阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

2月8日 安佐北区図書館 「可部町史」など

2020-02-08 20:55:22 | 図書館
先日、広島市立中央図書館で借りた2冊の返却のため、安佐北区図書館へ。昼飯を片づけて、深川三丁目12時59分のバスは5分遅れて、しかも根の谷川の川土手の工事のせいで深川通りの出口のところが込んでいて、可部上市バス停に着いたのが13時25分過ぎだった。そこから小雨模様の中歩いて安佐北区図書館へ、可部バイパスを越えて少し坂道を登った所、区民文化センターと同じビルに入っている。公共の交通機関では行きにくく、当地の文化レベルの表れとも言えるだろう。安佐市民病院の跡地に移転という話も、いつの間にか立ち消えになったようだ。

返却の棚に二冊ならべて、今日の用事はこれでおしまい、広島城のチラシを眺めた後外へ出たら、さっきより雨が激しくなっている。しかし青空ものぞいていて通り雨のようだ。しばらく何か読んで晴れ間を待つことにした。

まず手に取ったのは可部町史、前にこれを読んだのは阿武山関連を調べていた時で、狂歌の項を読んでいない。可部で狂歌が盛んだったのは幕末、とありながら、天保七年、梅縁斎貞風の可部の地名を詠み込んだ歌で始まる文書の記載があった。貞国の弟子で柳門4世を名乗ったのは広島の貞風と周防玖珂の栗陰軒貞六の二人がいる。貞風が夭折したために貞六に4世を継がせたのかと思ったがそうではなく、貞国の死後も貞風は活動していたとわかった。今のところ破門になったという話も出てこない。師匠の貞国はどのような心づもりだったのか、手掛かりはないものだろうか。

次に「白木町史」、ここにも幕末、弘化年間に狂歌連が活動していて、貞の字を許された人が二人いることから、柳門の指導を受けていたと思われる由記述があった。しかし、師匠の名前の記載はなかった。ここで外を見たら晴れていて、また徒歩で上市に戻った。買い物をして、可部上市15時27分のバスで、帰りは渋滞もなく50分には居間で両親にラムーで買ったタコヤキを食べさせていた。

これだけのことではあるけれど、今日はメモ帳も持っていなくて、書いておかないと明日にはすっかり忘れてしまうだろう。ここに記しておいて、次はまた県立図書館であちこち調べてみたい。







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