飛鳥を出たのは日も暮れ始めたころ、学生さんがホームにごったがえす時間。
それから信貴山へ向かったのでした。
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信貴山へ
予定よりもだいぶ遅くなっており、宿坊へお詫びの電話をして王寺駅からタクシーに乗る。こんな時間に伺うのは非常識、、またもや反省・・・
真っ暗な山道を車はひた走る。私は二度目、母は初めての信貴山。しんと静まりかえった参道にぼぅっと明かりがともる。大福虎と赤門に再訪の喜びがじわっとこみあがる。
テレビも何の音もなく携帯も通じない場所で母と静かに、ゆっくりすごす。いい夜だ。そのうち夜も更けてくると寒さが増して、掛け布団を2枚重ねて眠りにつく。
そうそう、11月にもなって蚊にさされる(それも臀部よ!)まいった夜でもあった。
本堂へお参りするため翌朝5時30分起きだす。宿坊でご祈祷をお願いしなかったため、お勤めを外から少しだけ拝見して失礼する。本堂からは雲海を眼下に眺め、すでに昇り始めた朝日に手を合わせてから宿坊へ戻る・・はずが、行者堂に手を合わせいくつもの鳥居をくぐり、山の上まで登ってさらにお参りする。山伏はこんな楽じゃないと思いつつ気分は山伏で、足が痛む母を途中で待たせ、いそぎ足でひたすら登る。20分以上あったろうか、息をきらし、かるく汗ばみ、心洗われる、そして達成感。お賽銭をしてから帰り道は転がるようにおりる。おそろしい速さで。
その頃ひとり残された母は熊に襲われやしないかと、棒をたたきながら少しずつ登っていたそうな(熊か・・・)。
朝食後に再び本堂へお参り。ご朱印をいただいてから戒壇めぐりをして信貴山をあとにした。
我が家の菩提寺から信貴山にご縁があり、奈良にいながらにして帰ってきたなあ、、と思う特別な場所。また訪ねよう。今度は早くいきましょね。
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法隆寺へ(写真)
信貴山から南大門まではタクシーで2,500円くらいだったろうか。母の希望2つ目は法隆寺。世界最古の木造建築があり、日本で始めて世界遺産に登録されたことでも有名。1690年ころから観光客を入れるようになったそうで、それまでは間近で眺めるなんてありえないことでした。
中門の仁王像、夢殿の救世観音、五重塔とほかにも見どころ満載だ、どうしよう!夢殿といえば(日出ずる処の天子)を思い出しますね、余談ですが。
前回訪れた際、いつか誰かと連れ立って訪ねることがあったなら、ボランティアガイドさんをお願いしようと決めていたのだけれど、時間があまりとれない今回は諦めていた、ら、南大門前で「よろしければご案内しますよ」と願っても見ない言葉をかけていただく。ついてる!
時間の都合を説明して、母と私の2人にガイドさんがひとり。なんて贅沢。メモをとりながら目の前の貴重な建築物を心ゆくまで眺め、知識がもりもり増える。たのしや課外授業!熱心な説明で細部までじっくり見ることができ充実した時間だったかわりに、あまり見てまわれなかったのはザンネン。でもね、こんな拝観もまたいいなと思うわけです。こんどは1日がかりで訪ねましょうよ。
11月1~3日のみ拝観できる(上御堂)でいただいたご朱印の判子はまわりがかけているのですが、お寺の方もいつから使っているかわからないとおっしゃっており、みんなであらためてまじまじと眺める。
ガイドさんのお話では、法隆寺は一個人のものでなく学問寺だったこともあり、よい木材などの材料を使って、修理できたのでしょうと。世界に誇る木造建築の存在には、一流の宮大工さんの存在は不可欠であり、ほかにも戦争時には解体して吉野や柳生に保管するといった時の人々の判断も忘れてはいけないことを教えていただいた。
もっと見て、聞いていたい気持ちで、後ろ髪ひかれながらあとにした。
旅行バックをコインロッカーから出し、えっちらおっちら法隆寺駅へ歩く途中にヤマト便を見つけ、重たい荷物をつめこみ自宅へ送る。昨夜きちんと分けていた母は随分身軽になったようだけれど、ガイドや観光誌がつまっている私はいまだ罰ゲーム並の重さ…
お昼もだいぶ過ぎたころ、いよいよ高野山へ向かって出発。