社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

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歴史模擬授業も展開中♪

織田信長を考えてみて・・

2010年11月12日 15時10分43秒 | 歴史へのつぶやき&興味

歴史模擬授業の安土・桃山時代の第一弾をアップすることができました。

第二弾は原稿が完成しているので、あとは画像入れ&文字色付けをするだけですので明日あたりに

更新できるとは思います。

 

織田信長さんは大変人気のある戦国武将です。私も嫌いではありません。

ただ、なんとなく私には心の闇が感じられるときがあります。

おそらく、彼は小さいころに、自分では普通だと思うことをしていたと思うんです。

でも、まわりは自分を「うつけ(アホ)」と言うし、将来を心配されたりする。

今こそ、彼は最先端をいっていたんだ!だから「うつけ」と呼ぶ方が遅れてるんだ!と

思えるけど、子どもの頃の信長からすれば、将来自分がどのようになるかは不透明で

不安になったことがあるのかもしれない、と私は思うんです。

 

私は信長ほどすごい人ではありませんが、小さいころは「うつけ(たわけ)」呼ばわりをされ、

先生にも将来ろくなものにならない、と言われ続けていました。

(最初から私の存在を認めてくれたのは母だけでした。)

私にとってはあたりまえだと思うことをしたりしてただけなのに、どうしてまわりはそれをわからないんだろう、

と不思議で、何度も長期間馬鹿にされ続けて自分は「馬鹿」「人間のクズ」だと思うようになりました。

何もかもに自信をなくし、その自信のなさが外にまで出て、

それがいじめを誘発し、それでさらに自信をなくし・・。

 

中学に入ったあとで、「勉強」というもの真剣にするようになり、

物事の真理を追究してもおかしくないということがわかり、

今までの自分の行動が「うつけ(たわけ)」ではなく、

ただただ探究心があったということがわかりました。

そこからは、多くの人にわかりやすいよう、

探究心は探究心で、点数をとるのは点数をとる、という形で

定期テストでは高い点数を、進学校に行くなど・・・

自分の領域に他の人が入ってこないようにして、

自分なりの楽しい勉強をすることができるようになり、自信がつきました。

そうすると、自分を慕ってくれる後輩や仲間も増えて、

大学時代には、

リーダーシップを発揮して楽しむことができました。

 

でも、引き際はさっぱりしていて、もう自分はこの世界に必要ないや!と思うと

「すぱっ」と手を離すのもはやかったりするんですよね。

「また、自分をわかってくれない人がでたんだ。しかも後輩(部下)がそう思うなら

もうしょうがないや~。」と。

信長のように後輩に裏切られたことはないけど、なんとなく違和感を感じた時はすぐに身をひきます。

だって、自分をわかってくれる相手なんて少ないんだから、わかってくれないなら、自分から手をひいて

新しい世界に行った方が良いもんと。(もちろん、何年かはがんばるけどね。)

 

だから信長が本能寺の変で「是非もなし」とあっさり自分の幕をおろしたのもわかる気がします。

だって、小さいころはわかってもらえなかった、大人になって自分を慕う人が多くなったけど、

それがどんどん巨大化して、だんだんと統一できなくなってしまったので、

また昔のころに戻った感じがした。

その中で、たぶん自分の意志をついでくれる部下がいることもわかっていて、

もう自分じゃなくても・・と思ったのでは?と。

 

あくまで、私の思い出と信長の生き方をスライドさせてみましたが、

小さい頃に能力を認めてもらえない人って、

どんなに努力してもわかってもらえない人にはわかってもらえないことを知っていて、

権力を握ってから慕ってくる相手も嘘か本当かを見分けられるようになっているんだと

思います。(全員じゃないけど)

 

私個人の勝手な見解なので、もし不快に感じた方には大変失礼ですみません。

 


歴史模擬授業(第17回 安土・桃山時代)②-1

2010年11月12日 14時47分07秒 | 歴史☆模擬授業
今回は歴史模擬授業17回目、安土・桃山時代です。(詳細は、前の記事をご覧ください)

戦国~安土・桃山時代は好きな方が多いので

「実際はちがう!」とか「この人はもっと素晴らしい人で・・・」などと

思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、これは数多くある1つの話なんだ、

と思って頂けると幸いです。

ではでは、安土・桃山時代の授業を行います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「さーて、今日は安土・桃山時代を行いましょう!」

「わーい!ここらへんの時代って、ぼくたちの住んでいる愛知県にゆかりのある歴史が多いので楽しみ。」

「よく知っているね!」

「うん、だって、ぼくの実家は古戦場跡の近くにあるから、よく知っているんだ。」

「小さいころから身近に感じている歴史があるってのはより授業を楽しめるよね。」

「うん!あそこで昔、こんな事件(戦い)があったんだ~と想像できてたのしいの!」

「よかったね~。ではでは始めまーす。まずは、安土・桃山時代に深く結び付く、戦国時代からみていこう!」

「戦国時代って、室町時代後期のころの時代だよね。」

「民衆が土一揆・国一揆はおこすわ、

 大名たちも戦国大名になっ独自のやり方でそれぞれ領地を治めていたんだよね。」

「下剋上の風潮が高まって、争いがたえなかったんだよね!」

 

「そうそう!みんなよく覚えてくれているね!

みんなが言うように、とにかく戦争・戦争・戦争!っていう状態が100年ほど続いたのよ。」

「長いよね・・100年。生まれたときからずっと戦乱の世という人たちがほとんどだよね。」

「そうよね。だれだって戦争は嫌でしょ。」

「うん、死にたくない!」

「当時の人だって同じ気持ち。戦争はなくしたい!と思った人が多かった。」

「じゃあ、みんなで戦争やめよ!と決めちゃえないいのに・・。」

「でもね、戦争が終わった時に自分が不利な状態になりたくないでしょ。

 戦争は終わったはいいものの領土は他の人に取られた、とか。」

「た・・・たしかに・・。」

「もちろん、損得勘定抜きで戦争を終わらせることが一番なんだとは思うんだけど、

 かなしいかな、欲深い人間は、そうはいかない。」

「うーん。」

「そこで、戦争を終わらせるにはどうすればいいか・・・。」

「うーん。難しいなー。」

「たとえばね・・圧倒的な強さの前には誰も戦いを挑もうとはしないよね。」

「た・・・たしかに。」

「すぐいじめをする奴が、怖い人にはいじめをしずにいるもんね。

 いじめをする奴って相手が弱い!と思うから、間違った正義の名のもとに、いじめをするんだもんね。」

「そうなの、だからいじめをなくすには、いじめられる本人が、

 いじめる相手より強くなること(弱さをみせない)ことも1つの手なんだよね。

先生もいじめにあったことがあるんだけど、

その子たちがいじめたときに悲しい顔したり怒ったりして

いちいち反応するので、いじめがおこったんだよね。

それで「友達いなくても1人で生きよう!」と決心して、

いちいちいじめっ子のいやがらせに反応しなくなったら、いじめがなくなり、

そのあと、その子たちよりもうんと勉強できるようになって、堂々とした態度で行動するようになったら、

もう相手は何もいってこないようになったんだ。」

「せ・・先生にそんな過去が・・・。」

「うん。もしいじめなどで辛い思いをしたら、先生のところに来てみてごらん!一緒に解決していこう!」

「はい!!」

「さて、では歴史の話に戻すね。

 戦争ってのは、相手が弱いから・もしくは同等だと思っているからおこる。

 そこで、圧倒的な強さのものが1人現れて、みんながその人の言うこときくようにすればよい。

 

 その圧倒的な強さをもった人物と言うのが・・・織田信長なんだ!」

「あの有名な信長公!」

「織田信長尾張(愛知)の武将の1人に過ぎなかった。

 でも、次々と強かった戦国大名たちを倒し、

 自分に逆らわなくさせていったんだ。」

「つまり、戦国時代を終わらせたのは、織田信長だったんだね。」

「そういうこと。

 

   しかも、ちょうど、今まで交流をもっていなかった外国も日本に訪問するようになり、

   日本にはない新しいものも日本に入ってきたのが信長の戦いを後押ししてくれるようになったの。」

「?」

「実はこのころ、ヨーロッパとりわけスペインポルトガル

  海外進出に乗り出していって

  次々と色々な地に行くようになったの。

  そこで、「東方見聞録」にも「黄金の国じぱんぐ」と

  賞されている日本にも当然来るわけで・・。」

 

「あ、鎌倉時代に習った、マルコ=ポーロの「東方見聞録」がここにつながってくるんだね。」

「そうなの!そして、ヨーロッパには日本に色々なものを伝えたの。

     その中で最も大切なものが2つ。

   1つはキリスト教、もう1つは鉄砲(火縄銃)。」

「ヨーロッパ人はキリスト教を信じているもんね。」

「スペイン人たちの主な目的なキリスト教(のうちのカトリック)を伝えることにあったみたいよ。

    

    まず、1543年ポルトガル人によって、種子島という島で鉄砲(火縄銃)が伝わったの。

    この鉄砲が伝わったことで、戦国時代の戦い方に鉄砲による戦いも加わり、

     一説には鉄砲伝来のおかげで勝負がはやくつくようになり、

     戦争がおわり全国統一が早まったといわれているわ。」

「弥生時代の鉄の伝来でもそうだったけど、

    1つの武器が導入されることで、歴史が大きく転換することって

     あるんだね・・・。」

「そうなんだよね、だから新しい物を作ることは良いことかもしれないけど、

     それが世の中にどう影響をあたえるかまで考えて開発することは大切なんだろうね~。

    

     では、話を元に戻すね。鉄砲伝来後の1549年に次は、

   イエズス会(というキリスト教のローマ教皇の公認を得た修道会)の宣教師(宗教を伝える人)の

    スペイン人フランシスコ=ザビエル鹿児島キリスト教を伝えたの。

    それ以後、日本各地に布教(宗教を伝えること)して、

    日本人でもキリスト教徒になる人も現われてね。

    キリスト教は、人類は神の下に平等、という精神があるので、

    身分制社会で苦しんでいる人たちに新しい道を示したりしたの。」

「へー。」

「鉄砲とキリスト教が伝わったあとで、ポルトガル人・スペイン人と貿易をするようになってね

    当時の日本人は、ポルトガル人とスペイン人のことを、南蛮人と言ったので、

    彼らとの貿易を

    南蛮貿易と言います。

    南蛮貿易ではさっき言った鉄砲や、それに必要な火薬などが日本に輸入されたそうよ。」

 

 

「では、次は、鉄砲・キリスト教の伝来によって日本にもたらされた影響について。

 

    まずキリスト教に目を付けたのが織田信長。」

「なんで?」

「キリスト教というまだ日本に染まりきっていない宗教を保護することで、

     長い間日本に浸透し、権力と結びついた宗教団体を弾圧しようと考えた、という説があるわ。」

「?権力と結びついた宗教?」

「あ!仏教!」

「そう、仏教。すべての仏教が権力と結びついたわけではないし、仏教の教え方そのものは美しいものよ。

      でも、約1000年日本に浸透していると、どうしてもね。」

「そういえば、加賀の一向一揆の「一向」って仏教の一派「一向宗(浄土真宗)」のことだったよね。」

「そう!よく気がついたね!信長は一向一揆を押さえるのも必死でね。

       少しでも自分の戦況がよくなるように、彼らの信じている宗教を取り払えたら・・・と。」

「ふえー、信長さんは色々考えていたんだね。」

「ではでは、次は信長さんがどのように戦国時代を終わらせたのかをみていきましょう!」

「はーい。」

ーーーーー

つづく。

 ーーーーーーーー

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


歴史模擬授業(第17回 安土・桃山時代)①

2010年11月12日 14時46分25秒 | 歴史☆模擬授業

今回は歴史模擬授業の安土・桃山時代です。

安土・桃山時代は内容的には1つでまとめたいのですが、

文字数の関係で(10000字以上を超えるとPC動作が鈍くなる)

全体の説明・安土時代・桃山時代に分けたいと思います。


ーーーーーーーーーーーー




「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。


武将ゆかりの愛知

2010年11月10日 13時14分03秒 | 歴史へのつぶやき&興味

昨日も300以上のアクセスをありがとうございます。

現在、歴史模擬授業の安土・桃山時代の下書きを時間が空いている間に、ちょこちょこ、作業しています。

戦国~安土・桃山時代は、

私の地元の愛知県が舞台だったり武将の出身地だったりするので、

なんとなく愛着があります。

私の実家は、織田信長ゆかりの場所が多いので、とりわけ信長さんには親近感がわいていたりも。

家庭教師の生徒さんたちや友達のお家に行くときに、地下鉄出口あたりにある史跡名勝マップを見ると、

有名な戦国武将ゆかりの地だったり、合戦場の近くだったりするので、どこへ行っても楽しめたりも。

 

戦国武将好きの人には愛知県はたまらない場所なのかな~と思ったりします。


戦後史の授業

2010年11月09日 11時54分10秒 | 教育者としてのつぶやき

昨日も300以上のアクセスをありがとうございます。

 

昨日は戦後史の授業だったのですが、

戦後史ってあまり説明してくれる先生がいないそうで、

生徒に「ありがとう!」と言われました。少しでも役にたっていたら嬉しいな。

 

たしかに、私も戦後史を、集団指導をしている先生たちに教えてもらった記憶はないです。

(時間的に戦後史はできないのはわからなくはないんだけど・・・。)

「あまり入試に出ないから」(実は最近は私立中入試に出ることも・・。)

とか

「教科書を読めばわかるから」(という名の先生の逃げ)

と言われ・・。

しかたなく、市販の参考書を片手に勉強し、

家庭教師の先生に聞きながら勉強した覚えがあります。

 

戦後史はその歴史を生きてきた生の話と照らし合わせて聞けるのがうれしかったです。

家庭教師の先生は教科書をベースに実体験も話してくれました。

 

私も色々な歴史を実体験することになります。

そのときに感じた感情や社会情勢を忘れずに、

後世に伝えていけたら・・と思います。

 

 


歴史模擬授業(第16回室町時代 後期)②-2 画像2

2010年11月06日 12時18分37秒 | 歴史☆模擬授業
先ほどの記事の続きで、歴史模擬授業(室町後期)で使用する画像をアップいたします。

今度は、守護大名と戦国大名の違い
割とわからない人が多いんですよね。

イメージとしては、守護大名が元々お家が良い人が強くなったイメージ、
戦国大名が本来はトップに立てない人たちがのし上ったイメージかな?

あと、細かく言うと違うけど、大まかには

◎南北朝の動乱を機に強くなった(室町初期)→守護大名

◎応仁の乱を機に強くなった(室町中期~後期)→戦国大名

と思っても良いです。



※あくまで分かりやすく説明するためにつくったものなので、
詳細は異なりますので、ご了承のほどよろしくおねがいいたします。

歴史模擬授業(第16回室町時代 後期)②-2 画像

2010年11月06日 12時11分36秒 | 歴史☆模擬授業
この記事の1つ前の記事歴史模擬授業(室町後期)用に使用したい画像を
アップいたします。


まずは土一揆や下剋上などの違いについて。





それぞれ身分や団体か個人で行うか否かで行うお上の反抗のやり方が
かわってくるんですね。


※これは分かりやすく図式したものなので、詳細は異なる点もあるので
 ご了承のほどよろしくお願いいたします。

歴史模擬授業(第16回 室町時代後期)②-1

2010年11月06日 12時00分00秒 | 歴史☆模擬授業
今回は歴史模擬授業16回目の続きです。

室町時代中期の続き、室町時代後期です。
(詳細は、前の記事をご覧ください)

室町時代は200年以上続いた長い時代で
さらに、内容がもりだくさんなので、
内容ごとに3つに分けたいと思います。
3つの区分は、

初期:建武の新政~南北朝の動乱、

中期:3代将軍足利義満~8代将軍足利義政

後期:応仁の乱(8代将軍義政)~戦国時代


という形にします。中期と後期は時代が被っていますが、
内容的に、中期では義政の時代の文化を、
後期では義政の時代の戦乱(応仁の乱)を、という形にしております。

ではでは、今回は室町幕府の後期の授業を始めます。

ーーーーーーーーーーーーー

「ではでは、今回は、室町時代の終わりをやりましょう!」

「ついに、200年以上にわたる長い時代が終わるのね。」

「この前は、3代~8将軍まで行ったわね。
 中期では、幕府中央の上の身分たちの動きや文化を中心に見ていったけど、
 今日は同じ時代あたりにおこった、地方の動きや下の身分いわゆる一般民衆の動きを、
 そしてそれによっておこる戦乱の世を見ていきましょう。」

「はーい。」

「まずは、室町初期の南北朝の動乱の時期の地方の動きを見ていきます。」

「南北朝の動乱って、たしか・・・南朝と北朝に朝廷が分かれて戦っていた時代だよね。」

「室町幕府の1代将軍足利尊氏から3代将軍の足利義満のころまで
 ずっと戦乱の世が続いたんだよね。」

「そうそう、よく覚えているね。この南北朝の動乱の時代が
      約60年間という長い間、
     続いたものだから、室町幕府(および勝利した北朝)は
     中央の政治でいっぱいいっぱいだったみたいなの。」

「あ・・じゃあ、そうすると・・それぞれの地方を、幕府がしっかり見張るのが難しい?」


「うん、そうなの。
       それで、南北朝の動乱で中央の幕府があっぷあっぷな状態なので、
       うちらはうちらでやるわ~という感じになり、
       地方を治めていた守護が国内の地頭などを家来にして、
      国を支配するようになったの。」

「鎌倉時代のように、

      鎌倉幕府に忠誠を尽くす守護・地頭じゃなくなっていったってことね。」

「あ、だから、室町時代初期にならった室町幕府のしくみのときに、
     守護の下に地頭が入っていたんだ。」

「このように、地頭を従えて、国内を支配した守護を守護大名というの。
 実際に、室町幕府は、中央の将軍と、地方の守護大名の連合政権だったそうよ。」


「中央(上)がごたごたしていると、本来従うべき人たちが力をつけてくるんだね。」


「そうなのよね。
     そして、また同じように、上がゴタゴタする事件が
     代将軍足利義政の時代におきるの。」

「あ、足利義政治って、室町中期のときに習った・・東山文化のときの将軍ね。」

「そうそう。足利義政のころに、
   さっき言った守護大名である細川氏と山名氏という一族の対立や、
   将軍家や管領家の相続争いなどが結びついて、
   約10年間も続いた大きな戦乱がおこってしまったの。

   その戦乱を、応仁の乱(1467~1477年)というの。」

「うわー。いろいろな争いがまぜまぜで・・・。」

「応仁の乱で、京都は焼け野原となってしまってね。」

「なんで京都が?」

「よく考えてごらん。この時代に朝廷があるのは?」

「京都。」

「室町幕府があるのは?」

「京都」

「あ!わかった!朝廷も幕府も京都にあるから、そこが激戦地になったんだね。」

「そういうこと。

      長い間幕府が戦争してて、
      中央機関があるあたりが焼け野原になるってことは・・・、
  
    地方の人たちはもう勝手に政治するわ~ということになるよね。」

「あ・・・たしかに。」

「さて、そこで、応仁の乱を少しさかのぼって、
      1400年代前半の地方&一般民衆の動きをみていきましょうね。」

「はーい。頭を切り替え切り替え!」

「まず、室町時代になると、農業・商業などの産業が発達したの

    例えば農業では、鎌倉時代では西日本を中心に行われていた二毛作
    関東地方まで広がったり、水車を使ったりするようになってね。

    それで、だんだんと農民たちの生活も豊かになっていったの

    また商業も活発になっていったので、市場も多く開かれるようになった。
    鎌倉時代では月3回だった定期市が、室町時代には月6回になったそうよ。」

「農業も豊かになれば、それだけ、物も増えるからかな・・。(予想)」

「そして、港には年貢をたくわえる倉庫である問丸(といまる)が、
 
   京都や奈良の都市では、土倉と呼ばれる質屋がさかえたの。
   酒屋も金貸しを営んでいたそうで。

   都市に住んでいる人たちはもちろん、
   都市の近くの農民も土倉や酒屋から金を借りていたそうで。

 
   こうやって、産業がさかんになったので、都市が発達するの。
   港付近で発達した都市を港町、神社や寺のまわりで発達した都市を門前町
   と言います。」

「ほえー、どんどん一般庶民も豊かになっていくんだね。」

「そうなの。他にも、商業が活発になったものだから、
    商人や手工業者などが、(ざ)という同業者の組合を
    作ったりもしてね。まあ、いわゆる今で言う会社みたいなもの?」

「へー。」

「でね・・・、そうなると、商人や農民たちが、
 
    あれ?おれらだけで生活できるんじゃね?
    
    おれらだけで住んでいる村(国)を動かしてもいいじゃないか?

    守護大名がいぱっておれらの住んでいるところを支配しているけど、
    守護大名がいなくてもいいんじゃない?
 
     という自立心がでてきたの。」

「そうだよね。力をつけてきたら、わざわざ従う必要がない!と思う人もいるもんね。」

「例えば、農民の場合はどうか、を見ていきましょう。
 
   農民たちの暮らしが豊かになるにつれて、
   村の有力者の中で新しく武士になる人が現れるの。
 
   そのような武士を地侍(じざむらい)といいます。」

「農民から武士の身分になった人もいるんだ。」

「地侍にならない農民たちでも自立する人たちも現れて、
     自分の住んでいる村のまわりの堀をめぐらせて戦乱に備えたりと、
     全員で力を合わせて村を守るようになったりね・・。」

「農民たちだけで、1つの領地ができたみたいな感じなんだね。」

「うん。農民たちは、寄合(よりあい)という会合(会議)に集まって、
    村のおきてなどを決めていたそうよ。」

「あれ?寄合っいう言葉聞いたことある!
 ぼくのおじいさんが、地元の農家の人たちと会議しにいくときに、
 「寄合に行ってくるでよー。」と言ってた!」

「ハム君のおじいさんは農家なんだね。
 今でも、会合のことを寄合というところもあるみたいね。」

「あと、寄合をしながら、農民たちが自分たちで治める自治組織を(そう)と言います。」

「あれ?うちの地名に、「惣」っていう文字がついているよ!
 それって、ここからついたのかな?
 僕の住んでる地域は昔から農業がさかんだったみたい。」

「うーん、どうなんだろう。郷土史を調べてみないと何ともいえないけど、
 その可能性も大だよね!」

「今度の夏休みの自由研究は地名について調べてみようかな~♪」

「そうだね。おもしろそうなのでがんばってねー!
 地元の図書館に行くと、良い本があるかもしれないわね。」


「はい。」

「さて、ここで本題に戻るね。農民たちは惣という自治的組織をつくり、

      次第に自立していく。
 

       しかし、その地域を治めている守護大名や荘園領主たちは存在しているでしょ。
      その人たちに対して、年貢の引き下げなどを農民たちが要求するようになっていく。

     そして、重い重税をかける守護大名などに反乱して農民たちの反乱が各地で
      おこるようになる、

     そのような反乱を、農民(土民とも言う)たちが一致団結して動いたという
   意味で、土一揆(どいっき・つちいっき)と言います。」

「農民たちがすっごく強くなったんだね。」

「農民あがりの地侍もいるから強そうだよね。」

「この土一揆で有名なものが、

    1428年近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)でおこった
    正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)。

    この一揆は農民らが、徳政令(借金の帳消し命令)を出すように
    幕府に要求したそうで、酒屋や土倉におしかけて、借金証文を破り捨てたそうで・・。

    これが一番初めの土一揆で、この後、各地で土一揆がおこるようになったの。」

「土倉は質屋のことで、酒屋は高利貸しをしていたって、
 さっき習ったよね。まさか、こうつながるとは・・。」

「ちなみに土一揆が始まったのは、応仁の乱以前なのよ。
    (応仁の乱以降も土一揆は続くけど))

 今度は、応仁の乱以降の民衆の一揆を見ましょう。

 約10年続いた応仁の乱で中央はもうガタガタ。
 もちろん、地方のトップ(守護大名たち)だって、ごたごたはする。」

「室町幕府は幕府の将軍と地方の守護大名の連合政権だったから、
 幕府がゴタゴタすれば地方でもね・・。」

「そのころは、土一揆はおこっているわ、
   村の農民や都市の住民たちが自分たちで自治をするわ・・で
   民衆の力が大きくなっている。

   それで、一般民衆たちが守護(守護大名)を追い出して、
   完全に自分たちで自治するような反乱をおこすこようになったの。

   それを国一揆と言います。」


「もう、民衆の力はとめられないんだ・・。」

国一揆で有名なのが、

   1485年に始まった、山城の国一揆

    山城(やましろ:現在の京都)の地侍などがまとまり、
    その国を治めていた守護大名の畠山氏(はたけやまし)を押し出して、
    8年間自治を行ったのよ。」

「強い・・・。」

「あと、他にも、応仁の乱あたりから、一向宗(浄土真宗)が
  近畿・北陸・東海地方に急速に広まってね。
 

   一向宗を信じる地侍と農民たちが固い絆に結ばれ、村ごとに団結して、
  さらにいくつかの村々が固まって荘園領主や守護大名に対抗するようにもなってね。
   そのような反乱を一向一揆というの。」

「ほえー。」


一向一揆で有名なのが、1488年におきた加賀の一向一揆

   加賀(かが:現在の石川県)が守護大名の富樫氏(とがしし)を攻め滅ぼして、
    約100年間も自治を続けたの。」

「100年!すごい!それだけ加賀は農民たちが強かったのね!」

「そうなの。なので、加賀は「百姓(ひゃくしょう:農民のこと)の持ちたる国」とも
 呼ばれたりも。」

「ほえー。」

「これが民衆の動き。では、次は地方の大名の動きをば。

 応仁の乱以降、ずっと戦乱が続くようになった。
 そのうち、下の身分の人たちが上の身分の人たちを実力で倒して
 自分たちがトップに立つようになる風潮
が出てきたの。

 そのような風潮を、下剋上(げこくじょう)と言います。」

「もう、身分よりも実力がモノを言う時代になってきたんだね。」

「そうね。このように実力をもって領地を支配するようになった大名を戦国大名というの。

   戦国大名たちは、荘園を奪って、その土地とそこに住んでいる住民たちを
   直接支配するようになって自分たちの国をつくるようになる。

   さらに、自分たちの領地の独自のきまりをつくって、それに基づいて領地を支配した。
   そのようなそれぞれ独自につくったきまりを、分国法と言います。」

「もう、ごっちゃごちゃだね。」

「そうなの。一般民衆の農民や地侍の土一揆や国一揆はおこるわ、
 地方のトップは戦って地位は獲得するわ、幕府や朝廷のある京都は
 応仁の乱で焼け野原になって復興するのに大変・・・。
 

    もう、誰が誰に従うかごっちゃごちゃ、気にいらなければ戦おう!

    という戦乱の世になった。

  このような戦乱が応仁の乱以降約100年続く。
  そのような時代を戦国時代というの。」

「あ、戦国時代って聞いたことある!」

「有名だものね。戦国時代っていうのは、
    室町時代の後期(最後の約100年)を指すのよ。」

「ほえー。」

「ではでは、今日はここまで。今度は戦国時代がどのように終わったかをやるわね!」

      では終わります!起立、礼!」

「ありがとうございました!」

ーー
わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

ーー

















歴史模擬授業室町時代後期アップについて

2010年11月06日 11時58分38秒 | 歴史☆模擬授業
今回は歴史模擬授業の室町時代の後半です。

室町時代は200年以上と長く続いた時代なので、内容ごとに3つに分けたいと思います。
内容ごとに分けているので、多少かぶっている時代もありますが、そこはご勘弁ください。

初期:建武の新政~南北朝の動乱・室町幕府の成立
中期:3代将軍足利義満~8代将軍足利義政の時代&文化
後期:応仁の乱・戦国時代

となります。

室町時代のまとめを記した画像は、現在製作中ですので、
後日またアップさせていただきます。

また、模擬授業の記事上に画像をアップすると、
文字数が多いためかPCの動きが鈍くなるので、
別記事で画像はアップいたします。







「歴史模擬授業」という記事を数か月に数回更新していきたいと思います。

これは実際の授業形式を文字であらわしていこうというものです。

劇の台本みたいな感じになると思います。 定期的に内要がまとまったら、
HP「しゃかしゃか★ぶりっじ」にて改定してアップする予定です。

読むときに、 →先生、 →生徒その1(ひなちゃん)、 →生徒その2(はむちゃん)、→生徒その3(ねこちゃん) だとだと思って読んでください。

(みんな、びっくりするぐらいいい子ですが、そこはご勘弁を・・)

また、設定は、私立中学入試をひかえた小5の授業(塾)だと思ってください。


今回は文字数が最大数を超えてしまいそうなので、もう一つ記事を作ってアップさせていただきます。

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。