阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ランダムにサンフレ昔話 その7 11番コウジ

2014-04-15 18:54:01 | サンフレ昔話

 今回はコウジを初めて見た、1997年7月20日の全広島サッカー大会準決勝、広島経済大学vsサンフレユース(広域一球)のお話。写真はアップの様子で中央11番のパンツがコウジ、その左は島卓視コーチ。

 私がユースのゲームを初めて見たのは95年12月のJユースカップ決勝、しかしこれはテレビ観戦であった。生では翌96年11月17日、トップの天皇杯ブランメル仙台戦(広島スタジアム)の試合後引き続きJユースカップ予選リーグ鳥栖フューチャーズ戦を見た。小林伸二監督のユースを見たのはこの2試合だけということになる。しかし、ゲームは2試合とも面白かった。ユースを見に行きたいという気持ちが大きくなっていたのは間違いない。

 今回のお話の全広島サッカー大会というのは天皇杯予選を兼ねていて、全国的には96年から天皇杯予選に2種チームの出場が可能になった。しかし、今回これを書くにあたって天皇杯パンフの予選のところを調べてみても広島県では96年に2種が出たという記録は見当たらなくて、どうやら97年からの対応になったようだ。

 私は新聞の日程を見て一球に出かけたけれど、選手等の予備知識は全くない状態だった。スタンドには2年続けて天皇杯決勝のチケットを電話対応していただいたサンフレの事業部長さんがいらっしゃったので(当時は事務所で売っていた)、その隣で観戦した。ユースは1回戦2-0ヤマコーFC、2回戦3-1ルネス学園大竹SCのスコアで準決勝進出。しかし、この準決勝はクラブユース選手権の全国大会とかぶってしまってBチームでの出場だという。まあ、私は選手を1人も知らないのだから、そんなことはあまり関係がなかった。事業部長さんもわかる選手は一人だけ。大怪我をして留年を余儀なくされた雨野裕介(現鳥取U-15監督)が復帰していると教えてもらった。雨野は本来なら大学1年生の年齢であとのメンバーは1年生が多かった。

 ゲームは経大が優勢で前半2失点、ところが1年生FW小坂が倒されたPKで1点返したところから流れが変わり後半追いつく。後半はユースの1年生たちの技術が光っていた。80分過ぎてユースが疲れたところで経大に決勝点が入って2-3で敗戦となったが、面白いゲームだった。今西さんも明るい表情で「楽しみだねえ」とふり返った。

 私が気になったのは11番の選手。2種のゲームはあまり見たことがなかったし、技術がどうとかはわからない。ただ、ピンと来るものがあったとしか言えない。名前を知りたいと思ったが、この頃のユースはピッチでの声はあまり聞こえなかった。片付ける時にコウジと呼ばれているのがやっと聞こえてきて、「11番コウジ」とメモして帰った。

 その日何枚か撮った写真を見ると、駒野は写っているけれどカズの姿は見当たらない。あるいは、1年生でただひとりAチームの遠征メンバーに入っていたのかもしれない。

その後、当時クリスタルプラザにあったVポイントにユースの会報「みつや通信」が貼ってあり、そこに新入生の氏名一覧がのっていて初めて双子の兄がいることを知る。カズのプレーを見たのは9月のJユースカップが始まってからだった。この大会では双子と駒野の3人が1年生ながらスタメンに名を列ね、年末の本戦では準優勝だった(Jユースカップは今でもグループリーグを予選リーグと呼んでいる)。この年は右サイドに行友亮二(現徳島U-18監督)というタレントがいて駒野は左サイド。決勝の清水戦では対面の市川大祐(当時2年)にかなりやられてしまったが、市川は翌年のフランスW杯の候補になるような選手だったから当時としては仕方ない事だった。

 この日コウジに出会ったことは、私にとって大きなターニングポイントとなって、次第にユース中心の観戦に変わって行った。コウジに注目したことは大変なビギナーズラックだったけれども、今でもこういう出会いを大切にしたいと思っている。素人のカンもね。先日のホームゲームでコウジの復帰を願う幕が掲げられたのをテレビで見て、この日のことを書いてみようと思った。私もコウジの復帰を心から願っている。


 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。