茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

宗旦狐

2008年11月19日 | Weblog
11月19日は宗旦忌
宗旦は利休さんの孫、三千家の祖です。

京都の相国寺境内に
宗旦稲荷というのがあって
このかわいい宗旦狐がいました

宗旦に憧れて
宗旦になりすましては
茶会で茶を点てたり
雲水に化け禅の修行をしては
寺の運営を助けたり
町衆の力になったり
正体はばれているものの
みんなに愛されている狐だったそうです

ある時、
町の豆腐屋さんが
宗旦狐から受けた親切へのお礼で
鼠の天麩羅をつくってくれました
ところが、
これを食べると狐は神通力を失い
犬に追いかけられて井戸に落ちて死んでしまったとか

なんとも哀しいお話ですが
さて、
このお稲荷さんは
何を後世の人に伝えているのでしょう
この狐は
誰かだったのでしょうか
またはこの狐で
宗旦は何をか伝えたかったのでしょうか

宗旦といえば
茶禅一味の精神に熱心に励んでいた人です
禅の公案に
「百丈野狐」というのがあって
そこには
「不落」(因果に落ちない)と
「不昧」(因果にくらまされない)
というキーワードがでてきます

このテーマと宗旦狐の伝説がどう絡むのか
宗旦という人の置かれていた立場を思うに
政治との関わりの中で
お茶をするしかなかった男の方々が
気の毒に思えてしまいました

相国寺の参道の両脇に
ずっっと茶の樹が植えられていました
ちょうど花が咲いていて
這いつくばってクンクンしてきました
あー、いい香り
あー、ほんとうに
私は自由で有り難いと思いました

文献に刻まれてきた茶の歴史の外に
私みたいに軽くて暢気なお茶好きがたくさんいて
そんな無名の一般大衆茶人は
地位ある茶人が求めていたものを
結構簡単に手に入れていたのかもしれません