赤ちゃんポスト設置許可、熊本市が最終検討へ 読売新聞地域版 07/02/24
赤ちゃんポストの歴史は古い。中世ヨーロッパでは修道院などに設けられ、江戸時代にロシアに漂着した日本人を描いた井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」には捨て子を入れる引き出しを持つ施設が登場する。
現代のポストの“先進地”はドイツで、慈恵病院も視察し、参考にしている。(『赤ちゃんポスト』渦巻く賛否 読売医療ニュース 06/11/29)
仏和辞典では「(修道院で外部との窓口となった)回転式受け渡し口」(Le Dico白水社)などと訳されているが、子供の受け渡しをする?tour?の絵を偶然見つけたのは、ルソー関連の検索中だった。
?Tour d'hopîtal?のような素朴なものからNeonatology on the web : Tour d’abandon の写真のように豪華なものまである。
壁に取り付けられ赤ちゃんを外側から入れて一回転させるこれらのtoursは、19世紀に作られているようだ。
18世紀には教会や病院のポーチ下、通りや広場に、たいていは夜、子供を置いて行った。新生児の保護のため、フランスでは第一帝政時代(1811年)に勅令で「受け渡し口」を公認する。母親の匿名は守られるが、子捨てを助長すると批判を受けた。長い議論の末ディエップではこれを廃し、1845年からは受け入れ事務所を設けたという。病院と行政の代表が母親から事情を聞く。当座の支援をする代わり、子供を捨てないようにと説得した。
Seine-Inférieure(現在のSeine-Maritime)県ではディエップとルーアン、ル・アーヴルの総合病院が捨て子の受け入れに当たった。街路に放置されたり農村部から連れてこられたり、大半が新生児の子供たちは病気の場合が多く、1845年に同県では二人に一人が死亡した。
(ディエップ市のサイトにあるLes Enfants de l’Hôpital Bérengère Olingue)
18世紀、ジャン=ジャック・ルソーはテレーズ・ルヴァスールとの間に生まれた五人の子を、みんな捨て子養育院に送った。ルソーは『告白』などの著作や手紙で、あれこれ弁明をしている。もっとも子捨ては、特に貧しい人たちの間では珍しいことではなかった。
フランクイユ夫人宛ての手紙で、子供を?exposer?したわけではないと言う。つまり黙ってポーチ下などに「放置、置き去り」にしたのではない、ちゃんと孤児院に?déposer?(置く、預ける)してきたのだ。ルソーの時代にはこの区別は明確に行なわれていた。とこの辺はFrançoise Bocquentin Jean-Jacques Rousseau, femme sans enfants ? Introductionによる。教会の前には子供を置いていく大理石の貝殻があった。まだ「放置」のほうがずっと多い頃だから、ルソーの言葉が本当なら、彼は時代に先んじていたことになるという。
メルシエ『十八世紀パリ生活誌 タブロー・ド・パリ(上)』(原 宏訳 岩波文庫)には、「捨て子」「捨て子養育院」の章がある。養育院には毎年8000人の赤ん坊が置き去りにされる。並んだ揺り籠に眠る子供たちの姿にメルシエは思う。
これらの子供たちは誰の子なのだろうか?その子たちを産んだのは、王族かもしれないし、靴直しかもしれない、天才的な男かもしれないし、馬鹿かもしれない。そこでは、ジャン=ジャック・ルソーの子供の隣りにカルトゥーシュ〔伝説的な盗賊―引用者註〕の子供が眠っているかもしれない!(p.359)