ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

コールの使命から、私の使命へ

2016年04月23日 | ネコのコールと‥‥
昨日の金曜日は朝からいろいろあった日で、朝から牧会案件や、アンテオケ教会との聖会スケジュール決定、眼科医院に行き目の詳細な検査を受け、昼からは聖会に関する各申請や依頼の手続き作業、HP修正などした上、礼拝のためのiTunes作業と同期をこなした。最後は夜の神学校授業まであった。
こういう中にコールの突然の出来事があった。一連の病院の前後では、私の小さな細い目からも多量の水分が出た。その後、少し落ち着いてから斎場の予約をし、素敵な籐のカゴ(実はコールの夏用ベット)にコールを横たえ、美しいランを添え、夫婦でコールの告別式をした。司式はもちろん牧師の私がしたが、参会者が他にいないからよかったものの、冷静にとはいかず、司式中にも時々嗚咽や泪が止まらないので困った。家族の葬儀では、いかに牧師とはいえ、司式を避けた方が賢明であることがわかった。

こうして別れを済ませた私たちは、車で亡骸をペット斎場にまで運んだ。キリスト教では、亡骸をなおざりにしてはいけないが、それに何か重要なものがあるとは見なさない(見なしてはいけない)。だからお墓を建て故人を偲ぶのは同じでも、遺骨とか位牌、戒名のようなことはしない。霊・魂は死とともに肉体を離れ、神のお膝元、天に帰って行くのであって、肉体は地に戻るだけなのだ。ただこうして忙しく全てを終えても、ともすればまた、それをぐっとこらえなければならない状態が断続的に来るのは避けられない。
しかし一夜明けた今日は、なんとドルカスの誕生日である。ちょうどキリストが過ぎ越しの前日に捕縛・裁判・刑の執行・死と葬りのすべてを終えられたことを思い出す。ものごとに偶然はないから、このことには意味があり、神の計画がある。私たちはそのことを後になって知ることになるだろう。
本当は告別式で言えばよかったのだが、以下はコールへの追悼文である。

コールはいつも私たちの間に入って来た。お茶や二人がソファーでくつろいでいる時、ベッドで寝ている時、必ずといっていいほど、間に入ってきた。どうも二人の距離をいつも見ていて、縮まっている時にこそ「僕も入れて」と割り込んで来ていた。夫婦喧嘩は犬も食わぬというが、コールはドルカスが怒っているときには避難し、私が怒っているときは(あまり危険を感じなかったせいだと思うが)逆に止めさせようと制止のように噛みついてきた。ようく成り行きを見ての、名仲裁猫だった。
家のドアを開ける時、もうコールのお迎えはない。家の出入りにも、コールがうっかり出たりはしないか、注意を払う必要もない。水飲み場も給餌場も、猫砂のトイレや2台あるキャットタワーも、いろいろ作った猫ドア、爪研ぎスタンドも、コールお気に入りのハウスやコールの運動場と化し荒らされないためのベッド布団の片付けも、もう、もう必要がない。いつの間にかこの家はコールが快適に過ごせるよう、すべてが整えられていたのだ。

(写真のものは、必要な方にお分けできます。ご連絡ください)
これから私は一つのことが語られた。大勢の人が亡くなった熊本地震からちょうど一週間後にコールは召された。そして今日となり、ドルカスの誕生日、レストランでささやかなお祝いをしていても、私は周囲の人が気になって仕方がない。この大勢の人々は、今のままだとおそらく天国へは行けないノンクリスチャンだ。コールの使命は果たされて天に帰った。私は目を外に向け、今度こそ私の本来の使命、福音宣教を果たさなければならないことを。




ケパ
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