阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

大師講

2019-12-19 17:17:26 | 郷土史
広島弁の用例を探すために読んだ「ひろしまの民話(昔話編)第二集」(昭和57年、中国放送編)の中で、比婆郡西城町(当時)の山野ミギリさんの大師講のお話がちょっと気になった。引用してみよう。他地方の方のために蛇足ながら、泊まっちゃった、行っちゃった、しちゃった、は~してしまった、ではなくて、軽い尊敬プラス親しみの気持ちが入った方言である。これは今でもわりとよく聞く表現だ。一方、「小豆ぅ」の音便は発音すればアズキューだろう。かばちたれの「かばちぅたれる」もカバチュータレルみたいな発音になるが、高齢者でもあまり聞かなくなってきた。私も話せと言われればできるけれど、まあ使わない。



       「跡かくしの雪」

むかし。
お大師さんがのう、十一月二十三日の、まあ寒い日にのう、泊まっちゃったんじゃげな。
「おかあや。おかあや。団子汁が食いたいけえ、して食わせえ」
言うちゃったんじゃげな。そいたら、
「小豆がないけえのう、ようして食わしたげん」
言うたいうて、そしたらのう、お大師さんが、
「へいじゃあ、小豆がありゃあ、食わしてくれるか」
「そりゃあ、食わしたげますよ」
「ほいじゃあ、小豆ぅ持って来るけえ、食わしてくれえ」
へえて、お大師さんがのう、悪いことたぁ知りながら、食いたあもんじゃけえ、よその小豆ぅ盗みぃ行っちゃったんじゃそうな。
お大師さんはやけどをしちゃったんでしょう。足首から先が無い、めぐり(すりこぎ)のような足じゃったん。へえて、来る道で、はで(稲掛け)へ小豆ぅ掛けたるのを見とっちゃったけえ、そりょう盗んで来てのう、
「おかあや。小豆ぅ煮て、団子汁ぅしてくれ」
言うちゃった。へえで、お大師さんがのう、その片ひら足の一本めぐりの足じゃったけえ、「わしの足跡ぁ、人の跡たぁ違うけえ、朝までにゃあ、雪が降って、この跡が消えにゃあいけんが」いうて、思いよっちゃったゆうて、そしたら、お大師さんのことじゃけえのう、大雪が降って、大嵐が来て、へえで、いっそ(全然)跡が見えんように消えたんじゃいうて。
へえで、大師講にゃあ寒いんですがぁ、毎年団子汁ぅして茶碗に入れて、神さんにも仏さんにも向きょうりました(供えていました)。
大師講には、朝まで凍みるように寒うさえあれば、作物が良うできるゆうて、聞きよりましたで。


小豆の入った団子汁というのは食べたことが無い。いや、それより問題なのはお大師さんが盗みを働いている。弘法大師を信仰していらっしゃる方からするととんでもない話だ。西城は私が住む安佐北区から芸備線で一本ながら、鉄道利用では同じ広島県内でも日帰りは難しい。調べてみるとそれより近い高田郡や山県郡でも似たような話が出てくる。年中行事や民俗学の本に引用されている高田郡の例は「高田郡誌」が出典のようだ。調べてみると高田郡誌の記述は「国郡志御用ニ付下調書出帳」を書き直したもののように思われる。広島県立図書館にある「国郡志御用ニ付下調書出帳 吉田村之部」は原文の表記を読みやすく改めているような印象も受けるので高田郡誌の方を引用してみよう。


         十二月
○報恩講 (略)
○大師講 陰暦十一月二十三日夕より各戸とも大師講と称し、小豆に蘿匐蕪菁等を入れて、団子汁を焚き食す、俗説に、弘法大師、雪夜に癩人に化し、旅館に宿し蘿匐蕪菁の汁を求め、自ら雪を履み野菜を竊み来りて之を食ひ、主人が菜圃に指なしの足跡を容れば、事露見すべしと云うに至り、呪文を唱へ、更に雪を降らし、其足跡を隠し、遂に其行く處を知らずと云ふ、然るに此日は弘法大師の縁日にはあらずして、天台宗の祖智者大師の忌日なり、何等訛傳なるか無稽の事なり。


これによると団子汁は小豆の他に根菜類が入るようだ。共通するのはお大師さんは足が不自由で指が無く、足跡から盗みが露見してしまうという点だ。違うのは西城では小豆を盗み、吉田では根菜類を盗んでいるところだろうか。これが島根県の雲南地方になると、また少し違っている。まんが日本昔ばなしの「たいしこ団子」では、足が悪く、盗みを働くのはお婆さんの方で盗むのはお米であり、お大師さんは南無阿弥陀仏を唱えると足が良くなると言って去っていく。どの地方の民話かわからないが同じまんが日本昔ばなしの「あとかくしの雪」では火山灰で足跡がついたのを雪が消すことになっている。これもお婆さんが大根を盗んでいる。大師講は関係ないようだが、このタイトルで検索すると、大師講の話として伝わる地域もあったようだ。最初の西城の話も同じタイトルだけど、語り手の方がタイトルも語られたのかどうか、はっきりしない。

「たいしこ団子」のページには、カテゴリを空海とするのは疑問というコメントが入っている。お大師さんが盗みを働く、あるいはお婆さんに盗ませるというのは、やはりお遍路さんや高野山を信仰する方にとっては受け入れがたいものだ。それは高田郡誌の最後の記述のように空海でなはくて天台宗の智者大師だったとしても同じことだ。仏教ではない別の民間信仰が入っているのではないかということになる。柳田国男は「日本の伝説」大師講の由来という一文の中で、

「さうするとだんだんに大師が、弘法大師でも智者大師でもなかつたことがわかつて来ます。今でも山の神様は片足神であるように、思つてゐた人は多いのであります。」

と書いていて、一本足の山の神様がお大師さんに変化したと推測している。この大師講の話は新潟や山形にもあって、旧暦十一月二十三日、あるいは二十四日にお供えするのも関東では小豆粥であったり色々あったようだ。きりがないのでこれぐらいにしたいが、あと一つ、「山県郡 大師講」で検索すると「広島県山県郡の太子講団子は小豆の味噌汁に団子を入れたものを言います 」と出てくる。しかし、その出典がわからない。これはもう少し探してみたい。しかし、みそ汁に小豆や団子が入ってどんな味なのか、私は広島に住みながら似たようなものを食べたことが無く、想像するのは難しい。

今日十二月十九日はちょうど旧暦十一月二十三日、大師講の夜は必ず雪が降ると書いてあるお話も多い。しかし、今年は全国の予報を見ても雪ダルマはいないようだ。



【追記】 方竟千梅「篗纑輪」(宝暦三年刊)、十一月の条に大師講についての記述がある。

一 大師講 廿四日 天台大師ノ御忌也 比叡山三井寺其外 台家皆之ヲ行 庶民家ニ小豆粥ヲ焼テ之ヲ食 近江ノ国中殊ニコレヲ嚴(ヲコソカ)ニス


(ブログ主蔵「わくかせわ 下」57丁ウ・58丁オ)

大師講は天台大師の忌日であって、比叡山や三井寺のお膝元の近江で小豆粥を炊く風習が盛んであったとある。大師講の小豆粥は天台宗由来という認識があったことがわかる。






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