、兄姉そして妹の4人兄妹。姉妹はそれぞれクリスチャンで、両親を天にみおくってから、心配なのは兄。

田舎にいる頃は、実家の近隣に住んでたので、何かあると速攻で連絡が来たものです。その都度声の調子で何?何があった?と、ドキッとしてた。

最近は県内在住の妹が連絡してくれる。

19日主日礼拝は、準備中に初めての方がいらした。(会場お間違えでは?と思わず聞きそうに‥‥なんて不信仰)
今は一人住まいの母の為に祈り、繋がる教会を求めていると来られた、韓国在住のクリスチャン女性。母の為に度々帰国されてる様子。お話をお聞きして、その方のために祈る課題が増えて祝福です。


また、牧師には問い合わせ電話の礼拝直前までの対応。
プロジェクター用のパソコンの不具合、
iPadのオンライン配信が途中で中断の対策などに加え、私はiPhoneをどこかへ置き忘れなどすったもんだしてた。

そして見つけた iPhoneに表示された LINEのお知らせに、心が騒いだ。


田舎の妹からのライン
すぐに聞きたいが、礼拝中。
礼拝に集中。奉仕に集中。その中で異言で、心で祈り続けた。兄が無事であるように。

その祈りは神様が支えてくださった。

妹と連絡が取れたのは2時過ぎ。更に、
一人帰省していた甥(長男)が落ち着いて対応し義姉を支えてた。下の弟たちもそれぞれ病院へ駆けつけたようで。

それは身震いするほどの怪我だった事が
甥の電話で様子が分った。
緊急オペは、程なく終わり電話を掛けたらしく、麻酔か冷めた兄と会話し、更に詳しい情報がわかったと。

昨日は妹が義姉と共に病院へ行ってくれたので、慌て駆けつけることを控えている。

レスキュー隊が駆けつけ、病院搬送のためDr.ヘリでとなればね、村中の評判になっちゃったよと。

兄は耕運機を自分で止め、大声で人を呼んだと。(携帯はすっ飛んでいて幸いだった)
その兄に、主の守りは初めからあった。
耕運機が倒れ、太腿、脛に刃が刺さったが、失血は少なく意識があったこと。
民家近くの畑だった事。母達が畑仕事してた頃より知る知人が、ただ事でない助け声を聞き、駆けつけてくれた事。
夏でよかった。田舎は窓を全て開け放してる時期だから叫び声は聞こえる。
駆けつけてくれた人は、怪我などの対応の知識のある人だった。すぐに姉に連絡をしてくれて、状態を見てレスキュー隊を呼ぶなど、適切な処置をして下さった。

兄が自ら刃を抜いたり、携帯で家人を呼び、刃を抜かせたら、失血していたと思われる。
幸いに刃は、動脈と神経を切断しなかったらしい。間違えば、片脚を失ったか、或いは失血で命も危うかったか。と思わされることばかり。

神様は素晴らしいお方です。
救いの告白があっても、未だ神を信じきれない兄を愛して下さってる。
今私達に、感謝し祈り、救いといやしを祈ることを、させて下さる。

兄が天の父の助けを知る。神の愛を知る。自分の弱さ、罪を知り告白する。
そうであってて欲しいから、私は主にその事を告白し祈ります。

木曜日には姉と2人で、兄を見舞い兄のために祈ります。
主は、み翼で私達を覆っていてくださるから、主の助けのうちに私達は行きます。

ドルカス




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広島呉の教会

2018年07月11日 | 祈り
広島県人のケパさんは、今回の集中豪雨が、まさか呉でこれほどの災害があった事に驚いてます。知る限りこのようなことはなかったと。

突然の集中豪雨の爪痕です。呉市の様子を教会の姉妹が送ってくださった写真の一部です。

幸いなことに教会員の方々とは連絡が取れ家も被害はなかったようですが、
いま呉市は陸の孤島のような状態と。

今週になって、気温が上昇し真夏日です。
さらに祈りたいとおもいます。


2年前の白馬キャンプで、四国愛媛の牧師とご一緒に参加された広島呉教会の皆さんのPhoto見つけました。
2週間後。お会いできますようにと祈ります。


ドルカス





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2018年06月23日 | 祈り
昨日は横浜聖会に、いつものように少しのお手伝いに行き、恵みをいただきました。

写真は準備中ですけどね。
今回もGiftsコンサートの恵みもありました。が、私に喜びはまだあったの。

5年間祈り続け求め続けた姪の懐妊。
そして里帰り出産の決意をし、
出産準備で帰省中に、今回の聖会です。


その帰省中の姪をねぎらい、姉宅で共に昼食をしました。私は久しぶりにお赤飯を炊いて持参。


ですから昨日は二重の喜びね。
姪は両親と共に、特別賛美に立ちました。


風のひびき 5-11 あなたの愛にふれ
2月の関東予選会でもやはり帰省中で、共に賛美した曲でしたよ。

あなたの愛にふれて 私はめぐみ受ける
喜び 感謝もって 礼拝捧げます
十字架であらわされた 
あなたの愛は今も あふれて流れて 
私たちをうるおし満たす

これほど大きな 愛があるだろうか
私はあなたの御業を
こころからたたえます


さらに

証しにも立ちました。
信仰の告白をして、神様の語られた言葉握り続けることが出来た。
そして苦しかった悪阻の時も、守られました。今も主のみ翼の中です。
彼女は賛美でずっと励まされていたと。

予定日は、この群れの新年の始まり11 月の半ばです。

それまでの時を執り成し続けますよ。
大事な可愛い私の姪です。

子に恵まれなかった私にとってもとても喜ばしい事なので、報告でした。
ハレルヤ


ドルカス





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国籍は天に

2018年06月09日 | 祈り

6月に入り、3人の男性が次々と天に召された。
敬虔なクリスチャンで医師を通し主の癒しを体験されてた方。
長い間病いとの戦いがあった、地方教会の牧師、そして
今朝、私はこれから召天式に向かう時、
女性牧師の夫が、昨日天に帰られた事を知った。病との戦いの中ギリギリ救われた、夫の救いを一番に祈られていたので、何より感謝されてた。

その方々は全員、一家の柱であるお父さん達でした。地上の愛する妻、我が子、そしてお孫さんを天でとり成される。
アーメン。
今、天ではそれぞれの方々が、それぞれ執り成しの最強メンバーとされましたね。
皆さんは、天の父の傍にいらっしゃるのです。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。ピリピ人 3章20節

聖書には、このようにあります。


ドルカス




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イスラエル

2018年06月02日 | 祈り
明日6月3日の週報の表紙は
エルサレム古図

昨年訪れた、エルサレム旧市内のユダヤ人地区で📸ケパさんがパチリ。


パソコンデスクトップは、ホテル庭からガリラヤ湖をドルカスが撮った画像。

今年も募集が始まりました。


申し込みはこちら

ケパさんと二人揃って経済の許す限り行きます。と告白して、昨年まで続け恵まれました。 いろいろなこと学び語らる、素晴らしい🛫派遣です。

私達今年は執り成し隊として、参加の予定。
いやぁいくことを諦めているのではありません。主にここへ来なさいと言われたなら行くのですが、必ず行きます。
さあ出て行きなさい。
と示される時が必ず来るから。

ガリラヤ湖は、まるで故郷へ帰るような場所ですから〜〜

皆さんも是非、祈って見てくださいね。必ず行きます。と告白しません?


ドルカス









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神の最善は人の思いを超えて

2018年05月25日 | 祈り


前回、「叶えられない祈り」を書いたきっかけをすっかり書き忘れていた。

実は私には前妻との間に娘が二人いる。いるのだが、二人は私との関係を断って十年になる。父としては断腸の思いだ。しかしどんなに私が娘たちを案じ、連絡しても、娘たちは固く関係を絶つように言い遺されているらしく、今もそれを忠実に守っている。しかし私は決してあきらめず、娘たちとの回復を神に祈り続けている。

そもそもこうなったのは、前妻が四十歳で拒食症を再発し、その命を守るために、私が檻の中に入院させたことから始まった。入退院を繰り返す中で、次第に入院期間が長くなり、退院を願う前妻に対し病院は「あなたの夫の許可が出るまで」と押し止めるようになった。

私は退院させない、憎いひどい夫になった。真夜中に「あなた、今すぐこんなひどい所から出して!」とか、「今から飛び降ります。責任はすべてあなたにあります」と言うような電話が再々かかるようになった。
そんな電話を受けて、どうして心が平静でいられようか? 慌てて真夜中に病院に駆けつけると、「真に受けたの?」と冷たく一言で切り捨てられる。何も言えず、私はその場に座ってしまう。
妻の命を守るため、子どもたちのため、私はどんな憎しみの対象になろうと、妻が生きてくれるなら、引き受けた。

それも数年して、医師からの長期強制入院要請があり、悩んだ末、私がサインを拒んだ途端、私たちは病院から見放されてしまった。家に居る妻。家庭が檻の中のようになった。入ったのは私である。言葉を交わせず、(互いに、なのだが)心を閉ざした妻。娘たちだけには、まだ母をやってくれている。私にとってはそれだけでも救いだった。

こんな風にして十年経てば、前妻の憎しみは飢え苦しむ己の体に、または退院を許さない夫に向けられているようでいて、実はそうではないことに気づき始める。時々覗かせるこれまで見たことのない人格、召天した母への激しく常軌を逸した執着。母の後を追って、どこか判らぬそこへ所へ行きたがった。
キャラクターのある霊的な存在が幾つも彼女の中に潜んでおり、凶暴にも支配していることがだんだんわかるようになった。前妻は囚われた被害者であって、戦う敵もその中に居た。その相手にとって、こうして正体がばれることは非常にまずいことであった。

そういう訳で、長女の大学進学を機に、ついに前妻は「癒やされに行く」とマイホームを人に貸し、私一人を田舎の私の実家に置いて出て行った。ここまでどんなに祈り、耐えたつもりでも、家庭が壊れて行くのを止めることが出来なかった。無力感とただ残る哀しみに、唯一の希望、癒しを求めるようになった。

そもそも私は前妻をどうしょうもなく愛していた。なれそめだが、クリスチャンなり立ての二十歳の夏、初めて教会で会った瞬間から、「この女性と」と固く心に決めていた。しかし彼女からは色よい返事はなく、傷心のあまり広島に帰ってからも諦められず、27歳になって、とうとう諦めきれないので、いっそ改宗して、カトリックの修道士になる決心をした。この四月にはいよいよ、イエズス会に入ろうとした二月、それまで六年も音信不通だった前妻から、突然の電話が鳴った。神様はどうしても私を、カトリックには行かせたくなかったようだ。

そんなこんなで、私にとってはまさしく夢のような女性で、有頂天になって結婚した相手だった。だからたとえ病を発しようと、それが原因で私をどんなに憎み、遠ざけ、拒んで遠くへ移住しようと、別れたくはなかった。たとえ金だけを送るマシーンとなっても、耐えなければならなかった。けれども見た目は何一つ報われることなく、娘たちをも私から引き離したまま四年後、前妻は胃癌で召天した。

このように述べれば、いかにも私はけなげな、美談風の良い夫のように見える。確かに私は前妻の癒しと家族の回復を祈り続けた。時に神に叫び、時に絶望しながらのたうち回った。
しかし私の真実は、そんな綺麗ごとではなかった。自分が良い夫で被害者ように思われたい、同情されたい、そんな偽善面と計算があった。自己憐憫の感情にも溺れていた。時間と共に自分を哀れみ、愛も冷えて行った。

家族と教会を失った私は、信仰的にもおかしくなり、普通の精神状態ではなくなっていた。若くもない五十過ぎのこの人生、この先には何も希望の持てることはない。「何もかも失って俺一人だ」、報われていない、そう思い出した。
ついに私は、新聞記事に載るほど罪を徹底的に犯して、身を滅ぼしたくなっていた。滅ぼして、自分を捨てた家族に腹いせをしようとしたのかもしれない。今でもそんな記事を見ると他人事ではなく、その時を思い出してゾッとするのだ。

もう少しで私が悪霊に身を渡そうとしたその時、神が私に幻で触れてくださった。どれほど私が罪深いかを気づかさせられた。自己中心の罪。偽善の罪、獣のような肉欲の罪に。

すると深い悔い改めが私を包み、日時がわからなくなるほどの悔い改めに・・・・聖なる神に、ただあわれまれることでしか助からない自分の罪に・・・・そうして三日後、突然、神ご自身のメッセージ「どんなにわたしがあなたを愛しているか、この時を待ち続けていたことか」という言葉を受けた。驚愕し体がガタガタ震えた。悲しみの涙はこの年月の間にさんざん流したが、歓びと感動の涙は初めての経験だった。

この時から私は180度何もかも生まれ変わって、カリスマ派になった。生きて働かれる神に聞き、神に人生を喜んで捧げた。罪がわかって、神が愛してくださったことが、心からわかったからだった。叶わなかったものの、妻に対しても、自分を義とし被害者にし、傲慢だった。心を閉ざさせた責任は私にある。謝罪をしなければと、心から思うようになった。

ーーーーーーーーーーーーーーー
パウロの誓願は叶えられなかった。私の妻への祈りも届かなかった。しかし神はパウロ同様、私の人間的な祈りをはるかに超えて、神に捧げた素晴らしい人生を、献身と結婚を与えてくださった。自分がどれほど罪人であるか、この長い戦いがなければ決して自覚することが無かったと思う。すると、悔い改めない私を、神があわれんでくださることもなかったであろう。
これは叶えられない祈りがあったからこそ、開かれた素晴らしい人生だった。

そして私は信じる。同じように、愛する娘たちへの祈りも、必ず最善に変えられることを。
※最後まで読んでくださった皆さん、神の計画は、人の思いを超えて最善です。あなたの切なる願いと祈りが叶えられなかったのであれば、それにはるかに勝る神の計画があるからです。神は愛です。信じて喜んでください。神は真実な方です。

"涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。
種入れを抱え泣きながら出て行く者は束を抱え喜び叫びながら帰って来る。
"
(詩篇 126篇5~6節)



ケパ






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叶えられない祈り

2018年05月23日 | 祈り
私たちの教会で1日1章という聖書日課がある。今週で使徒の働きが終わるのだが、今回ほどこの「使徒の働き」を読んでいて、心が動かされたことはなかった。それは「叶えられない祈り」だった。

パウロは、クリスチャンになったその土地の人々に対し、きちんと救われるためにはユダヤ教に改宗しなければならない(それが割礼を受けるという意味)という圧力阻止には成功した。だがこれは同時に、ユダヤ人と異邦人が一緒になって、一つの教会形成をすることに、かなり深刻な分裂問題を抱えることになった。(たくさんの手紙を書いたパウロの1シーン)

同じクリスチャンでありながら、律法に縛られない現地の人々と、律法に従うユダヤ人が同じ屋根の下に居て礼拝する・・・・ことすらかなり問題であり、まして一緒に食事をしたり、安息日の規定を守ったり・・・・するのは不可能である。だから本家エルサレムからアンテオケにやって来たユダヤ人のクリスチャンにしてみれば、共にやっていくために、まず割礼を受けるよう勧めるのは当然でもあった。
(※ユダヤ人クリスチャン=メシアニックジューとは、聖書の救い主がイエス・キリストであることを受け入れた律法を守るユダヤ教徒であり、新約聖書中心で、律法から解放されたとするクリスチャンとは実際の対応が全く違う)

こうした教会内の一致問題(結局はほとんど非ユダヤ人の教会となり、今日のキリスト教が始まった)に心を痛めていたパウロが、そのことを願い祈っただろうがまず一つ。
次にパウロは、同じユダヤ人が、異邦人以上に真に救われること=信仰義認をどれほど願っていたことか。これが二つめ。ケンクレアで終わらせたパウロの請願とは、だいたいこのようなものであったと推察される。(福音は全世界に)


結論から言えば、パウロの誓願は叶えられなかったし、二千年経った今現在でもそうである。むしろ逆行する情勢に、どれほどパウロは落胆しただろうか、容易に想像できる。
神には全人類を救うという、とてつもなく大きな計画があり、十字架の真の救いは、一民族宗教としてのユダヤ教から脱皮せざるを得なかったのである。パウロの切なる願いと祈りは、叶わなかった。叶わなかったが、捨て置かれたのではなく、福音が世界全体を一周し、その仕上げという終末時代には、ユダヤ人はユダヤ教徒からアニックジューとなり、さらに真のクリスチャンとなるはずだ。
一つの見方だが、パウロはおそらくこのような神の計画を、コリントかケンクレヤで直接神から聞き、それで誓願を終わらせた可能性もある。

**************

私の周囲には家族が癌の末期で、癒しの奇蹟を日々祈り求めている人が複数おられる。医学的には緩和ケアの段階であり、奇跡を求めているのである。神は全知全能であり、私は奇蹟を信じる。しかしたとえ奇跡が起こらなくても、パウロのように、神の計画は人間の思いをはるかに越えて高いことをも信じている。当然の願いと祈りが聞かれなくても、最善が成されたのは間違いない。信じる者には、永遠のいのちが約束されており、ほんの一時の後に、また会うことは変わらないのだから。

クリスチャンには、希望が溢れている。


ケパ






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空は薄青く、鳥の声がこだまする

2018年05月21日 | 祈り
戸外がすてきな季節になった。
昨日の礼拝後、近くのドトールのコーヒー(私は黒糖ラテ)で休んだが、店内より外のテーブルの方がずっと快適だった。空気が良いだけでない、光とその影、風の織りなす広い視界が良かった。近年は気候が変わって、戸外が良いこんな気候は短くなった。今のうちにしっかり楽しんでおきたい。

と言うわけで今朝の早天の祈り、外でした。
とは言っても完全な戸外でなく、ベランダの一角に椅子を置いてだ。けれども、気分は完全に外である。朝が明けた戸外は光で輝いている。今朝の薄曇りの空も目に優しい。風がさないので肌にも穏やかである。何より鳥のさえずりが、こんなにも響いて、あちこちから聞こえるのかと改めて思う。光が射すと見える世界が戻る。薄暗い中で空腹に目覚めていた鳥たちは、この光をさぞ待ち焦がれていたことだろう。夜明けとともに餌を探して飛び回る鳥たちのさえずり、これは命の賛歌なのだ。

鳥たちだけではない。
朝を待ち焦がれた羊たちの様子が聖書に出て来る。
(ミカ書2:13 この事について5月14日のこのブログ・・・聖書からの「示し(レーマ)考・・・の後半で触れている)
日暮れとともに石囲いの中に閉じ込められていた羊たち、夜明けと共に朝一番の草を、それこそ我先に先を争って食べようとする。きっと羊飼いが開ける出入り口の前に、押し合いへし合い、先を争って詰めかけているはずだ。何しろ朝一番の草は特別だ。朝露という極上のおいしい水スープ付きで食べられるのだから。
イスラエルという半乾燥地帯において水は貴重だ。朝一だけは、やわらかく露たっぷりの若草を食べられるのだ。(そのイメージ)

私も子どもの時、一頭の雌山羊を任されていたので、毎朝草場に連れて行くのだが、それが遅くなると山羊のご機嫌が悪かった。動物は食べ物にとりわけご執心だ。きっと早朝を楽しんで祈ったりするのは、人間だけの特権なのだろう。今朝は祈りの後、ウィリアムズ作曲の「揚げひばり」というヴァイオリンとオーケストラの曲まで聴いて、とても恵まれた。




ケパ








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明日は聖会

2018年01月18日 | 祈り
明日は船橋に於いては、11月の新年度から初めての聖会です。(主の十字架では、新年度は11月から始まります。)

今日はその準備でした。チラシは昨日準備出来た。まだ忘れている事はないか?

そして聖会が終わると2月第1週には
白馬 J.Gospe コンテストの関東予選会です。そして翌日は長崎で殉教記念聖会に参加します。


色々と行事が続きますから、
ソファーに座っている時も、音を確かめながら賛美し祈ります。

明日の為ケパさんと二人で
感謝し祈りました。
祝福満ちた聖会となりますように。
来られるお一人お一人の為に。

み心の奉仕となりますよう、願い求め祈りました。

ドルカス





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