茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

忘れな草

2008年12月26日 | Weblog
茶の交わりは「淡交」と
以前書きましたが
今日は濃交な宴会をしてきました

もう10年来のお付き合いのお仲間です
10年という月日の間には
それぞれ数々の別れがありました
死別、離別、門出・・・
私にもいろいろありました
母の介護の時期には
しばらくお稽古を休ませていただきました
母子家庭で育った私が母を失った時
ボーっとする日々から立ち上がれたのは
お稽古再開しなくっちゃという思いでした
皆さん、待っていてくださっていて
お稽古の日を起点に気持ちを立て直していった様に思います

他の皆さんにもいろいろなことがありました
辛い気持ちにある時も
「お茶に行かなくちゃ」という思いがあって
籠りがちな気持ちを奮い立たせて
人の中に出てくる
そうすることはとても大切なことだと思いますが
「お茶」がそんな働きになっていたら
うれしい限りです

仕事を辞めて家庭に入ったとき
三日で戻ってくると言われていた私が
その後ずーっと専業主婦を続けたのは
「主婦」のものすごさを知ったからです
「お母さん」のものすごさを知ったからです
アフターファイブのない日々の中で
お茶の時間が英気を養う場となるならば
願ってもないことです

今日は母の命日
母の短かった人生を想うことで
今日をしっかり生きようとしみじみと思います
世の中がどんなでも
大切なことを大切に生きていきたいです
お茶の時間は
大切なことをふと忘れてしまうかもしれない自分を
しっかりと見つめなおす時間
私にとってはそんな時間です

いつの世も いつの世も 別れる人と
会う人の 会う人の
定めは常に あるものを
ただ泣きぬれて 浜辺に摘んだ
忘れな草を あなたに あなたに
   「忘れな草をあなたに」より