毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「〈伝える〉が、バズるに負けている」No.2701

2019-11-28 23:45:12 | 表現

毎日ブログを書いていて、ときどきツイッターを覘いて見ると、

(何だ、この世界は!)と驚愕します。

ツイートという表現は

140字という文字数制限(半角英数は280字)の中で、

簡潔に伝えると言えば聞こえはいいけど、

かなりの紋切り型であり、

それへのリプライ(返事:リプと言うそうな)は

それに輪をかけて、もはや文とは言えないものも多いのです。

特筆すべきは、

ある特定の立場の人(公開された人)の表現に対して

反対する側(自分の身元を示さない者)の

罵倒や嘘言、トンチンカンのリプ(これをクソリプと言うそうな)が

とんでもなく多いことです。

例えばある参議院議員のツイートに対しての

「クソリプ」を挙げてみますと……

*○○議員、さっさと議員辞めて、日本から亡命して下さい。
そして、鳩山由紀夫さん同様、二度と日本に帰って来なくていいですね。

*○○議員は切り取って因縁つけるのが得意技な印象あるけどな。 

*まったく、いつまで花見の話し広げたら、気がすむのや、辟易するわ、千葉県有権者の皆様、○○を二度と国会に、送らないでください。

【パヨク】○○

*○○も反社会的勢力みたいなもんだろ。

 ・・・・・・・・・

自分がどこの誰か、身元が分かったら

恐らくこのような「クソリプ」は相当数減るでしょうが、

今はこういうゴミを撒き散らかされても手立てがないのですね。

こんなのをずっと読んでいたら、

人と人とのコミュニケーションが嫌になるというか、

人生に翳りができるというか。

      

ハフポストJAPANの編集長竹下さんが

「クソリプ時代の表現」について書いていたので読みました。

表現者たちは、

今の無残な状況をどのような表現で打開するか、

それを考えつつ記事を書き続けているのですね。

ブログという本当にささやかな場でつぶやく私ですが、

少なくとも相手とのコミュニケーションを端から断ち切った

「クソリプ」だけはするまいと心に誓っています。


ーーー表現のこれから2019年11月12日 

「伝える」が、バズるに負けている

profile image竹下隆一郎 ハフポスト日本版 編集長

"クソリプ"時代の「#表現のこれから」について考えるために、3つのアクションに取り組みます。

インターネットは声が大きい人が勝つ。政治や社会についての意見も、見知らぬ誰かの“クソリプ“にかき消される。

ネットが広まって20年。丁寧な会話より、大量に広がる「バズ」が力を持ちすぎた。

あいちトリエンナーレ2019では、「表現の不自由展・その後」をめぐってSNSや電話などで抗議や意見が相次ぎ、中止に追い込まれた。文化庁による補助金のとりやめも、その後のウィーンの芸術展の大使館公認取消も、まるでリツイートのように、「空気」を忖度して、決まっていく。

自分の意見を伝えること、誰かと何かを語り合うこと。いま、この全てがうまくいかなくなっている。「伝える」が「バズる」に負けているのではないか。ハフポスト日本版はこの問題に取り組む。

#表現のこれから

ネットの良さはオープンさ、だった

ネットの良いところは、遠く離れた「現場」の様子をスマホ一つで見られることだ。「あいちトリエンナーレ」会場がある名古屋まで来られない人、現代アートを普段見ない人もスマホがあれば作品を観賞し、誰もが好きに意見を言える。とても「民主的」だ。

「あいちトリエンナーレ」の芸術監督、津田大介さんはツイッターを日本に広めたジャーナリスト。そのきっかけは2007年春、文化庁文化審議会の著作権に関する集まりだった。

出席していた津田さんが会合の様子を次々とツイッターに投稿。その後も、シンポジウムや会合の情報を公開することで、「tsudaる(つだる)」という言葉が生まれた。

専門家、官僚、政治家らが囲っていた情報を津田さんが、みんなに広め、受け取った人がさらに誰かに情報をパスする(「バズ」らせる)。社会はオープンになった。津田大介さん

バズるを手に入れることで犠牲が出た

一方、ネットによって「民主性」が高まった分、「文脈」がそぎ落とされてしまったようにも感じる。私たちは「バズる」を手に入れた分、「伝わる」を犠牲にした。

ここでは「バズる」コミュニケーションを、素早く伝達され、「エモさ」や「怒り」による過剰な共感を原動力にするもの、と定義する。意見の交換より、みんなで気持ちをスッキリさせることの方が時には重視される。

対して、「伝える」ためのコミュニケーションは、少し時間をかけて行われ、論理や表現の工夫を頼りに、相手に自分のメッセージが理解されることを重んじる。最終的に分かり合えず、相手との違いが分かってモヤモヤすることもある。

実際は両者が入り乱れているのだが、便宜上、こう分けてみる。

これまでの新聞・テレビのような「一対多」のブロードキャスト型コミュニケーションと違い、SNSによって誰もが発信者にも受信者にもなれる「多対多」のネットワーク型のコミュニケーションがあらわれた。情報を受け取った瞬間に、他の人にも広められるので拡散が早い。

新聞やテレビの社員が職業として、情報を編集して発信すること(「伝える」コミュニケーション)と違い、多くのSNSユーザーは、情報発信によって対価をもらえるわけではない。その分、文脈をおさえて伝えるより、自分の感情の表出をメリットと感じるのかもしれない(「バズる」コミュニケーション)。

もちろん「バズる」メリットもある。性暴力やハラスメント、保育園の不足を訴えるネットの声をハフポストは、サポートしてきた。マスメディアによる情報独占が失われ、バズることで埋もれていた問題が明らかになった。とても良いことだ。

一方で、そうした訴えの背景がうまく伝わらず、「不快だ」と思うバックラッシュの感情もネットで増えた。ハフポストも、日々反省をしながら発信方法に悩む。

バズるが力を持つと三つのことが起こる

あいちトリエンナーレ。

バズるによって、多くの「文脈」が失われた。たとえば少女像がモチーフとしていた「慰安婦」はその強制性や人数などをめぐって、歴史的な論争がある。私が働いていた朝日新聞も、記事をめぐって謝罪をした。各地の慰安婦像が、政治や外交で「利用」されている面もある。

とはいえ、少女像を目の前で見たときは、感動をおぼえた。像は小さく、鑑賞者がとなりに座れる。生きた少女が近くにいるようなのだ。体温や息吹が感じられるようにも思え、「慰安婦論争」を超えて、戦争によって犠牲になった女性や子供たちの悲しみが伝わる。像をつくったキム夫妻は、ハフポスト日本版の取材に対し、「平和の象徴です」と話している。

当然、Twitterでは、こうした展示の意図や見る人の複雑な心のゆらぎは「伝わら」ない。「バズる」が力を持ち、文脈が伝わる時間的余裕も、伝えるための動機もなくなるからだ。すると、以下のことが起こる:

① アートなどの問題提起型のコミュニケーションや、ひねりのある表現が通用しない。

② そのため、情報の受け手が、場合によっては、自分の価値観が攻撃されていると思い込んで、過剰に反応する。

③ 発信者と受け手が入り乱れ、コミュニケーションが大混乱して終わる。

クソリプ時代の「#表現のこれから」

こんなことがいま、至るところで起きている。

絶望的だ。

いや、果たして本当にそうだろうか?

ネット炎上に参加する人は1%程度だと言われている。また、大阪大大学院の辻大介准教授の研究などによると、ネットによって「排外主義」が強化されるものの、別の立場のメディアなどに触れることで、排外主義の反対の考え方を支持するようになる可能性もあるという。

ハフポストはリベラルで、「排外主義」に反対する立場だ。だが、リベラルと保守派に感情的な対立が起き、それを見ている「穏健派」が、荒れているネット(クソリプ等)を見て、引いてしまう、ということも課題だと感じている。

ネットメディアがまだまだやっていない宿題が多いのだ。いまは「バズる」コミュニケーションが目立つが、より「伝える」ためのコミュニケーションを作り出すことはできないか。小さな試みだが、ハフポストでは「#表現のこれから」という企画で以下の3点に取り組んでいる。

①リアルなイベントを開く。人が集まって、意見を交換するのは、「バズる」よりずっと遅いが、かえってその方が「伝わる」。今のところ次の二つを予定し、ほかに企画中のものがもう二つある。

10代が社会を考え、意見を言ったらダメですか? 春名風花さん、今井紀明さんと考えます

ロバートキャンベルさんと一緒に、200人で賛否両論のアート作品を見てみよう

②異なる立場の人に話を聞き、相手の「文脈」を理解する。「表現の不自由展」に反対していた河村たかし・名古屋市長に話を聞き、セクハラをPRに利用したDJ社長のインタビューを載せた。今後も様々な人に話を聞く。相手の論理やその背景となる文脈をまずは知り、後世の検証のためにも、記録として残す。その上で批判することも十分あり得る。「バズる」より議論のスピードが遅くなるが、その方が、会話は発展するのではないか。

③Twitter上にハッシュタグ「#表現のこれから」をつくって、様々な記事をつなげる。格闘家の記事も、テレビスターの記事も、あいちトリエンナーレの記事も、「表現に関係する記事」は一括りにする。様々な記事の多様な文脈を読者に知ってもらいたいからだ。記事はコチラから。

表現は本来楽しく、生き生きとして、新しい自分に気づかせてくれるものだ。その魅力をうまく感じられる企画にしたい。

私は「うまく伝える」ことより、素直な怒りや悲しみを表現した方が社会が変わるとも思っている。そのうえで、情報を扱うプロのメディアとして「ネットとリアルとの組み合わせ」次第でもっとできることはある、と信じたい。

色々な方からのアイデアやご意見もお待ちしています。ぜひTwitterのハッシュタグ 「 #表現のこれから」でコメントなどをお寄せください。


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