昨晩、ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮の
シェーベルクの「浄夜」を聴いてから、事務所の外に出ると
ちょっと、涼しい夜風が、、、、。
なんだか、薄情な空気が充満して、ソリッドに
パッケージされ、それが戸外で一気に破裂した快感を
浴びた。
家へ帰って、ラサールSQの弦楽六重奏版。
朝からは、事務所で、
ブーレーズの弦楽六重奏版と弦楽合奏版。
それから、シノーポリ指揮のものと
「浄夜」5連発。
うつうつうつ、、、、。ソリッドに充満したのは、
古くさい、ロマンかもしれないし、破裂寸前の
何かかもしれない。鈍重だあ。
で、昼ごはん食べて、確実に飽きた、嫌になった。
オーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」を聴く。
なにが違うって、速度が違う、とにかく突き抜けて
それは、「かっこいい!!」。
シェーンベルク兄
オーネット兄、
どちらがかっこいいかといえば、、、、、。
この昼飯後の時間では、オーネットが破裂して群を抜いていた。
「浄夜」1899年
「ロンリー・ウーマン」1959年 作
たった、60年の差。
で、ついでにオーネットがジェリー・ガルシアのギターと
共演した作品も聴く。これは、1988年。
これまた、速さが違う。「かっこいい!!」
一昨日聴いたブーレーズ指揮の「フランク・ザッパ集」
(そんなんあるんよ)では、
鬱積、屈曲なのに、鈍重が感じられて
破裂もなにも、突破不可能だった。
★
秋ももうすぐそこで、秋咲きの朝顔もやっと
開花しそうだし(自宅の朝顔は、6月から今までずっと
毎日開花している)
この騒々として、音楽の気配、ほんと嫌。
この嫌さを、一編の詩に昇華できたらなあ、
と思いながら、蒸し暑い事務所で、シューマンを聴いている。