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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

記念日になった

2017年04月22日 | ネコのコールと‥‥
お祈り
天のお父さま。何でも祈ります。
ペット達は罪がないから天に行くはず。と知ってるので、私達のコールに伝えて下さい。(このような祈りはバッテンか?) アーメン

コール
今年から今日は新しい記念日となったよ。
思い出blogは、卒業にしようかと思う‥‥けど、君は私の猫家族で、何しろそれまでは多頭飼いだったから、君ほど密にしたネコ達はいなかったと思うから

一番ユニークで人っぽくて、ハンサムだけど生意気で、よくよく喧嘩した愛するネコだったと思う

何故かケパさんには良い子だったね。

この日も土曜日だったようだね

パソコン開けて、礼拝メッセージ準備中のケパさんの

お邪魔虫したら、チュッ
いつも可愛かったね。

ありがとう。

天のお父様、
私はコールを時には思い出しますが、
あなたの使命(Call)を全うするよう祈り求め続けます。この者をさらに成長させてください。

さあ、もう少し明日の準備残ってる。
思い出に浸ってなんていられないね

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある
〜〜神のなさることは、すべて時にかなって美しい。 聖書の言葉から


ドルカス


コールの事を詳しくは⤵︎

カテゴリー ネコのコール 4月22日


カテゴリー ネコのコール 4月23日


カテゴリー ネコのコール 4月26日






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地域ネコ

2017年04月08日 | ネコのコールと‥‥
週末に行った海老川沿いの桜並木の下で、毎年その場所に来ると出会う猫ちゃん達。

去年とメンバーが同じかどうかはわからないけれど、船橋市内に住むに地域ネコのお食事処の、ベンチ近くです。

ボランティアのメンバーが、時間を決めて(と思いますが)ネコ達に食事用のキャットフードを運んでいる。そんな場所を三、四箇所知ってますが、時間になるとネコ達が集まって来て、まだかなぁと待ってる。
多分その時会うネコ達の健康状態も見てるんでしょうね。避妊、去勢後のネコ達には耳の一部小さく▲カットして、地域ネコか判るように印付きをよく見かける。
これ以上野良ちゃんを増やさず、でも健康で過ごせるようにですね〜。

以前に手術する為の、一時捕獲する時に、飼い猫が紛れないように、飼い猫を外に出さないように触れ書きがあった。
そんな気遣いも必要ですね。

以前私も田舎だったので、外出自由な飼い方をしてたけれど、家の中で自由に上下運動が出来、運動出来る家ならば、問題なくネコ達には幸せな空間で、安全な場所です。
病気怪我から守られますからね。


(僕にもちょっとパンちょうだい)
今はいないコールを思い出しながら、地域ネコ達を見かけては観察しているこの頃。
そろそろ、その一年目が来ます。
ドルカス






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久々に、ネコちゃん

2016年09月06日 | ネコのコールと‥‥
昨日ネコを飼っている東北の友人とのメールで、コールの使っていた(購入後わずかな時期だったけどね)フエルト素材のベット(キャットケイプ)を、使ってもらえることになり送った。 あちらに到着後間もなく
この写真。わぁ❣️頭突っ込んで確認中ね。
と、もう1匹と思ったら わんちゃんも、気に入ったの❓

コールが気に入ってたので、私も気に入っていたので、不要な物だと承知しながら、処分せずにいた。

よかった。ほら中古品でも喜んで使ってくれるネコちゃん達がいたじゃない。

クローゼットの上の段に置いといて、いつかいつかなんて置いたら、ただ古びてそのまま ポイ!の運命でしょう。
もうコールの使命は終わったと感謝したはずなのに、愚かな私はまたいつかなどと変な期待してた。
だから今その思いを神様に渡せたことに感謝した。

東北に台風の時に、彼女にメールしたこと、また導いてくださった事を、主に感謝(彼女は以前に私がネコの大好きなキャットニップを探してるの覚えていて種を送るねと、連絡くれたの)
この写真はちょっと違うキャットミントでも満足げなコールでした。
Kちゃんと家族の皆さん。そしてワン ニャン。ありがとう
ドルカス



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実家です。

2016年07月26日 | ネコのコールと‥‥
実家に着いた時には雨足が強くなり、慌てて家に入り込むほどです。
実家には、真っ黒クロスケの猫がいるのですが
コールの雰囲気を感じ取ってたのか、いつも用心してましたが、今日はね、
こんななのよ。甘えて来てぐるぐるゴロゴロ。こんなことしてもそばでゴロゴロ。
でもね、やはり一番はこの様に姉の膝の中ね。ちょっと雨降りで寒いから、膝がいいのね〜 ドルカス



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猫を見かけて

2016年05月05日 | ネコのコールと‥‥
暖かくなって、猫たちをいろいろ見かけるようになった。昨夜も自宅へ歩いていると、婦人の後を猫がずっとピタッとついて歩いていた。てっきり猫との散歩?珍しいと思って見ていると、途中で一生懸命ニャアニャアと自分をアピールしていて、どうやら野良で飼い主探しをしているようだった。猫も生きるために、必死である。

船橋では「市民猫」と称して猫を管理しながら、世話をしているところがある。きちんと耳の角を切ってある、去勢済みの猫たちがいた。とは言っても猫は基本的には、家族の一員として人とともに生きるようになっている。だから町でノラ猫を見かけるといつも「大丈夫?」と気になる。野良は例外なく幸せそうな顔をしていなくて、寿命も極端に短い。

子供の頃、堤防や橋の下に捨てられていた犬や猫をなんども拾って帰って、見つかっては「もどしてきなさい!」と叱られた。戻すのは辛かった。猫は基本的に人と共に生きているのだから、捨てる人がいないと、野良は発生しない。殺すに忍びないから捨てる。やりきれない話である。どうして次の飼い主を見つけるまでの責任を取れないのだろうか?

もちろん野良猫同士でたくましく生きて、それで増える、ということはあるかもしれないが、基本、野生の猫はいないわけだから、どこかで市民猫のように、支えている人間の存在があってのノラ猫の命である。この国に野良がいなくなる日が来ることを期待したい。それは人間の責任でもある。(写真はパソコン作業を見守るコール)
ところでコールは、本当に恵まれていた猫だった。私たちの心配は、地震などで避難した際のことや、夫婦が共に携挙されたらどうしょう、ということだった。でもそれは心配ないという示しだったし、事実杞憂であった。最後までコールは、猫の身体をしていた大切な家族の一員であった。
私はコールに上から目線ではなく、言葉が通じない相手だからこそよく観察しようとした。本能ならどんな習性を持っているのだろうか?その場の状況と耳や尻尾の動き、鳴き声を。特に目を見て理解しようとした。その成果か、かなり猫との付き合い方がわかり、意思の交流ができるようになった。ドルカスという師匠がいた面もあるが・・・。
結果、たかが猫どころか、その侮れない知恵と、私たち家族という仲間への猫愛を見た。今夜帰りがけに見た飼い主を探すノラ猫を見、もしかして家族から捨てられたのであれば、それは悲しくて想像ができない。

今日も出かけに、「コール、行ってくるよ」と声をかけそうになった。そして彼の長い毛に顔を埋めて寝そべっていたことを思い出した。いい匂いがした。猫毛アレルギーを発症しそうになっていたこの私が、である。体の症状とは、ある意味、心の体現であるとわかった。猫を捨てる人は、猫と共に自分の心をも捨てている。してみると素晴らしく幸せな時を、私たちはコールと共に過ごしたのだ。 ケパ



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感謝です

2016年04月30日 | ネコのコールと‥‥

昼過ぎ。突然にこのお花が届いた。
コールのお世話になっていた動物病院からです。胸がつまる思い。

下の写真はその病院でだいぶ前の診察時、大変なことになって、手術になるのかもと、Facebookの友達に祈ってもらった時です。懐かしい1枚ですが
抑える手が幾つか伸びて、検査やら注射ね~🙌🙀

花カゴと一緒にコールの使ったオモチャでも撮ろうと思って探したけど、あっは~_~; 片付けたのだったね。

そうだ。引き出しの中にまだあった。✨❣️
コールの毛玉ボール。大きいのやら小さいのやら幾つも作ったね。

今日は動物病院の思いやりに、感謝しました。


ドルカス
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今日は信州へ

2016年04月28日 | ネコのコールと‥‥
👇コール爪とぎ中の写真。
あいにくの☔️降りですが、信州のオンライン家庭集会に行きます。

その前に、寄り道して届け物しました。
コールの使っていた、縦型ガリガリ爪とぎグッズと
~ん❣️どうかなぁ
キャットタワーですけど、気に入ってくれるかな。

初めてコールに用意した大型キャットグッズ。バーゲンで見つけて結構 ハイテンションになった私だった。もちろん組み立てはケパさん。
引っ越した、船橋で復元がマジ大変だったので、今回は工夫して運搬しました。手慣れた物です。

このも喜んですぐに登り、ハウスに入りましたよ。よかったぁ




ドルカス
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猫のコールとユダヤ歴

2016年04月27日 | ネコのコールと‥‥
コールが急逝して五日経った。時々涙ぐむドルカスには声をかけたり、はたまた気づかないふりをしている。何しろ「雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいない(マタイ10:29)」のだから、コールがどうして逝かなければならなかったのか、御心を探り続けていた。先に「使命のバトンタッチ」と述べたが、何のバトンなのかが分かっていないといけない。
ところが今朝、脳裏になぜか十字架・過越の祭と示され、気になってネットで調べてみると、なんと2016年度のユダヤ歴では過越の祭が4月23日(土)であった。「ええっ」と私は驚いた。その日はドルカスの誕生日。
すると前日はキリストが十字架に架かった日である。ちょうどその日にコールは死に、その日の日暮れまでに埋葬されたのだ。※ユダヤの一日は前日の日没からはじまって、その日の日没で終わる。だから処刑を依頼したユダヤ人は、大切な過越の祭を守るために午後三時までには死を確認し、明るい間に急いで死体を片付けたかったのだ。(ドルカスはブラッシング後の抜け毛で毛糸玉作り。これはコールの大好きなオモチャとなる)
猫のコールの死を救い主の十字架と関連づけようなんては、とんでもないことで、考えるだけであまりにも恐れ多いことである。そうではなく、教会員全員の愛されたコールは、確かにアイドルだったのである。それに牧師の家の中は、物言わぬコールを中心に回っていた。

このことから思い当たると、これは「関心と慰めと愛をコールからもう一度教会に戻し、リバイバルの使命に邁進せよ」との意味に受けとれる。バトンタッチはバトンの内実を理解することで成り立つ。そしてこの使命を果たしていく中で、コールもまた生きていくように思う。   
ケパ




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お証し

2016年04月26日 | ネコのコールと‥‥
夜に眠れても眠れなくても、1日は過ぎていきますが、今週の主日礼拝で、
顔は引きつっていた気がしますが コールの事の証しが出来ました。沢山の方が祈って下さり、励まして下さることが、感謝です。
もうコールの事を書くまいと思うのですが、しばらくはこんなでしょうね~~。ちょいと淋しいからね。

今日はコールの使ってた、いろいろを片付けでいます。使えそうなもの、買ったばかりの物、そうでない物は廃棄。この選択がね、手が止まるのですが、見えるものに心を止めないように、少しづつ整理中です。
あっ思い出は沢山たくさんありますから。私たち❣️たいそう助かりましたよ。コールと過ごせてね~ ハレルヤです




ドルカス
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コールの使命から、私の使命へ

2016年04月23日 | ネコのコールと‥‥
昨日の金曜日は朝からいろいろあった日で、朝から牧会案件や、アンテオケ教会との聖会スケジュール決定、眼科医院に行き目の詳細な検査を受け、昼からは聖会に関する各申請や依頼の手続き作業、HP修正などした上、礼拝のためのiTunes作業と同期をこなした。最後は夜の神学校授業まであった。
こういう中にコールの突然の出来事があった。一連の病院の前後では、私の小さな細い目からも多量の水分が出た。その後、少し落ち着いてから斎場の予約をし、素敵な籐のカゴ(実はコールの夏用ベット)にコールを横たえ、美しいランを添え、夫婦でコールの告別式をした。司式はもちろん牧師の私がしたが、参会者が他にいないからよかったものの、冷静にとはいかず、司式中にも時々嗚咽や泪が止まらないので困った。家族の葬儀では、いかに牧師とはいえ、司式を避けた方が賢明であることがわかった。

こうして別れを済ませた私たちは、車で亡骸をペット斎場にまで運んだ。キリスト教では、亡骸をなおざりにしてはいけないが、それに何か重要なものがあるとは見なさない(見なしてはいけない)。だからお墓を建て故人を偲ぶのは同じでも、遺骨とか位牌、戒名のようなことはしない。霊・魂は死とともに肉体を離れ、神のお膝元、天に帰って行くのであって、肉体は地に戻るだけなのだ。ただこうして忙しく全てを終えても、ともすればまた、それをぐっとこらえなければならない状態が断続的に来るのは避けられない。
しかし一夜明けた今日は、なんとドルカスの誕生日である。ちょうどキリストが過ぎ越しの前日に捕縛・裁判・刑の執行・死と葬りのすべてを終えられたことを思い出す。ものごとに偶然はないから、このことには意味があり、神の計画がある。私たちはそのことを後になって知ることになるだろう。
本当は告別式で言えばよかったのだが、以下はコールへの追悼文である。

コールはいつも私たちの間に入って来た。お茶や二人がソファーでくつろいでいる時、ベッドで寝ている時、必ずといっていいほど、間に入ってきた。どうも二人の距離をいつも見ていて、縮まっている時にこそ「僕も入れて」と割り込んで来ていた。夫婦喧嘩は犬も食わぬというが、コールはドルカスが怒っているときには避難し、私が怒っているときは(あまり危険を感じなかったせいだと思うが)逆に止めさせようと制止のように噛みついてきた。ようく成り行きを見ての、名仲裁猫だった。
家のドアを開ける時、もうコールのお迎えはない。家の出入りにも、コールがうっかり出たりはしないか、注意を払う必要もない。水飲み場も給餌場も、猫砂のトイレや2台あるキャットタワーも、いろいろ作った猫ドア、爪研ぎスタンドも、コールお気に入りのハウスやコールの運動場と化し荒らされないためのベッド布団の片付けも、もう、もう必要がない。いつの間にかこの家はコールが快適に過ごせるよう、すべてが整えられていたのだ。

(写真のものは、必要な方にお分けできます。ご連絡ください)
これから私は一つのことが語られた。大勢の人が亡くなった熊本地震からちょうど一週間後にコールは召された。そして今日となり、ドルカスの誕生日、レストランでささやかなお祝いをしていても、私は周囲の人が気になって仕方がない。この大勢の人々は、今のままだとおそらく天国へは行けないノンクリスチャンだ。コールの使命は果たされて天に帰った。私は目を外に向け、今度こそ私の本来の使命、福音宣教を果たさなければならないことを。




ケパ
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