茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

サランバン

2010年05月15日 | Weblog
サランバンというのは
一般的に韓国の家屋の中の客間をさします。
四ッ谷の韓国文化院に再現されたサランバンは
朝鮮王朝時代の住居様式を代表する
「昌宮演慶堂」をモチーフにしたもので、
テチョンマルという板の間の部屋と
マダンという庭で構成されています。

演慶堂というのは、
19世紀の純祖王が
民間の生活を理解するために、
当時の官吏の家屋を模して
昌宮後宮に造られた民家形式の建物のこと。
なかなか立派な王様ですね。

客間といっても
日本の応接間という空間よりは
男性の文化サロン?
来客をもてなすのに、
お茶や書や音楽を堪能してもらえるような
文人趣味の空間であったり、
また一方では、
日本のお茶の間のような、
家族も集まるし、
人が来ても一緒にお茶を飲むような
くつろぎの場でもあったようです。

日本もそうですが、
文人というと男性ばっかり。
女性は子育てで忙しくて、
茶や書を究めて遊ぶなんてことは
なかったのでしょう。

でも、
どんなに学問を究めても
どんなに茶や書を究めても
10人の子を育てたお母さんが到達する精神世界には
到達しないのだろうな
と思うのです。
最近、農家のお母さん方と接して
ますますその想いは強くなりました。
彼女たちは、
人をもてなすことが喜びで
素直で
一人で何でもできちゃうのに
人は一人では何もできないことをよく知っていて
いつも感謝を忘れない。
私はせっかく女性に生まれてきたのに
一人しか子育てをしていないし、
親も一人しか介護していないので
一生懸命、お茶なんてやっているわけです。
修行が足りないからなんです。

サランバンでの韓国茶礼な一日、
日本の茶室とサランバンと消えゆく茶の間とを想いながら
そんなことを考えていました。

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