ベートーヴェンのことが書いてある本を探していて
吉田秀和の「ソロモンの歌」を手に入れる。
ぼくは、クラシックのレコードを買うときにずっと
座右に置いてきた、吉田秀和の「LP300選」。
そうした音楽の情報を読もうと思ったのだが
思いがけず、
中原中也と吉田一穂に出会った。
吉田秀和という人は、いまでこそ、クラシック随想の大家ではあるが
その昔は、中原中也や大岡昇平や小林秀雄と交友があったことは
知っていた。
でもこの「ソロモンの歌」で書かれている「中原中也像」こそが
ぼくが先年よりいろいろ耳にしてきた中原の生な姿だったんだ
と、くいいるように、しかもじっくり味わって読んだ。
冒頭の散文が
・中原中也について
次が
・吉田一穂のこと
次が
・小林秀雄、伊藤整、大岡昇平
である。
音楽に出会おうと意図していたのに、詩人に会った。
それにしても吉田秀和は、なんとめぐまれた人との交友機会を
もっていたのだろう!驚いた。
中也については、その破滅と天才について畏怖しつつも不思議であった像が
くっきりと描かれている。
当時17歳だった、吉田が年上の中原に無理に酒をおごらされるに
至ったことが書かれていて、とても生な体験記述だった。
伊藤整は、中学まで英語を習っていたという。
小林秀雄が大岡昇平の家に行き、シベリウスのヴァイオリン協奏曲
をかけるところもよかった。楽しい記述だ。
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とても驚いたのは、吉田一穂との交友。
ひたすら私淑した、この詩人のことは、美しく絶賛している。
一穂の住まいの情景をとくに称えている。
そして一穂が書いた、詩の定義めいた言葉を要約して
こう記している。
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引いてみる
「詩人」吉田一穂についていえば、だから青春の「詩の泉」は去ったが
より広い人間的なものへの関心を通じての転身の機会も、向うの方から
離脱していった。
『だから詩を書くのだ。私は詩人であり、ほかの何者でもない』
『だが詩とは何か?』
そして次の言葉を注視した。
『詩とは自分の内外にある虚無に向って、火を放つものだ』
『詩は、もう一つの宇宙を創る天を低めて自らを神とする術である』
こういう裸かの思想を、何度私たちは、きいたことだろう。
『明日は詩をつくるだろう!』
しかし、その明日、氏を訪ねてみると、机の上には、ただ白い原稿紙
とペンとパイプがあるだけで、その白い紙には何も書かれていない。
『昨夜は何も書けなかった。今日は一つ歩いて、金をつくって来なけ
ればならない』
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ここに詩人がいる。ほんとうにだ。
ぼくは、この文に接して、生気を頂戴したように嬉しい。
『自分の内外にある』『虚無に火を』『放つ』
『もう一つの宇宙を創る』『天を低めて』
含意熾烈。
詩の血も骨も、一旦は笑う凄みがありながらも
それがひとつの生存にかかわる、はぐれた生であることを
諦観している。
吉田一穂の詩論的散文を昨夜から、貪るように読んでいる。
すべてが、メタファー論であり
生存と非存の領野をいったりきたりする
それはそれは、強いメタファー観であった。
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吉田一穂の年譜を見ると
秀和と一穂の出会いは、昭和6年
一穂、33歳。吉田秀和は、高校二年。
そのころ、中也とも交友があったことになる。
年譜にはさらに、
「吉田秀和らは」
『一穂のすべての生活の協力者となる』
と記されている。