goo blog サービス終了のお知らせ 

ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

映画「武士の献立」

2013年12月16日 | 映画•映像

Photo_2  封切りして数日の映画「武士の献立」を観た。

 このCM画のように、コミカルorアットホームなものかと思いきや、シリアスで男女(夫婦)の感動もので、良品の映画だった。

 武士と料理という組み合わせの、単に興味を引くだけのドラマでもない。加賀藩のお家騒動を背景に骨太のドラマに仕上がっていた。

 これはぜひ観てほしいと思った。ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画 キャプテン・フィリップ

2013年12月02日 | 映画•映像

1  今日は封切り新しい映画「キャプテン・フィリップ」を観た。これは名優トム・ハンクスが、実在の船長 リチャード・フィリップスを演じた実話の映画化である。
 2009年4月にアメリカの貨物船マースク・アラバマ号が、東アフリカのソマリア沖の海上で海賊の襲撃に遭い、乗組員の身を守るためにリチャード・フィリップス船長が自ら人質の捕虜になり、解放されるまでの4日間を描いた海賊事件の映画だ。

 特にヒーローがで出るわけではないが、4年前のソマリア沖で頻発した海賊事件がこうして映画化されると
は興味深かった。印象深い映画シーンとして、「どうして命をかけて海賊をするのか?」と船長が問うと、「沖3合には巨大な船で魚資源をごっぽり取っていく外国漁船がいるから」と答えるシーンがあった。一見正当性を主張しているように見えるが、よく考えるとそんなことは理由にはならない。貧しければみな泥棒になっていたか?そうではない。要するに金稼ぎの正当化に過ぎない、

 船長役のトム・ハンクスが20名の乗組員の身代わりになったのだが、なんだか逆にエゴイステックな世の中に、船長のような責任感、自分を犠牲にしてでも他者を助けようとするところに、「ホッ」とするような感覚がしたのは、私一人だろうか?   ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

42~世界を変えた男~

2013年11月18日 | 映画•映像

42  ピーター・クボタのオススメ映画紹介で載っていた映画を本日、観た。
 館内に入ってみると、本当に良質な映画にふさわしく・・・・席の取り放題~ガラガラに空いている・・・・状態だった。

 この映画はほとんど実話で、大リーグに初めて黒人選手が登場した話だ。アメリカの国技とも言えるベースボールはアメリカ人の誇りであり、黒人がその中に初めて登場するとなると、まだ保守的な
Jakkie時代、特に南部などでは<激しい嫌悪・人種差別>を受け続けることになる。これはそれに屈せず、耐えがたい忍耐を積み重ね、真の勝利を得た映画化だ。これを切り開いた黒人大リーガーとして、ジャッキー・ロビンソン(写真中は実際の本人)は確かに歴史を変えた人物であろう。

 「(どんな屈辱にも)やりかえさない勇気」=超人的な忍耐。それはいったい何の力があっての故だろう?と思わないではいられない。


 この映画の真のテーマは「聖書」であると私は感じた。たとえば、対戦を拒否する相手球団オーナーに対し、ジャッキーのドジャース球団のオーナ-(ハリソ ン・フォード)は相手に、「やがて来る神の裁きの前に立った時、自分は黒人を差別しましたと言うがいい」とはねつける。この映画には随所に<神の前に人は平等である>という聖書の教えが見られる。あまり前面には出ていないが、クリスチャンであるジャッキー本人もまた同様に、「神の前では」という土台を持っての「対等」意識の所有者であったと推察する。
 神の前に人は平等であり・自由であり・左の頬を打たれるなら右の頬を出せとするような博愛を強くアピールする思想あるいは宗教としては、キリスト教以外にないのではないか。豊臣、徳川の封建君主は、君主以上に神に従い、神の前に平等を信じるキリスト教徒に脅威を感じた。今日の世界は、たとえ信者で有る無しに関わらず、このキリスト教倫理に根ざした価値観を共有している。


Bible_36 【つけたし】
 映画を観ていくにしたがい、球場で「ニグロ、猿は出てけ」と罵倒する白人の方が、どうしようもない愚かであわれな人間に感じられてくる。逆にジャッキーに手を差し伸べ、一人の同じ人間として接しようとする選手の方にプレーだけでなく、人間としても優れたプレーをしていると感じさせられてしまう。つまり偏見や差別を持つ人間とは、実は心が病んでいる者であることがわかる。

 映画の中で、野球場でジャッキーを罵倒する父や周囲を見て、息子もいっしょに罵倒する群れに加わっていくシーンがあった。つまり享受している文化も病んでいることが多い。私のごく若い時分にもまだアメリカでは、レストランやバスに「White」と「Colored」という専用の出入り口があって、「いったい我々日本人はどちらを利用したら良いのだろうか?」と話し合ったことがあった。とうぜん有色相当なので面白くなかったのだが、一説によると日本人だけ特別待遇で「White」らしいという説明に喜んでいた自分が、今となっては情(なさけ)なく思い出す。  ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少年H

2013年08月17日 | 映画•映像

 主人公の妹尾Hは、両親が聖霊派に属するブラザレンの教会員の家庭である。だからこの映画の両親夫婦は聖霊派らしく、信仰が生きていると感じさせるシーンが幾つもある。
 印象的なシーンとして、テサロニケ書の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさ
Hい。すべての事について、感謝しなさい」の聖句が家の中心にどーんと大きく貼られていたり、戦時体制下で教会は石を投げられガラスを割られたり、学校ではHの机に嫌がらせの落書きが連日書かれる。真のクリスチャンは迫害されるのだが、それを地で行っている。それでも少年Hはたくましく生きて行く。

 

 映画の中で特に関心を持ったのは、戦況が厳しく日に日に軍部のコントロールが厳しくなって行く中、父が子に語るシーンがあった(以下言葉はは不正確ですが趣旨は沿っているはず)。
「いいか、このような時勢だから、踏めと言われたら踏み絵を踏んでもええ。心の中で信仰さえしっかり持っとればええ。」Hは父の意図がいまいち飲み込めなかったが、言わんとすることは分かったようだった。
 これに対して母は異なった態度だった。夫に反し、踏み絵は踏まない。つまり御名を否むことなく、迫害を正面から受けとめようとしていることは明らかだった。しかしそのような父も、Hのうっかりが原因で特高からの厳しい拷問は受けなければならなかった・・・・。

 

 この夫婦の意見の違いは、これから迎えるであろう終末の艱難時代とリバイバルの時代、神を信じるすべての家庭と個々人に、古くてかつ通らなければならない決定的な分かれ目となることだろう。はっきりしていることは、聖書によるとこれから迎える艱難時代、獣(けもの)の像を拝み、その刻印を受けるものは、裁かれる(神の国へは行けない)ことは明記してあることだ。
 Hの父のように、『拝んでも、またたとえ刻印を受けても、心の中でしっかりと信仰をもっとけばいいんじゃ」では、残念ながら永遠の火の池に落とされてしまう。今のいのち(ウン年、十年するとやがて尽きて滅んでしまうのだが)を大切にするか、またはたとえ死んででも生きる永遠のいのちを取るか、その容赦ない選択を迫られる時が来る、その備えをしていかなければならない。もっとも弱いわたしには、祈りしかないように思えるのだが・・・・・  ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今夜はこれ

2013年08月16日 | 映画•映像

今夜はこれ
 先週に引き続きですが、またしてもシネマです。今夜は「少年H」話題作です。

そして、上映されるのは「PREMIER SCRMIR」 ここです。場内に入り座ってみたら、なんと座り心地よい椅子。前席との間も十分あって、ゆったりと映画を楽しめそうです。感謝!!ドルカス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛のかたち について

2013年08月13日 | 映画•映像

 「終戦のエンペラー」「風立ちぬ」は、終戦というこの時期にぶつけられた秀作映画だ。それなのに本来、本筋とは関係のないはずの男女の愛がそれぞれのテーマ、「天皇の戦争責任」「零戦」に色濃いく織り込まれている。映画は娯楽なのでしかたがないと言えばそれまでなのだが。

 

 ところで一般的には男女の愛には出会いがあって、一目惚れするかまたはいつしか恋になり、困難を乗り越えて互いに結ばれていく・・・・が理想であるし、ほとんどそのパターンになっている。おませだった私が関心を持ち始めた子どもの頃、両親にそういうパターンを期待して「なれそめ」を聞いたことがある。
「お見合いで、暗い電灯の下で、顔を一度も上げなかったので、妻になる人の顔がわからない」まま結婚したのだそうである。私は二度とそれから両親に聞くことはなかった。ただ「ああっ、愛のない男女の間に自分は生まれたのだ」とひどく落胆した。そして自分は、決してそんな結婚はしない!と決心した。

 

 そんな思いに凝り固まって成長したので、お見合いはもちろんあり得ない。自分の理想の女性との出会いを期待し続けることになった。描け、と言われたら絵でも文でも彼女を描けたと思うが、それ以上に、出会いとか性格の詳細まで完璧に凝り固まっていた。ところが「事実は小説よりも奇なり」という言葉があるように、現実とは恐ろしいもので(※わたしはこれらはすべて神のご計画であったことを後に知ったのだが、この時はこのような言い方でしか言い表せなかった)、二十歳で学生運動に挫折してクリスチャンになった半年後、突然、そのホンモノが、私の状況設定通りに登場することとなった。
   かんたんに説明すると、ある日の教会の礼拝後。急に賑やかになるのだが、会堂の最前列に座っていた私に後方、会堂入り口の辺りの女性たちの声の中に、あの低いアルトの声を聞いたのだ。驚いてふり返って見ると、そこにあの、寸部たがわぬ女性が立っていた・・・・・。
Cgh07

 それから7年して、いろいろあって、互いの指さえ触れぬままで二人は結婚した。二人の娘まで与えられて、幸せな結婚なはずだった・・・・・のだ。

 その女性とは今のドルカスだ、と言いたいところだが、残念ながら別人だ。すでに推察されている方もいるかも知れないが、ドルカスとの結婚はまったく白と黒、正反対のものになった。そこに、痛切な痛みの歴史と、悔い改めがあったことを想像していただきたい。今にして思えば私は、自分の夢を追っていただけの、エゴイスティックな人間だったのだ。

 ドルカスとは、互いの伴侶を同じ胃がんで天へ送ったことが共通点だった。それ以外は「知人の妹」と言うだけで、顔だけは知っていた。ところがそれまで、神様が私にあらかじめ予告し、忍耐させた上、さらに「アイアイサー、あなたが導かれる女性であれば、たとえどんな女性であってもめとります」と告白させられていた。言い方は悪いが、「拒否権ナシ、人間的な愛情ナシ」なのだ。


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 どうか若いみなさん、映画では上等な恋愛を見せてくれますが、多くの場合、相手を愛しているつもりでも、実は自分の夢を相手にかぶせているだけではありませんか。少しだけ、自問自答してみてください。人が人を愛する、それって異性が関わってくると実は超困難なことです。

 ですが、イエス・キリストという本当の神を信じてください。この方は真実、人間を愛し、究極の愛、十字架にかかってくださいました。人間をそこまで愛してくださる神は全知全能の神で、最善の道を歩ませてくださるのです。ただ神に従うことが、多くの人の場合、できないのですが・・・・。

 私が正反対の選択、自分の目でも思いでもなく、ただ神の選択に従ったことは、どれほど正しかったことでしょうか!現在、わたしほど幸せな夫はいないことでしょう!神は実際的にも、こころから神を愛し、従うものを祝福してくださるのですから。  ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風立ちぬ・・・・宮崎駿 様

2013年08月09日 | 映画•映像

Photo_3  この美しいアニメ映画は「大空への夢」と「生きる」がテーマになっています。
 しかし夢は戦争の傑出した武器となり、無残な焦土と化しました。映画ではふれていませんでしたが、特攻機になるとは誰が想像できたでしょうか?そして「生きて」と菜穂子が言ったことばは、「生きねば」という、堀越二郎へのメッセージともなっています。しかし主人公は夢も菜穂子もすべてを失って、ただ「生きる」しかないのです。

 世界に冠たる長寿大国となった今の日本には、「生きねば」ではなく、「どう生きているのか?」が問われているのです。わたしはそれが気になります。自分の命をただ消費し、尽きておしまいにするのでもなく、戦前のような、誤った「国家主義」で「滅私奉公」「忠君愛国」でもなく、命を超えた命以上の価値を、各人が見出し、次世代に伝えていく必要があります。しかしそれはナント、人間の力では届き得ないのです。

 映画では、二人は右イラストの「いずみ」で互いの心を知ります。堀辰夫の原作に劣らず、男女
の純粋な愛に心を打たれるシーンです。ただそれには、菜穂子のSpring「祈り」がありました。

 最近聞いたある牧師のことば、「人は愛されて安息し、愛して満足する」とはその通りです。これは「人は神に愛されてはじめて絶対的な安息を見い出し、神を自分以上に愛してはじめて心から喜びをえる」という意味です。願わくば親子、男女という人間の愛よりはるかに優る、神の愛という「いずみ」によって、永遠に生きる喜びがわれわれに注がれますように。   ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画鑑賞 その2

2013年08月08日 | 映画•映像

引き続き観た映画は、「風立ちぬ」です。アニメの巨Photo_2匠、宮崎駿監督の作品。先に観た作品もこの作品も実在されてた人物の作品でした。それも似たような時代背景。

 

宮崎駿巨匠のこの作品について・・・など云々はとても私に書けるものではない。

  

 少年の飛行機をつくる夢が青年となり実現したのはゼロ戦・・・この時代でなかったらどのような夢の実現だったのか、なんて思ったり・・・ 

 ユーミンの曲「ひこうき雲」を懐かしく聞いたり、緑豊かな軽井沢を思い出して、あのホテルって!とか、そうそう確かにクレソンは軽井沢に自生していた・・・、たしか堀達夫の別荘があったって・・・、などと思い出しながら観てました。

前回の作品よりこの時間に鑑賞した年代が若い層。それでも20名ほどかな・・・ドルカス

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦のエンペラー

2013年08月06日 | 映画•映像

Photo  昨日、映画「終戦のエンペラー」を観た。最近宮崎アニメの零戦の物語「風立ちぬ」がヒットしているようだが、わたしはそれはそれ、ぜひこの秀逸な「終戦のエンペラー」をみなさんに一度は観て欲しいと思った。

 まず第1に題名の通り、終戦と昭和天皇の戦争責任問題がテーマである。これはハリウッド映画だ。だから戦勝国アメリカ側から見た、偏ったものかと思ったがとんでもない、少し心配になるぐらい実に公平に史実を踏まえたものだ。そしてわたしがオススメする第1の理由として、映像という圧倒的な情報量を背景に、今に至る戦後日本の理解が相当進むということだ。

 第2に父との確執そのものの映画だった。

 わたし自身としては「天皇戦争責任」について、帝国海軍人であった父との確執を思い出し、年を経たこともあるが、父の世代の天皇崇敬がかなり?理解が進んだ。戦後生まれのわたしに、戦前育ちの染みついたものが理解できるはずがないのだ。しかし映画はそれを強力に説明する。
 これはわたし自身の過去の一コマである。

 今は大昔、十代だったわたしが、ある時父に「あれだけの犠牲者を出し、『天皇陛下万歳』と死なせて行ったその最高責任者である天皇陛下に、ほんとうに戦争責任はないのか?」と詰め寄ったことがある。すると父は言下に否定し、「陛下が戦争を終わらせられたからこそ、今日のわたしたちがある」と言い放った。それを聞いたわたしは「終わりじゃない、はじめたことが結果のすべてなんだ。父は何を言ってるんだ」としか思えなかった。しかしこの映画を観るなら、わたしたち父子の違いもよくわかる展開になっている。


 第3に人間天皇がある。
 これはハリウッドの映画なので、欧米式の価値観にもとづく天皇の戦争責任のなぞ解きの映画でもある。しかし主人公がどんなに占領軍の威光をかさに、あらゆる武官・文官・侍従たちの誰に聞
いても容易に答えが出ない。ただ一つ確からしいことは、戦争を終わらせるために、その御前会議で陛下が異例中の異例、はじめて判断をくだしたということだけだった。しかしそれではあまりにも証拠が乏しい。(左写真は映画のもので、実際の写真と酷似している。つまりそれだけ時代考証にこだわり、事実を求めた映画つくりとなっている)

 結局マッカーサーが命じたなぞ解きは失敗に終わった。それでも日本の降伏時の条件、共産化防止、統治上の先行き不透明さなど諸般の事情から、天皇の戦責は問わない方針に進むのだが、それでもマッカーサーは、自身の売名のためか、決断の正しさを確認したいためか、最後に天皇に会って人物を見ておきたかったようだ。
Photo 何度も親から聞かされてきたことだったが、映画の終わり、たった一度のマッカーサーと陛下の会見において陛下が、戦争の責任と所在を明らかにして言う。「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねる」・・・・確かにこれでわたしは全身、胸がつまったのだった。父の日本、無駄じゃなかった、誇りに思えた。

 今の日本人は、あの時代までの日本人とはまったく異なった民族になった。この映画は、その原点を明らかにしてくれている。まったく福音はなく、真の意味で幸せではないけれども、一応わたしたちは再び立ち直ることができた。そして今、この日本のたましい、霊の救いが急務となり、立ち直されなければならない時が来てはいないか。
   ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は、映画鑑賞

2013年08月05日 | 映画•映像

今日は、映画鑑賞
宮崎アニメの「風たちぬ」をA さんがフェイスブックで紹介していたので、これ観るの?と、思ったら、まずはこれ。「 終戦のエンペラー」 第2次世界大戦終戦時の後始末、天皇陛下と国民を、米国がどのように考えて決断していったのか、事実をもとにした映画でした。

シアターにきている方々は、年配の方々が多いなぁ。

映画の内容ですが、くわしくはきっとケパさんが話してくれそう。 観おわっての感想は、ひと言では言えないのですが、私たちの年代で、何となくわかる内容ですね。是非ご覧ください。いい映画ですよ。ちなみに、今回は堂々シニアチケットで観ました。 ドルカス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする