にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

2008年08月14日 | 日々のこと
紫色とピンク色がまじったような、夕焼け色のビーズを買いました。
何をつくるか、思案中です。

年齢を重ねるにつれて、服のデザインよりも、色に惹かれることが多くなりました。色は、単体として存在するものではなく、素材とあわさって初めて存在するもの。同じ色でも、素材によって下品になったり、垢抜けた感じになったりする。

そういえば、お洒落だなあと思う方は、「服を着ている」というより、「色を纏っている」という印象が残る方が多いなあと思う。

あれこれ考えて、無難なものを選んだときよりも、一目見て色に惹かれて買ったもののほうが、あとあと後悔することが少ないようにも思います。

色が素材と光との組み合わせで成り立っているものだとすれば、色に惹かれるということは、そのものにそれだけ強く惹かれているということだからかもしれません。

その日の気分にぴったりした色を纏っていると、世界と深くつながることができる気がして、なんだかこころが落ち着きます。

これから先、どんな色に出会えるのか、たのしみです。


秋の気配

2008年08月13日 | 日々のこと
暦の上では立秋をすぎたとはいえ、まだまだ暑い日が続く。

だけど、空を見上げれば、もう秋の雲だ。

スーパーにも、すこしずつ秋の果物が並び始めている。

季節の移ろいには、いつも胸がときめいて、すこしだけ切なくなる。

熟しきった果実のような夏が、すこしずつ凛とした秋に姿をかえていくこの時期は、四季の移ろいのなかでも一番好きな季節だ。

昭和の商店街

2008年08月09日 | 日々のこと
前回の記事で書いた履物やさんは、大阪の駒川商店街という商店街のなかにあります。

とても大きな商店街で、いまもなお昭和の薫りが色濃く漂い、活気に溢れていました。

二年前に大学の学部生向けの授業のお手伝いをしたときに、大学の近くの商店街をフィールドワークしたのですが、そのときもとても面白かった。

いろいろなモノや、不思議なお店を見るのもたのしいし、お店のひととちょこちょこしゃべるのもたのしい。

なかでもとりわけ興味を惹かれるのは喫茶店です。
あくまでも「Cafe」ではなく、「喫茶店」、どうかすると「カフェー」という感じのレトロなお店。

もちろん、ショーウィンドーには、「パスタ」ではなく、「スバゲッティー ナポリタン」の模造品が飾ってあります。トマトソースではなく、学校給食のような、ケッチャップたっぷりのスパゲッティー。

今度駒川商店街に行ったら、喫茶店ものぞいてみようと思います。

履物やさんの向かいの八百屋さんで買って帰った、河内産の枝豆は、味が濃くて美味しかったです。

お近くに行かれた際は、ぜひのぞいてみてください。

あたらしい鼻緒

2008年08月07日 | 日々のこと
友人のご両親がやっておられる履物やさんに、およそ5年か6年ぶりにうかがい、下駄の鼻緒をすげかえていただきました。

前の鼻緒も、甲高幅広の典型的な日本人足のわたしにも、ぜんぜん痛くなくて快適だったのですが、今回の鼻緒もまた、履いた瞬間から足にぴったりなじむ履き心地。

お店で聞いたところによると、昔のひとは、赤ちゃんが生まれたり、誰かが病気になったりすると、「健やかに成長して歩き出しますように。」「早く快くなって歩けるようになりますように。」という願いをこめて、履きものを贈っていたそうです。

たしかに、足に合わない履きものを履いていると、歩くのも何をするのも億劫で嫌になってしまうし、反対に、足を柔かく包んでくれる履きものを履いていると、羽が生えたように、気持ちまで軽くなって、どこまでも歩いていけそうな気がする。

「服より靴に気を遣え」とは、よく言われることだけれど、お洒落の観点からだけでなく、身体の側面からみても、足は大地と接する部位であり、履きものは、まさにその足と大地をつなぐ大切なもの。

今度の鼻緒とも、じっくり時間をかけて仲良くしていきたいなあと思っています。

ルール

2008年08月05日 | 日々のこと
いま、一生懸命になれることを一生懸命やること。

これは、こころに決めている自分に課したルール。

わたしは我儘な性格だから、好きだと思うこと、こころから楽しいと思えることにしか一生懸命になれないし、がんばれない。

嫌なことでもがんばらないといけないときもある。それはたしかにそうなのだけれど、それは、もっと根本的な部分で好きなことだからこそ、枝葉の部分で嫌なことがあってもがんばれるのだと思う。

あるドラマで、年配の主人公が、進路に悩む少女に対し、「好きなことをやってもどうせ苦労はするんです。それだったら、嫌いなことを我慢して苦労するより、好きなことをやって苦労するほうがいい。」と言う場面があり、深く印象に残っている。

音楽活動をやめて、研究に専念したほうがいいのかもしれないと迷い続けた時期もあったけれど、そのときにどうしてもやめたくない、続けたいと思う自分の気持ちに正直でいたから、いまのわたしがあるのだと思っている。

ちいさな、いまのかけらを積み重ねた軌跡が、願わくばしなやかなかたちをしていますように。