長電話

~自費出版のススメ~

あきれてものも言えない

2009-05-04 | アート
清志郎の死にかこつけて、酒を飲む。誰かの為に酒を飲むなんて久し振りです。

反権力だの、平和だの、ジョンレノン同様、どうでもよろしい。なんでこんな連中とコラボするんだろう、ていう企画もあって、新作への興味はあまりなくなってはいたので、彼の死を追悼するする資格なんて本当はないのではあります。最後に彼の生の声を聴いたのはたまたま自転車で立よった日比谷公園からもれきこえる野音のリハーサルだったし。

「初期のRCサクセション」というファーストアルバムの最後に
「僕達の唄を聴きにきてください。僕達はいつも一生懸命唄っています。たとえお客が『嫌なやつばかり』でも、僕達はいつも一生懸命唄っています。ホントです」
という短い歌があります。彼は学生運動を「烏合の衆」と罵り、「やさしさ」に溢れた当時のフォ-ク歌手達に「誰もやさしくない、だからせめて汚いマネはやめようじゃないか」と諭しました。つまり「木枯し紋次郎」よろしく疎外から生まれる音楽をテーマとしてきたのです。

ワイドショーで彼を「偉大なロックミュージシャン」のよう扱い、本田美奈子のように癌と戦った芸能人レベルの編集をされるのに、私もいまさら反発を覚えるような年齢ではありませんが、星新一の葬式に参列した地味なタモリとか、その後ミニアニメシリーズで作品をテレビ放送したNHKのプロデューサーのように、その存在をさりげなく日常に組み入れていくのが、彼の死に対する礼儀のような気がします。

吉本ばななは手塚治虫が亡くなったとき、「おむかえでごんす」というコメントを月刊カドカワに寄せました。同様に「あきれてものも言えない」を流しながら、彼の死を悼みたいもんです。