ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

42~世界を変えた男~

2013年11月18日 | 映画•映像

42  ピーター・クボタのオススメ映画紹介で載っていた映画を本日、観た。
 館内に入ってみると、本当に良質な映画にふさわしく・・・・席の取り放題~ガラガラに空いている・・・・状態だった。

 この映画はほとんど実話で、大リーグに初めて黒人選手が登場した話だ。アメリカの国技とも言えるベースボールはアメリカ人の誇りであり、黒人がその中に初めて登場するとなると、まだ保守的な
Jakkie時代、特に南部などでは<激しい嫌悪・人種差別>を受け続けることになる。これはそれに屈せず、耐えがたい忍耐を積み重ね、真の勝利を得た映画化だ。これを切り開いた黒人大リーガーとして、ジャッキー・ロビンソン(写真中は実際の本人)は確かに歴史を変えた人物であろう。

 「(どんな屈辱にも)やりかえさない勇気」=超人的な忍耐。それはいったい何の力があっての故だろう?と思わないではいられない。


 この映画の真のテーマは「聖書」であると私は感じた。たとえば、対戦を拒否する相手球団オーナーに対し、ジャッキーのドジャース球団のオーナ-(ハリソ ン・フォード)は相手に、「やがて来る神の裁きの前に立った時、自分は黒人を差別しましたと言うがいい」とはねつける。この映画には随所に<神の前に人は平等である>という聖書の教えが見られる。あまり前面には出ていないが、クリスチャンであるジャッキー本人もまた同様に、「神の前では」という土台を持っての「対等」意識の所有者であったと推察する。
 神の前に人は平等であり・自由であり・左の頬を打たれるなら右の頬を出せとするような博愛を強くアピールする思想あるいは宗教としては、キリスト教以外にないのではないか。豊臣、徳川の封建君主は、君主以上に神に従い、神の前に平等を信じるキリスト教徒に脅威を感じた。今日の世界は、たとえ信者で有る無しに関わらず、このキリスト教倫理に根ざした価値観を共有している。


Bible_36 【つけたし】
 映画を観ていくにしたがい、球場で「ニグロ、猿は出てけ」と罵倒する白人の方が、どうしようもない愚かであわれな人間に感じられてくる。逆にジャッキーに手を差し伸べ、一人の同じ人間として接しようとする選手の方にプレーだけでなく、人間としても優れたプレーをしていると感じさせられてしまう。つまり偏見や差別を持つ人間とは、実は心が病んでいる者であることがわかる。

 映画の中で、野球場でジャッキーを罵倒する父や周囲を見て、息子もいっしょに罵倒する群れに加わっていくシーンがあった。つまり享受している文化も病んでいることが多い。私のごく若い時分にもまだアメリカでは、レストランやバスに「White」と「Colored」という専用の出入り口があって、「いったい我々日本人はどちらを利用したら良いのだろうか?」と話し合ったことがあった。とうぜん有色相当なので面白くなかったのだが、一説によると日本人だけ特別待遇で「White」らしいという説明に喜んでいた自分が、今となっては情(なさけ)なく思い出す。  ケパ

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