阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ちうとこう

2019-01-16 19:06:57 | 栗本軒貞国

 歳旦の回で、明治41年、広島尚古会編「尚古」参年第八号、倉田毎允氏「栗本軒貞国の狂歌」から引用した貞国の歌、はっきりしない所があったのだけど、お正月ということもあってごちゃごちゃ書かずに引用に留めた。最近「五日市町誌」を読んだところ似た歌が載っていて、比べてみて新たにわかったこともあった。少し書いてみよう。まずは尚古の歌、尚古には貞国の歌が三十首以上載っている。

 

        歳旦

  忠と孝おしゆるやかな国の春明けの烏も軒の雀も

 

「おしゆる」は「教ゆる」で、古語辞典には「をしふ」とハ行下二段でのっている。それが江戸時代にはヤ行下二に変化して、終止形も「教ゆる」が見られる。それと「ゆるやか」がつながって、ゆるやかな国の春、のどかなお正月を詠んでいる。「明けの烏」は明け方に鳴くカラスで男女の別れの描写によく登場する。新内節の「明烏夢泡雪」(あけがらすゆめのあわゆき)は有名だ。これについて書いていると長くなってしまうので置いておいて、問題は最初の「忠と孝おしゆる」は何なのか。ゆるやかと言うための単なる序詞なのか、それとも後ろと何か関連があるのか、そこがよくわからなかった。ところが、「五日市町誌」の歌、


  ちうとこう、おしゆるやうな玉の春

          あけのからすも家の鼠も

      栗 本 軒

 

これは、佐伯郡保井田村の門人で薬師縁起も起草した貞格(佐伯久兵衛)詠、「狂歌あけぼの草」にある梅縁斎伊東貞風による序文の冒頭に置かれた貞国の歌である。比べてみると、「おしゆるやかな」が「おしゆるやうな」に、これは「可」と「宇」は時に紛らわしいこともあるから誤読、誤写の可能性もある。「国の春」と「玉の春」は俳句ではどちらも新春の季語で音の調子以外に大差ないように思われる。もちろんこれも誤写誤読の可能性を残すが、どちらも原本を確認できないので何とも言えない。しかし、「軒の雀」が「家の鼠」になっているのは明らかな推敲の痕跡であって、するとどちらが先だろう。あけぼの草の序文には、「ふみなれる十あまりいつつのとし」とあり、文化十五年(1818)と思われる。尚古の方には出典の記述がない。

まずはその部分、軒の雀がよいか、家の鼠か、という所から考えてみよう。「あけぼの草」は初句がひらがなで書いてあって、鈍い私にもやっとわかった。「ちうとこう」は鼠とカラスの鳴き声だった。すると尚古の方も、忠は雀の鳴き声ということになる。これはちょっとわかりにくい反面、「忠と孝教ゆる」と説教臭く始まっておいて、実は鳥の鳴き声だったという面白さがある。ラストに鳴き声だったとわかってもらえるならば、初句は漢字で忠と孝の方がよさそうに思える。しかし私は全然わからなかった。鳴き声でいえば、「ちう」ならば鼠の方がわかりやすいし、江戸時代でもカラスは「かあかあ」が多数みられる。ここは忠と孝に持って行った以上仕方がないところだろうか。

次に、「おしゆるような」では、お正月である必然性がなくて、ここは「ゆるやか」が入っていた方が良いように思われ、また貞国らしい言葉の使い方だろう。しかし、前述のようにここは誤写の可能性もある。「国の春」と「玉の春」は私にはそんなに違いはないように思える。

それでは、どちらが古い形だったのか。私ならば、尚古のように漢字で始めて末句だけ家の鼠に変えたのを決定稿にしたいけれど、このままでどちらが古いかと言われると悩んでしまう。忠と雀はわかりにくいから、ちうと鼠に改めたとも考えらえるし、正月早々家の鼠もアレだから雀にしたとも考えられる。あれこれ書くより、尚古の出典を探した方がよさそうだ。

 

【追記】 雀の「ちう」はわかりにくいと書いたけれど、そうではなかったようだ。柳田国男「雀をクラということ」には、

 

「近代の都会の子供は、

    雀はちゅうちゅう忠三郎

 などと唱えて、大抵チュウと啼くことにしているが、自分の生まれた播磨ではチュンチュン、福島県以北ではチンチンと聴くのが普通で」

 

都会というから東京だろうか、チュウが一般的だったとある。また、手柄岡持「我おもしろ」(寛政元年)にも、

 

    流行におくれ俳諧を止るとき

  鶯に口をとちたる雀かな

    屠竜君のこの句を聞き玉ひて

  宴のおあひくらゐは友雀

    チウとはいかいもまゝとり出しかの成なと仰せことありければ

  おあひさへ奈良漬に酔ふ雀なれはさゝれぬうちに飛のきそする

 

とあり、江戸ではチウと聞いていたようだ。広島ではどうだったのか。私の祖父は忠三郎ではなくチュン太郎と言っていた記憶もあるのだが、貞国の時代は「ちう」で通じていたということだろうか。あるいは、広島では通じなかったから鼠にしたか、江戸向けに雀に変えたか、みたいな可能性もあるのかもしれない。