かしこジャーニー

「日々しるし」と「難聴のこと」

自分自分の心を掃除する

2008-08-03 22:48:39 | 神社・お寺
谷中にある全生庵の日曜坐禅会(18:00~20:00)に参加した。

初心者は30分前に集まり座り方や呼吸の仕方、警策の受け方を教えていただく。

老若男女、外国の方もいらっしゃる。禅は外国の方に人気があると聞いたことがあるけれどいまもそうなのかしら?

本などで形は頭に入れていたものの、姿勢をみていただくと背筋がたるんでいた。

ゆるい姿勢だと後ろに傾くし、疲れるとのこと。
実際に坐禅をくんでみてよくわかった。

住職の法話をきいてから25分の坐禅を2回。

50人くらいはいたとおもうお堂は明かりがほとんど消されしんとしており、お腹がなったらどうしよう…くだらない心配に焦るわたしは場違い?変な座り方では?まわりが気になる。

はじめの回は法話のなかの一言が警策ではないけれど頭にバシッと打ち付けられ、不思議な感情がわいてきてなぜか涙がこみあげた。

お堂のなかにときおり吹く夜風がとてもここちよかった。

坐禅をくみながらいろんな音がきこえた。風がふいて戸がカタカタ、ヘリコプター、サイレン、車がはしる音。都会はいつもなにかの音がしているんだなと。

あ、雑念をけせず集中していないということか…

呼吸をしながら数をかぞえるように教わったもののなかなか呼吸に集中できず、しばらくはただ緊張していた。

25分。日常のなかの25分はながいか短いか?

1時間の半分弱。毎朝電車に乗っている時間。あとは…

1回目はそれなりに感じた25分が2回目になると、もうおわりなんだ、あともう少し、とずいぶん短かった。

なにかかわったとか悟ったなんてないし、足は痛い、なにがよかったのかを伝えることはできないのだけれど、また坐禅をしようとおもったことは確かです。

梅原さんの本で知った四弘誓願を唱えて、お茶とお饅頭をいただき終了。

お茶をいただくにも作法?があり、まわりをみながら真似したり観察したり。

日常生活のすべてが修行という言葉をおもいだした。

坐禅は自身をみつめ、心を掃除する機会だと何かで読んだ。癒やしとかそういうものとはちょっとちがうとおもう。

たくさんのいろんな世界がある。わたしはどのくらい知ることができるだろう。そんなことを漠然とかんがえながら夜の谷中を歩いてかえった。