茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

亀山焼き

2010年05月23日 | Weblog
江戸東京博物館の特別展「龍馬伝」を見てきました。
龍馬愛用の湯飲み茶碗がありました。
亀山焼です。
高さ7.5センチですが、
たっぷりお茶の入りそうな
ずんぐりした湯飲みでした。

亀山焼は長崎の焼き物です。
亀山社中の名はここから来ています。
ざっと「亀山焼」の歴史を見ると、
 1807年
 大神甚五平・山田平兵衛・古賀嘉兵衛・万屋古次吉によって
 長崎伊良林垣根山で開窯される。
 創業資金は長崎奉行所産業御調方からの借入金。
 積荷を降ろしたオランダ船の帰路に必要な水甕を
 焼くための窯だったことから
 亀山焼と命名された。
 ナポレオン戦争の影響で外来船の寄港が大きく減ったため
 1814年、長崎奉行所の指導下、
 大村藩の波佐見焼や長与焼に関る陶工を招き
 白磁染付の製作に転換。
 原料の粘土は上質の天草陶石や中国の蘇州土を使用。
 顔料も良質の花呉須を中国から取り寄せた。
 崎陽三筆と称される
 木下逸雲・祖門鉄翁・三浦梧門や
 当時豊後に居住していた田能村竹田など
 著名な文人が下絵を引き受け、
 文人画風の雅味のある絵付けとなった。
 寛政・天保年間には全盛期を迎え、
 その品格の高さが評判となったが、
 大神甚五平が65歳で没し、
 二代目甚五平が窯を引き継ぐものの
 財政難のため廃窯となった(1865年)。

と、たった50年ほどの歴史の焼き物です。
この亀山焼工場跡地を高田利平が購入し、
その後2年にわたって
この地が亀山社中の活動拠点となったそうです。

この湯飲みは現在
下関市立長府博物館に収められています。
それは
龍馬が下関時代に愛用していて
その後東上する際に
記念として印藤長州藩士に贈ったためだそうです。

田能村竹田の絵の水甕が
オランダの骨董品屋さんにはあるのでしょうか~。