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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

本当の感謝を知った

2018年08月30日 | 感謝

感謝と賛美のこの群れに居て、マーリン・キャロザース、この人を知らない人はいないだろう。しかしマーリンさんの説く真の感謝を受け取れていなかったのは、私だけのことだろうか?(マーリン・キャロザース)

黄色いこの「讃美の力」は、以前も読んでいたはずなのに、今回調べごとのついでに再読して、驚いた。私は全く分かっていなかったのだ。正確に言うと知的に、上っ面だけ理解していた。(マーリン・キャロザース著「讃美の力」生ける水の川出版)

これは聖書の次ぐらいに重要な本である。よく「感謝とか讃美は霊的なもの」と言われる訳も分かった。例えば「感謝します」だが、この群れでは「悪いことにも感謝する」、一見信仰的な対応であるが、私はたとえ悪いことであっても、感謝すれば、その先に神の素晴らしい祝福が来るので、感謝していたのだった。

しかしこれは、本当には感謝していないと言える。なぜなら私は神様と取り引きをしていたからだ。「感謝するから、その見返りをよろしく(^-^)」と。これは決して報われないとマーリンさんは断定する。取り引きであって真の感謝ではないし、そんな取り引きに神は応じない。

ただ、あるがままを感謝する。何の願いも含みもなく、それ自体を神が許されていることを心から喜び、感謝する。賛美する。ほめたたえる。これが真の感謝であり、私は出来ていなかったのだ。

この感謝の土台は、どれほど自分が罪人であり、福音がどれほどの恵みであったか、思い知ることによる。だから極めて霊的なのだ。悪霊は真の自分の姿を偽らせるからだ。典型例はエバに向かってヘビが言った、自分にとって良いと思えるものは取れ、だ。自分を高め、良くしたいがために、私たちは罪に墜ちるのだ。感謝も、結果として自分を良くしたい、それが含まれてはならない。

だから過ちに目が覚めて思う。ただただ感謝しよう。病が、あるいは経済が、何がどんなになったとしても、救われ永遠のいのちを与えられた恵みには、取るに足りないものである。死さえも、ようやく天に行け、主とお会いできる喜びに満たされる瞬間である。感謝して、その後何か事態が好転したとしたら、それは単に結果に過ぎない。

たとえ私が千人の人を救い、万人の人を癒したとしても、それは私の手を通して働かれた神の働きである。管に過ぎない私はひとりの人も救っておらず、ひとりの人も癒してはいない。すべては神の栄光と力である。ただ主をほめたたえる。何という恵みだろうか。

"いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。"
エペソ人への手紙 5章20節




ケパ




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残念ながら

2018年06月30日 | 感謝
今日の池袋J.GISPEL フェスは、残念〜〜
オンライン配信がありませんでしたね。
つまんない〜〜
とぼやいてはいけない。あぁ〜〜1人で勘違いしてました。確認もしなかった事、感謝です。そして見れない事も感謝します。

と言うわけで、それでも情報は?と探してたら、ん


Instagramに、情報満載してました。



「thevisionjgospel 」

で、見ることできます。

そして出かけなかった私たちの午後は、
これ❣️

バナナ🍌と🐿くるみトッピングの特大ホットケーキで、コーヒータイム〜
お腹は大満足でしたね〜〜感謝します。

ドルカス




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慌てない焦らない

2018年05月29日 | 感謝
昨夜のblogアップをしようと文書を書いてたケパさん。
なかなかアップ出来ず、
日にち変わってしまいましたが、

暫くお待ちくださいね。
ケパさん書きます

応援団のドルカス







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初めて電車の席を譲られ、命の使い方を思う

2018年05月16日 | 感謝
近くでの聖会の帰りの電車でのこと。シルバーシートでもないのに、初めて座席を譲られた。今風の若者が私をちょっと見て、「譲るべき」と判断されてしまった。初めてだったが、ありがたくお礼を言って、ドルカスの隣に座らせてもらった。ひょっとしたら、ドルカスの連れと言うおかげがあったのかも知れない。東京の電車では、夫婦や親子連れには皆さん、よく配慮してくれるのだ。(譲って立ってくれた若者の後ろ姿)

しかし今回は、ごく若い人が純粋に敬老精神で譲ってくれたと思う。今更ながら、(心は若いのだが)高齢者として認められる年齢になっていたのだと思う。母は長く生きたが、父は61で、前の妻は55で世を去った。これらの身近な人は譲られるほどではなかった。

一方私はこうして、相応の老化はあってもすこぶる健康で、席を譲られる年齢にしていただいた。神が生かしてくださっているこの命、ただ長く生きていれば良いとは思っていない。私には為すべき神の仕事(使命)がある。命はそのために神が置いてくださっていることを知っている。

席を譲られたこの日、改めてそれが全うできるよう、強く祈った。





ケパ






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我々のための動物

2018年05月09日 | 感謝

人間が生きるために必要な動物がいる。羊、鶏、牛、馬、豚を五蓄と言って、家畜の代表的な動物である。これらはエデンの園では必要がなかったのだが、神があらかじめ人のために創造し備えてくださったものである。

進化論を信じている人には、例えば豚はイノシシから家畜として改良されたと思われてはいるが、たしかに交配させ、イノブタという一世代目はできる。しかしその次にイノブタ同士を交配させても次世代はできない。つまり進化した種として存在することができない。だから進化論者なら言いそうな進化したのではなく、豚という家畜も、神が人のために造ってくださった存在なのである。

私たち日本人にとっては、あまり馴染みのない家畜に羊がいる。鋭い牙もなく、角があって戦い用ではない。敵から逃げる脚力もない。羊は人間に守られ、飼われ、役にたって存在している。つまり、羊は人間のために造られた生き物(家畜)なのである。この羊は私たちにウールを提供してくれているだけではない、その体中、何ひとつとして無駄なところがないという。我々人間のために造ってくださった神に感謝しなければならない。

一昨日のNHKで、罠猟師の番組があった。獣害に一役かっているのだが、私が興味深かったのは全国的に鹿など、増え過ぎた獸は捕獲してほとんど焼却している事実である。もったいない、鹿肉にしたらいい、と言う話も聞こえそうであるが、話の種に一度食べてはみても、人々は続けて食べようとはしないとのことだった。私自身、イノシシ肉を何度か食べたことがあるが、強い野生の味がして、やはり牛、豚の美味しさにはかなわない。

本日の聖書の通読箇所(使徒の働き10章)で、神はペテロに、夢でユダヤ教では食べることを禁じられているあらゆる動物を見せ、そして彼に、
「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」と命じられた。(10章10~13節)

これは異邦人にもペンテコステ(聖霊降臨)がくだされる示しであったが、福音がユダヤ教をパスし、世界宗教であるキリスト教を誕生させるという、神の壮大な計画のスタートでもあった。

この日、この個所の日の夕食に、私がユダヤ教で禁じられている豚肉を(全く意図してはいなかったのだが)おいしく食べ、これらを与えてくださった恵みを書いている。偶然はないので、本当に神様に感謝である。



ケパ





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ホッとした瞬間

2018年03月31日 | 感謝
昨日午後1時、解約の為にガランとした部屋に来られた
管理不動産の方は入るとすぐに、

綺麗だ〜。と感嘆の声をあげました。

嬉しい一言でした。
私達はいつも水曜日には皆で掃除をして、今月の水曜日はいつもより特に念入りに、隅々まで掃除をしました。
最後まで気持ち良く使用し返したい。

そして最後に祈りました。
どうか、オーナーさんに、私たちの思いが通じますように。すべて主に委ねます。
そして少しでも多く〇〇が戻りますように。

最終の家賃は、この敷金戻り金で払いたいと思ってた。またライブ配信に使うための、機材資金となりますように、最低額〇〇は、戻りますようにと、切に祈ったんです。
教会の皆さんも共に祈りました。
そうです。御心なら叶うのですから^_^

夕方牧師に連絡が入りました。
「5月には口座へ返金いたしましょう」
オーナーさんはすぐに見に来られ、即答されたようです。クリーニング代のみで OK

なんと❣️
神さまのご計画はここにもありました。すべてに従いどのような事も受け入れそのようにします。と、
その思いが与えられてから、全ての事に主の御手がありました。
時にはギリギリで用意されましたけどね。

今日はホッとして、少しの時間を自然の中でゆるりとしたいな〜と、思わされ

習志野市の谷津干潟でしばらくの間ね、自然の中で充電できた。


さあ明日から、新しく始まる〜始まる。

皆さん明日の、主日礼拝は
勤労市民センターです。私たちが初めて船橋に遣わされて、礼拝した場所です。
午前10:00から、明日はオンラインで配信が出来ます。USTREAMからですので、このブログの、ブックマークからお入りくださいね。


ドルカス






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昨日の水曜日は

2018年03月29日 | 感謝
今日は一日引っ越しの事で動き回り、なかなか心が定まらず

いま昨日の事がやっと書けます。

28日にケパさんの書いたこれら不用品は、27日の夕方にはまだ少し残されていました。

たまたま事務所で片付けていたケパさんはちょっと気になると、会堂へ戻りましたら、ちょうど荷物を取りに来ていたようです。
ところがとんでもない勘違いをされていてベランダのサンシェードを取り外していたのです。はっきりと日本語を理解されてなかったようで、危うく持ち帰る寸前でした。
大家さんとの約束を伝え、これは❎を理解してもらえたようで、私達は神様を崇めました。示されて行った時、ギリギリ守られました。

そして水曜礼拝は、この会堂で最後の礼拝でしたが、その残された説教台と椅子がありましたから、不自由はありません。
他には、聖餐の準備と、角笛と音源を流すスピーカーがあればよい

まず奉仕のためのお祈りから

こみ上げる事が多く、つい声がウルウルしましたが

ガランとした会堂で、賛美は素晴らしく臨在がありました。


さらに夕方から祈祷会、勿論いま遣わされているチームの為にの祈りも忘れません。感謝と賛美連鎖祈祷では、

最後は会堂をくるくるくるくると皆で感謝と踊りですよ〜〜

そして引っ越しの今日のために、なんとm姉から頂き物ですけどと、回転寿司の商品券が、先に用意されてました。

遅めの夕食は、ごちそうさまです。
私達は🍰🍮🍨代のみお払いしだだけで、🍣をたっぷり頂く恵みを、主に感謝しました。

何も思い煩うことは何もないと、天の父が言われたことは確かであると、主を崇めます。

ドルカス




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極上のコーヒー

2018年03月13日 | 感謝

そばでドルカスがコーヒーを淹れていて、良い薫りがほんのりただよって来る。このすごくよい薫りは特別に霊の友が送ってくださっているもので、近場のカルディやジュピターで少々はずんでも手に入らない代物だ。それでたいへん申し訳ないと思いながら、その好意にただ感謝していただいている。


こういう恵みは直に返すのもちょっと、なので、おすそ分けというか、たらい回しにすることにした。それで今朝、教会自転車としてこれまで置いていたものを、事務室移転につきこの際整理し、都内のある姉妹にこれを贈呈することにした。26インチのメーカー品のママチャリ(下の写真はほとんどそれと同じもの)なのだが、全体を清掃し、空気を入れ、必要な所に注油整備した。

その上で我が家のプリウスのバックシートを倒すと、ちょうど収まってくれたので届けるのに助かった。この自転車が明日から姉妹の仕事や教会通いのお役に立ってくれれば、それはそれですごくうれしいことだ。コーヒー豆をくださった霊の友様、私たちはコーヒーを淹れる度にご好意を思い出し、おいしくいただいています。どうか喜んでください。

 

受けるよりも与えるほうが幸いである (使 20:35)』とはイエス様がよく言われた言葉らしい。実際それは本当であると思う。

恵み受け、たらい回しの、神の愛  ケパm(_ _)m

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実家で

2018年02月27日 | 感謝
この白馬キャンプが冬夏にあるので、その都度上田市内の実家へ寄る恵みがある。

今日の浅間山は穏やかにあって、

夕暮れの頃に到着。実家には
父と母健在の時と同じように、暖かく迎えてくれる兄夫婦がいる。

昨日は兄達の40回目の結婚記念日だったので、姉と一緒にサプライズで
💕おめでとう🎉ありがとうと、花のプレゼント。
とても喜んでもらえ、こちらも嬉しがった。

そして、兄は待ち望んでいたパソコンのわからない事を一気に聞いてる。
ケパさん。いつもありがとう〜〜

明日は何時に出ようかと、そろそろ休みます。


ドルカス





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神は愛される者を計画的に訓練される

2018年02月23日 | 感謝
六十台の後半に突入し、途中で一休みのように自分のこれまでの日々を振り返る時、その歩みのすべてに神の手を感じ、無駄がなかったことを知る。

病になってからの前妻との、あの辛過ぎるすべては、確かに己の罪深さと無力さを知らされ、絶望のどん底に一旦は沈んだが、その時神は私をあわれんでご自分を現してくださった。神の愛が分かることほどの価値あるものは、この世で無いのではなかろうか。超、超ラッキー、果報者となった。またこの事を通し、心を病む愛すべき方たちと、少しでもより添えられる者とされた。

教師時代は、どういうわけか、ADHDのはしり(世間の認知がまだほとんどなかった時代)に先導役として関わったり、最終的には自閉症の特別支援学級の担任として立つことができた。この経験が何の役に立つのだろうか、と思っていたが、とんでもない、牧師としてこれほど得難い経験はなかったと今は思っている。(今日、走っていて赤信号で偶然先行車の見たことのないラベルに目がとまった。何とAutism Awareness [=自閉症を理解して]だった)


以下は趣味の話である。ピアノは姉に引っ張られて八、九才で始めたものの、すぐにやめてものにならなかった。と思いきや、今はそれが少し用いられており、楽しいし、何よりもこれ、脳にいい刺激を与えてくれるのがわかる。ぼけないと思う。


テニスは十八から始めて、もうすぐ半世紀近くになる。鈍足運動音痴だった私が、この年ぐらいになると、何を見紛うてか、足が速いですね、と誤解されての評をフフフと喜んでいる。テニスによってどれほど健康が与えられているか、計り知れない。

しかし私はこれらの全ては、これからの日本のリバイバルに備え、神がそのために与えてくださっていることを知っている。そのためのもので、決っして私自身がウフフと悦に入ることではない。私は牧師になる者として世に生まれ、育てられ、長じては訓練された。それがハッキリ分かる今は、心から愛するお方に、感謝があふれる。(祝祷)

†ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。



ケパ



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