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散歩道・68~高尾山富士浅間社

 高尾山薬王院奥之院の最上部に“富士浅間社(ふじせんげんしゃ)”がある。これは戦国時代に北条氏康が高尾山に富士浅間大菩薩を勧請したもので、残念ながらこの位置からは富士山は拝めない。
 高尾山薬王院公式ホームページには
『伝承によれば、山頂を過ぎてもみじ台、一丁平に至る手前南側に“富士見台”と呼ばれる小さな頂があり、かつてここにひとつの御堂が構えられ、拝殿の奥の扉が開かれるとご神体の富士山が一幅の絵のように拝されたという。今でも奥之院から山頂に向かう道筋を“富士道”と言い慣わしている。昔はこの道筋を白装束の富士道者の一行がチリン、チリンと腰の鈴を鳴らしながら賑やかに行き交うのが夏の風物詩であった。
 “北条記”によれば、富士浅間社の高尾山勧請に伴い、富士吉田の禰宜達が悉く武州八王子に移ったとあるが、この禰宜達が高尾山修験先達集団と渾然となって高尾山参詣と富士詣でとを広めていったと推察される。
 江戸時代となって関東の修験道勢力は、幕府の強大な力を背景に日光男体山を主な行場とする天台宗本山派の二荒山(ふたらさん)修験に収斂されていく中で、高尾山修験道が関東地方には珍しく孤高を保ち、真言宗智山派修験の旗幟を守ってきた要因として、富士山修験道の勢力を無視することはできない。』とある。
 薬王院から“冨士道”を通って山頂に向かう間、富士山の姿は全く見えないのになぜ“富士道”と呼ぶのか疑問だったが、この道が山頂を過ぎ一丁平方面まで続いていたのだということで理解できた。
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ツルリンドウ・3~種子

 奥高尾“一丁平北巻き道”で見つけた「ツルリンドウ(蔓竜胆)」。リンドウ科ツルリンドウ属のつる性多年草で花期は9~10月リンドウの果実は蒴果になるがツルリンドウの果実は液果になる。写真は虫が喰ったのか穴が開いていて、中に長さ1.5~2ミリの種子が数個残っていた。
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