B-winds(ブレイスの風)

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(転職ヒストリア⑩)藤沢武夫の場合

2014-04-04 22:22:35 | 求人案件検索


「本田と藤沢が運命の出会いをしたのは昭和24年8月、焼け跡の残る東京阿佐ヶ谷のバラック小屋だった。戦争が終わって4年、人々は貧しい中にも、復興の希望に燃えていた。
"浜松の発明狂"だった本田は『東京に出て本格的なオートバイを作りたいが、金がない。』福島で製材所を営んでいた藤沢は『夢のある技術を持った男と組んでモノを売りたい。』初対面の二人は数分で意気投合し、『モノ作りは本田、カネの工面は藤沢』と役割分担を決めた。藤沢はその場で製材所を叩き売って、資金を作ることを決意した。」-伊勢雅臣氏著 "人物探訪"より-
本田宗一郎と藤沢武夫。この名コンビなしに「世界のホンダ」は生まれませんでした。その名コンビが、初対面からたった数分で誕生したというのは驚きですが、思い当たる節もあります。
実は転職の場合も、うまく行く場合は、面接から内定までが非常に速い。逆に企業が候補者の経歴の些細な事を問題視したり、候補者が、給与や勤務地等を気にして逡巡しだすと、うまくいかない場合が非常に多いのです。
大切なのは、「この会社(この社長)に賭けてみよう」「この人材に賭けよう」と思えるかどうか・・・。それだけだと、私は思います。