昨夜、新三年のてい秋燕さんからメールがありました。
今までの私の経験では、
受け持つ学年は常に一年から四年まで網羅し、科目は多岐にわたっていました。
今学期は大学側のいくつかの理由で、二年生に科目が集中しており、
他学年の授業では三年が一科目「日本文学史」だけ、
四年生に至っては皆無です。
相手がころころ変わると、その相手の状況に合わせて授業を考えるので(一応^_^;)、
その必要が少ないほど気持ちが楽ちんです。
二年との絆が強まるのもとても嬉しいことです。
でも、その分三年や四年との交流が少なくなるのが、ちょっとね。
さらに今年、日本語学科に新一年はいません。
募集しなかったからです。
今後は隔年募集とする方針に変わったそうです。
日本語学科が弱体化するのは目に見えていますが、大学の判断ですから
私がどうこう言えるものではありません。
そんな中、新三年生のてい秋燕さんから「晩御飯を一緒に食べませんか」と
メールが入りました。
先学期末の会話試験は「自分の家族」をテーマにした3分~5分のスピーチでした。
せっかくなので、クラス全員に家に帰ったら、家族の前でもう一度、
今度は日本語と中国語でスピーチするよう夏休みの宿題に出しました。
秋燕さんはお母さんを前にしてスピーチしたそうです。
それを聞いて、お母さんが感激して泣いてくれたとメールにありました。
期末試験のとき、傍で聞いていた私にとって内容はそう特別でもなかったのです。
でも、生まれてからずっと、必死に守り育ててきた子どもの一言一言は、
その子のお母さんにとってどれほど重みがあるか何度確認してもいいことだと思います。
そして、その逆に親の一言ひとことも、子どもを生かしたり殺したりすると
思わずにはいられません。
数日前に、「黒子のバスケ」事件の被告の陳述を読んでいたので
特にそう感じるのかもしれません。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/
「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開
その陳述書もとても考えさせられました。
さて、
下はパソコンに残っていた秋燕さんのスピーチ原稿です。
「私の母」
てい 秋燕
皆さん、今日の私のスピーチのテーマは「私の母」です。
お母さんは子どもの人生の中で最初の先生だといわれます。
私の母はとてもいい母だと思います。
(私は母にとって、自分の命より重要なものなんだ)と思う事件がありました。
高校の時のある日、母が、寮にいる私に電話をかけてきました。
母は、
「お父さんの同僚の娘さんがバスの停留所で失踪しちゃったんだよ!」
と言いました。
母の話し方は緊迫した様子でした。
「今度家に帰るときは、私が迎えに行くから。」
と、いくら私が大丈夫だと言っても聞きません。
私のことをそこまで心配してくれているんだと思うと、胸が熱くなりました。
実は、どの母親にとっても子どもは宝物なのかもしれません。
私の母はずっと、私の勉強に対して、ものすごく厳しい人でした。
小さい時、もし、私が試験に合格できなかったら、とても厳しく叱られました。
母の真意が理解できなかった私は、長い間母が嫌いでした。
今、私は大学生になっていますから、もう母のしたことが理解できます。
子どものために、母は本当に苦労してきました。
私は母を愛しています。