発見記録

フランスの歴史と文学

彫像の共和国(3)アンヌマスのセルヴェ像

2006-02-21 22:37:23 | インポート

渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』(岩波文庫)の第9章「ある神学者の話(a) ミシェル・セルヴェの場合」は、1903年ジュネーヴのシャンペルの丘に建てられた石碑の銘文から始まる。
銘はこの丘でセルヴェが火刑になったことを述べた上「わが偉大なりし/カルヴァンを/崇敬しこれに感謝を捧ぐる/ 子たる我らは/師父の世紀の誤謬なりし/誤謬を糾弾するとともに、/ 聖福音書と/宗教改革との原義に基づき/信教の自由をば/かたく遵奉しつつ、/ここに贖罪記念碑を建立せり」
石碑の写真はhttp://miguelservet.org/Iconography で見ることができる。
「当時『ローザンヌ新聞(ガゼット)』は、「カルヴァンの栄誉のためにセルヴェ記念碑を建立した」と皮肉に評しました。しかし、とまれ一つの贖罪行為でもあったことは事実のようです。だが何の罪に対する贖いのつもりだったのでしょうか?一五五三年に焚刑に処せられたミシェル・セルヴェは、何が故に彼を火刑台に送った人々の子孫によって、数百年後の一九〇三年に至って、贖罪碑を送られたのでしょうか」(同)

同じ時期(1908年)、ジュネーヴと国境をはさんだアンヌマスAnnemasse(Haute-Savoie)にはセルヴェの像が立っている。そのことの意味まで考えずにいたが、上記Iconographyの解説ではもともとジュネーヴに設置されるはずが「宗教的反対により」due to religious oppositionアンヌマスに置かれたことになっている。その後ヴィシー政権時代に一度撤去され、現在の像は新たに作られたものなのはパリのシュヴァリエ・ド・ラ・バール像と共通する。セルヴェが問題的な存在であるのには変わりがなかった。

火刑はカルヴァン派の歴史の汚点、「カルヴァンの生涯で《最も暗い日》」(渡辺一夫)だったように思われる。
1908年アンヌマスのセルヴェ像除幕式には政教分離、信仰と思想の自由を謳うla Libre Penséeのグループばかりでなく、プロテスタントの神学者や牧師もいた。無神論の哲学者Otto Karminが「セルヴェ国際委員会」の名に於いてアンヌマスの牧師André Boegnerの出席を認めたのは、牧師がセルヴェの火刑を不寛容の罪と認めたからだった。セルヴェの死が象徴するものが「自由思想」派とプロテスタントの間のわだかまりを生んでいたこと、にも関わらず対話と共通の敵を前にした共闘が可能であったことを窺わせてくれるのがLa Libre Pensée (「自由思想全国連盟」のオフィシャルサイト)にある2001年の討論でのNicole Bossut氏の発言である。http://librepenseefrance.ouvaton.org/medias/france_culture/fc_irelp.htm 


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