阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌碧葉集

2020-10-22 20:04:55 | 狂歌碧葉集
先日ヤフオクに玉雲斎貞右の本が出品されていたのだけれど、落札できたのは貞右の丸派の流れをくむ都鳥社の三世久鳳舎桐丸の狂歌碧葉集、昭和5年の出版である。三世桐丸は明治11年(1878)大阪市の生まれ、没年がわかっていないことから、国会図書館デジタルコレクションの同じ本は著作権保護期間(作者没から70年)の確認中となっている。長命であればまだまだ保護期間が残っている可能性もある。活字の本の中に十首余は絵入のくずし字で面白いものも多いのだけど、著作権が残っているかわからないということなので、ここに載せない方が良いのだろう。歌だけをぼちぼち引用していきたい。

まず、作者の三世桐丸の三世というのを調べてみた。初代は明治18年に都鳥社が創設された時の主要メンバーであった久鳳舎桐丸、三世桐丸の師の都柳軒桐丸が二世ということのようだ。三世桐丸を名乗る前は都草庵秋丸という名で野崎左文の「狂歌仕入帳」やこの碧葉集の序も書いている都花園御代丸の「狂歌獨稽古」に名前が見える。碧葉集はもちろん大阪がホームながら、東京の地名が出てくる歌も入っている。今日は、雑の部から一首、


        空中旅行

  やすやすと無事につくしへ飛行機でつかれも知らぬひがへりの旅


調べてみると昭和4年7月というからこの歌集の出版直前に東京ー大阪ー福岡の定期便が就航したようだ。その前には大阪別府間にはあったようだが、大阪福岡は確認できなかった。実際に日帰りの旅に桐丸が行ったのか、広告か記事を見て詠んだのか、この歌だけではわからない。前に左文の飛行郵便の歌を紹介したが、東京大阪間の郵便試験飛行が行われたのは大正10年、それから十年の間に大阪博多間で日帰り旅行という時代になったようだ。乗り心地はどうであったろうか。私は幼少の頃、広島松山間を飛んでいたヘロンという小型のプロペラ機に乗ったらガタガタ揺れて大泣きした記憶がある。上記の定期便に使われたスーパーユニバーサルという飛行機はウィキペディアに乗客6名とある。やはりそんなに快適だったとは思えない。大阪市勢要覧昭和6年版によると大阪福岡間は3時間、料金は35円とある。昭和6年の小学生教員の初任給が45円から55円というレファレンスがあり片道35円は今の10万円前後の感覚だろうか。どうも「やすやすと」という感じではなさそうだ。

歌としては「無事につくし」ぐらいしか狂歌らしいところがないのだけれど、こんな感じで目新しい歌を紹介していきたいと思う。




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2 コメント

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Unknown (sin_chiseinooca2)
2020-10-25 16:46:30
御ブログを拝読して、
著作権保護期間を確認したら
作者没後50年ではなく、
70年になっていました。
ありがとうございました!

素人質問で申し訳ないのですが
「狂歌」はいつの時代からあるのですか?
和歌を詠んでいた古代にも
最も面白くない歌の大会とか
けっこうふざけた歌とか聞いたような気がしますが
どうのでしょう。
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Unknown (cachillat)
2020-10-25 20:17:28
@sin_chiseinooca2 sin_chiseinooca2さま

コメントありがとうございます。そうですね、近年50年から70年になったようです。

狂歌の起源はけっこう難しい質問で、単にふざけた歌と定義するならば、記紀万葉の時代からあると思います。万葉の夏痩せの人を嗤う歌とか狂歌と言っても良いですよね。伝統的な和歌のルールから離れて独自の道を拓いた時期とするならば、中世後期から近世の始めでしょうか。いずれにしても、私も不勉強で誰が最初とは言えないです。
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