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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ピロリ菌を除菌するぞ

2017年08月04日 | 健康・スポーツ
市の健康診断では胃の検査で、バリウム飲んでのレントゲンと、内視鏡検査のどちらかが選べる。私たちの敬愛する牧師は、バリウム飲みを美味とし、味わって飲まれる達人のようだ。そこまではいかないものの、私も結構ガマンで飲める方だったので、いつもバリウムを選んでいた。

ところでレントゲンで<結腸ガンの疑い〉とされ、結局大腸の内視鏡検査を受けなければならなかった経験から、この手の検査はサッサと内視鏡を受けるに限る、と思うようになった。そこで今回の検診では、どちらかを選択できたので内視鏡を選んだというわけだ。(※内視鏡は少しだけ費用がかかる)

今回の検査は鼻からではなく、喉を通る従来のタイプで、咽頭の麻酔から始まる、私にとっては未体験の検査が始まった。人によってはかなり辛いものらしく、ドルカスは嘔吐することもあるという。確かにしんどいのだが、それを今回体験できたのは大きい。

さて結果は「異常なし」だと思っていたら、胃壁が炎症のように赤くなっており、「ピロリ菌が疑われ、その生検に出します」とのことだった。で、「(名前、聞くことはあったけど)ピロリ菌って何だ?」状態に。しかしまあ、検査結果で「➕=あり」判定が出てから、それから真剣に考えようと、生来の呑気さが出てしまっていた。

さて本日検査結果を拝聴し、結果は見事「➕」をいただいた。これから七日間、ピロリ菌の除菌薬を飲み続けなければならない。思わず、「感謝・感謝」と。確かにピロリ菌がいなかった方が良かったには違いないが、しかし発見することで慢性胃炎、胃ポリープ、胃炎、特に胃がんの可能性を大幅に減らすことができるとのこと。これは良かったことではないのか。さすがは内視鏡検査…さまさまである。

少し調べてみると、あの強力な胃酸に生き物など棲めそうにないと思うのだが、なんとピロリ菌はそこに巣食っているらしい。ピロリ菌は幽門という胃の出口をピロルスといい、そこで発見されたところから名付けられたものらしい。こいつは有害な毒素を出し、胃壁を弱らせ薄くさせるので、前述のさまざまな病気を生み出す悪いものだ。その上、このピロリ菌、何と五十代以上の日本人の50%以上、データによってはもっと罹患している国民病である。

早速明日からの一週間、大した副作用が出ることなく、ケロッと服用を終え、2ヶ月後の検査では(➖)判定となりますように、主に祈ることにする。しかしまたこれは感謝だなあ、そう思う。胃ガンになってからでは遅いのだから。内視鏡検査、命が惜しいというより、体の管理者として、任されている体をいつでも主のご用に立てられるよう最善の状態にしておくのは、これは任されている管理者としての義務であると言える。検査を辛い、しんどいからと避けていたのでは、天で主とお会いした時に「あなたは私が任せた体の管理に、忠実でありませんでした」と指摘されても仕方ないだろう。


ケパ





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テニス

2017年07月17日 | 健康・スポーツ
私は今でも、テニスが好きである。何もかもすべてを捧げて献身し上京したはずだが、どういうわけか捧げたものの多くが、私の力ではなく今は神が備えてくださっている。学生の時代からのテニスももちろん捧げたのだが、上京後、まだ独身のある時、祈りの中で「血肉の体もリバイバルの備え、再び続けなさい」と示された<聖書においても「肉体の鍛練もいくらかは有益です」(1テモ4:8)とある>。するとすぐに不思議なネットワークに導かれ、杉並でも船橋でも、今日までテニスをずっと続けられることになった。(本日の壁打ちでサービス練習の一コマ)

ところで運動する人は、常に勝ち負けの世界に身を置いているのであって、勝つためには運動しない人よりも自分の体についてはよく関心を払っており、管理しようとする。その結果、私の知りうるところでは、スポーツマンは霊肉ともに健康な人が多いことは確かだ。はっきりした勝負の結果の連続が、偽りの自己像を寄り付かせないのだ。スポーツを通じて、Old-ages be ambitious!(老年よ、大志を抱け)の気力の底支えの意味もあったのではないかと思う。(ボールを追う、打つ)

ところで体は正直なもので、六十代のテニスマンとしては、いやでも体の変化を自覚せざるを得ない。スピードと体力、機敏さと柔らかさ、何よりも動体視力においてである。
ただ私は幸いなことに、単に勝つことだけが目的ではない。私の一番の目的はリバイバルの時代に向けての体の鍛錬、備えである。またテニスによって精神的、霊的にも開放されている面を見る。やがてこの世での使命を果たし終えた暁には、不完全なこの体から解放され、まったく新しい天のからだが与えられる希望と喜び、それが日々強くなって行くのを感じる。体と反比例して、衰えれば衰えるほど、私は次の希望へと、本来の使命に立つ・・・・何という神の配慮だろうか!と思う。




ケパ



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30年ぶりのハプニング

2017年07月07日 | 健康・スポーツ
鹿児島の大隅産うなぎが食台に上った。ずいぶん大きめの蒲焼だ。当然「美味しい、美味しい」とよく噛みもせずに食べていて、瞬間、悪い異変を感じた。

そう、実に久しぶりなのだが、小骨がのどに刺さった感覚である。三十年経っていようと、忘れはしないあの感覚である。それでパン切れとか何かを飲み込んでも、アウトである。
まだ食べ残っている蒲焼を調べて見ると、1cmぐらいの細く透明な小骨がザクザク出て来た。後で分かったのだが、これはうなぎを保護しかつ美味にするため、時間をかけてうなぎを成熟させたため、骨まで堅く太く成長したというわけだ。「これだ、これが引っかかたんだ」と。

そう言えば食べ始めてすぐに、これまで蒲焼で感じたことのない、しっかりした小骨の存在に気づいていた。けれども蒲焼の美味に、要注意が吹っ飛んでしまい、こうして手痛い結果になってしまったのだ。

パンを飲み込んでも「取れない」ことがわかったので、前回の失敗を思い出し、即、かかりつけの耳鼻咽喉科に走った。私のかかりつけの耳鼻科は、探しに探した結果の患者目線No1医院である。
今回の引っかかった場所が右下の、非常に深い所にあることはわかっていた。だから医院で細く小さい骨を探し当ててもらえるのだろうか、心配した。そして診察を受けると案の定、発見は難航した。昔のような目視では到底不可能な所で、私としてはどうなるのかと心配し、まさに祈っていた。
すると医師は両鼻に管を通して、麻酔薬や右鼻から内視鏡を入れて捜索。遂に発見し、鼻から通る長い鉗子を挿入した上、除去に成功!
取り出した小骨を私も見せてもらったが、確かに引っかかった直後に見た、あのうなぎの小骨の仲間だった。

それにしても鼻からリモート操作し、画像で捜索したり、鉗子で取るという、以前では考えられない道具と技術の進歩に感謝した。ついでに申し添えると、まったく痛みがない小手術で、以前の、舌が引き抜かれるのではないかと思うほどの辛さとは無縁であった。それと同時に、江戸時代まではどうやって取っていたのか、想像が困難である。

どんなに小さな小さな骨であっても、刺さったままでは精神的に悪影響を及ぼし、化膿したりするとさらに人体に大きな害を及ぼす。今回、技術進歩に伴う恵みに感謝したい。

最後に一つ、小骨が刺さったような人生の過去における罪は、やはり除去しなければ、心は真の健康になりません。そのチクチク刺さる過去から解放される道があります。キリスト教会ではそのためのお手伝いをさせていただきます。

ケパ

PS
うなぎの小骨の報告を購入先にメール連絡しておきましたら、丁寧なお詫びと見舞いの電話がきました。販売元にも報告をしますと。さらに購入代金は返金させて頂くとの事。感謝します。
治療費には足りませんでしたが‥誠意が伝わりましたので、良かった。
とても柔らかなうなぎの蒲焼でしたから、年配者の方に食べ易いですが、是非とも小骨の注意書きも、一言添えられますようにと祈ります。ドルカス





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逆説的「健全なる精神は健全なる身体に宿る」

2017年03月23日 | 健康・スポーツ
ローマの詩人ユベナリスの詩の一節「健全なる精神は健全なる身体に宿る」が、よく知られたことわざとして世界中に知られている。それだけ洋の東西を問わず、的を射ている言葉なのだ。

日曜日の第七礼拝終了後、つまり深夜になりかけのころ、近くの王手スーパーで買ったお弁当をチンして食べた。その後1時間過ぎたあたりから腹部の膨満を感じ「あれぇ」と思いつつ帰宅した。(※下の図絵は本文とは全く関係ありません)

帰宅後数時間すると、腹部の膨満感にはっきりと異常を感じる状態になった。翌朝は完全下痢状態で「くっ、苦しい〜」と、トイレと水分補給の繰り返しがまる一日半続いた。

この間、覚えているのはドルカスが始終祈っていてくれたことだが、私の方は苦しいばかりで、実際、ほとんど祈れなかった。祈ろうとしても、祈りに入れない。これではいけないと祈っても、情けないことに、続かないのだ。

神の恵みとドルカスのとりなしで、42時間後にはほぼ体長を取り戻せたのだが、不思議なことに、その時ドルカスと観たテレビ映画が「42〜世界を変えた男〜」だった。

改めて思うのは「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の真理だ。それが信仰の世界にも通じるということだった。クリスチャンは健全なる身体をも神に祈り求めなければならない。そうしないと「祈り」という、もっとも重要な恵みを失ってしまうのだ。



ケパ




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花粉ではなく?

2017年03月15日 | 健康・スポーツ

水曜礼拝の後、いつもだったら神学校時間帯に、ケパさんはかかりつけの耳鼻科へ、先週受けたアレルギー検査を聞きに行って来た。

39種のアレルゲンをチェックすると言う検査。長年悩まされているアレルギー反応は、どこに原因があるのだ。
と、お高い検査を受けた結果。
全ての判定は、0 ‥‥
後は、これら検査には引っかからない温度変化によるもの、或いはこれにないアレルゲンだそうで、Dr.は少し首をひねられた。まさかの結果のようです。

これは、困ったけれど、嬉しいような結果

しかしです。
これは祈り求めれば、主が癒してくださると言う症例ですから、

主に委ねて祈りますよ。
何と素晴らしい結果を見ることができる。
早速今日から祈ります。

今月始めにあった白馬スネルゴイキャンブの賜物実践セミナー「いやしの祈り」学んで来ましたからね〜

帰って来て後、しばしの間コーヒータイム

ここは☕️お代わりサービス❣️があるので、嬉しいね。

祈祷会の前に、美味しく頂いて、祈る〜〜

ドルカス




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胃がん検診

2017年03月10日 | 健康・スポーツ
毎年検診の最後の受診は、胃がん検診

田舎にいた時は、ポリープがあるので、毎年ホームドクターの医院で、胃カメラ検査が当たり前だった。
嫌だと思ってジタバタしても検査は受身で、検査室に呼ばれたら、検査台の上で口を開けたらカメラで、私に関係なく終了する。

しかし最近は、胃レントゲンでの検査。

バリウム飲むのが私には苦手で辛くて、
『主よ。助けて下さい。もう飲めません』といつも祈る。すると必ず「もういいですよ」と言われホッとする。
今日もそのパターンで、あと少しと思ったら「胃がしぼんで小さくなってる。膨張剤もう少し飲みましょう」
神様ぁ〜感謝します。と水と共にゴクン。

ケパさんは先に検査したので、
お腹すいた〜〜。〜牛丼食べたい〜。と先に帰ったけれどね。
私は内科で診察とお薬の処方を待ってる。


ローカで見つけたメダカの水槽見ながら

ドルカス





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デンタルIQ

2017年03月09日 | 健康・スポーツ
十年近く、隔週で通い続けている歯科医院で最近
ビックリすることがあった。ブラッシグ指導を受けている際に、歯科衛生士が「この親知らずの歯の横を・・・」と言うのだ。「えっ今、なんとおっしゃいました? 親知らずの歯と?」。
結局、鏡でよくよく確認させていただいた。なんと私にあったのだ。上の奥歯のさらに奥の両側に一つずつ。私は普通に奥歯だと思っていたのだった。調べれば、二十歳前後の大人になれば、だいたいの方は生えるらしいことすら、私は知らなかった。(※昔の寿命から言って、子どもの最後に生える歯を親は知らずに逝くから、親知らずの名がある。)

知らなければ、それは無かったも同じである。歯については、歯の裏側や、親知らずのような口腔の最も奥部について、見えにくいのでわからない、知らない、従ってケアしてやれてないのが実情ではないか。その結果、八十歳になっての歯の残存率に、日本は大きく遅れを取っている。
これは要するに、自分の力や努力では歯をケアしきれないということが分かってないので、痛くならないと歯科医にかかろうとしない(つまり、健康な歯がダメになってからでないと治療しようとしない)結果である。しかし八十歳まで生きれたとしても、歯がフガフガで満足に噛めず食べれず、話し方もおぼつかないでは、せっかくの命もベストでなく、少しもったいないではないか。

実は私こそ、歯槽膿漏で危うく歯を壊滅的に失うところだった。入れ歯をしてみて、話すことにも不自由さを感じたし、入れ歯自体が残っている健康な歯を痛め、今後も負担をかけ共倒れになっていく怖れを感じた。それだけでなく、歯槽膿漏をどこかでブレーキをかけなければ、親がそうであったように早晩、自身が総入れ歯になることは確実だった。

逃げるだけの人生は必ずやられるし、第一それではふがいない。攻めなければ勝利はあり得ない。特に献身の召命を受けた54才以降、私の歯医者通いは毎週のように始まった。その結果、私は歯の(健康)維持には、歯医者さんとの連携無しに、絶対無理であることを、身にしみて証できる。痛いから行く人は、やがて総入れ歯になることを覚悟する必要がある。歯無しになりたくなければ、下記動画を参考に、定期的に通い始めること。そのような歯科医院を選んで行かれることで、ぜひ自分の将来を守っていただきたいと思う。
(下の絵をクリックすることで、デンタルIQの動画が再生されます)



ケパ






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五十肩と老いと希望と

2017年01月27日 | 健康・スポーツ
一ヶ月以上も前から、右肩に痛みを覚えるようになった。テニスで高めに弾んで来たボールを、さらにドライブで打ち返そうとした瞬間、突然だった。いつもなら難なく打ち返せるそのショットが、痛みのために、ただ当てるだけのヘナヘナショットに。不思議なもので、高めのフォア(右)へのショットだけが痛くて打てない。別に寝違えた記憶もないし、原因がわからず、これは単なる「筋肉痛だ」と思い、しばらく様子を見ることにした。(この手の高いショットが痛くて打てない!)

しばらくして良くなるどころか、最近異変が起こるようになった。冷え込んだ朝方、右肩に痛みを感じて目がさめ、それからおちおち寝れなくなったのだ。一週間我慢して、今日ようやく病院に行った。私が思ったような筋肉痛ではなくてその一種、「肩関節周囲炎」という病名、早い話が五十肩なんだそうだ。突然やってくる症状で、それがずいぶん遅れ、早期高齢者になってやって来たようだ。それで人並みに「老い」を意識させられた。(処方された湿布薬と塗り薬)

テニスをしていて、50歳までは何の衰えも感じなかった私だが、歓迎していないのに、衰えのスピードは少しずつ加速度を増して行くようだ。最近若い人と勝負すると、配球や戦略面で活路を見出しはしても、フィジカル面(強打)で押し切られてしまうケースが出てきた。私の打球に威力がなくなり、打ちごろのボールになっているようである。以前にはなかったパターンで、正直、少し悔しい思いがする。

人は必ず老いる。また今までたくさんの方の葬儀を見て来た。血肉の命ある存在は、必ずそれを失うのである。もし神を信じず、肉体の命と共におしまいだと思っていたとしたら、死はどんなに怖い所だろう。
ところがクリスチャンは十字架を信じており、罪が赦され、永遠のいのちの「神の国=天国」への希望に満ち溢れている。肉体の死は、かえって罪の縄目からの解放であり、むしろ喜びの日でさえある。
神の国で主とお会いし、罪も苦しみも解放され、慰めを受けるのである。そして新しく、朽ちない体を与えられるのだ。だからクリスチャンは老人になるとますます希望に燃え、体の衰えに失望しない。

ケパ




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老眼対策

2016年10月15日 | 健康・スポーツ
自分としては、何も変わっていない感覚なのだが、ハッキリと老化に伴う対策を迫られるものがいくつかある。老眼がそれだ。

iPhoneを下取りに出そうと本体を渡すと、店の若い店員が裏の小さく薄い、私にとってはもはや文字とは認識できない、まるでホコリのような型番号を書き写していた。「エエッ、それッ読めるの!」と仰天した。

母を施設に送ったのが、確か私が53歳の時で、もう不要だろうと譲り受けたつもりの巨大な虫眼鏡。大きく厚いレンズで重いのだが、大きいことは広く見れて便利、後には役立つかもしれないとだけ思って東京に持ってきた。今となっては親の遺品はこれだけだ。(写真の中央の二つのうち、右のが私、左隣がドルカス)

その大虫眼鏡、私だけでなくドルカスも一つだけ持参してきたので、計二つ、今では大重宝している。それだけ老眼化が進んで来たのだろうが、とにかく細かいものが見えないのでやむを得ない。

毎日読む聖書、雑誌、PCやiPhoneなどには、その対策としては👓老眼鏡、🔍虫眼鏡の大ルーペ、平べったくて大きなフレネルレンズがある。メガネは外す時に抵抗があるし、フレネルレンズは解像度が低いので、私はシャープなルーペが好きである。もうしっかりと親の大きな虫眼鏡を愛用している。
ところで再近、もっとも大きな虫眼鏡を買った(右端)。レンズがガラスではないので、とにかく軽い。今風に、LEDライトがついているので暗めの所で便利だ。
これが非常に気に入っている今の私の必須グッズだ。広い書面でもあまり手を動かさずに済む最強の虫眼鏡だ。
ただ一つ❣️人を驚かす大きさなので、これがまさに「玉に傷」だ。

ケパ
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あきらめた時が負けた時

2016年09月14日 | 健康・スポーツ
最近趣味のテニスで経験したことが、表題のことだ。
それはシングルスで起こった。相手は見たところ四十代で、足が速く、最近はやりの強いスピンをかけるハードヒッターだった。試合を始めてみると、私は一方的に押され続けた。球が速くて、少しでもサイドに入ると、とても捕球できなかったからだ。通常、こういうケースでは私に勝ち目はない。続けて3ゲームを奪われた時点で勝負をあきらめ、いい練習だと割り切っても良かった。


しかし私は負け続けていたが、勝機を見つけていた。まず経験上、こんな勢いはよっぽどでない限り、ずっとは続かない。あきらめないで、相手が崩れる時までじっと我慢することだ。またそれを促進して実現するために、セオリーであるバックハンド側に球を集めることだ。ただ闇雲にバックに集めると、それが次第に効を奏しはじめて来た感じがある。そしてバックハンドを意識してもらうと、これが効果てきめんだった。バック側に意識が集まると自然、右の強烈なフォアハンドが微妙に狂ってきだすのだ。こうして私は結局勝利した。安心した。

人生もあきらめてはいけない。あきらめた時が、真に敗北した時なのだと思う。リバイバルを私はあきらめず、待ち望む。
ケパ


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