にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

マディソン滞在記64

2013年07月18日 | 2013 マディソン滞在記
2013年7月18日(木)晴れ




このところ、勉強と練習の合間に、石井ゆかりさんのインタビュー企画をずっと読んでいる。

石井ゆかりさんは占いをされる方だけど、この企画は占いぬきでいろいろな人の人生についてのインタビューをするという企画で、そのことにまつわる葛藤やとまどい、文章を書くということ、他者との関係を築くということについての、さまざまなヒントが散りばめられていると思う。

これは2007年の記事なのだが、この翌年、ゆかりさんは収入源だった占いの連載の仕事を減らし、3ヶ月の充電期間をとり、占いではない本を出版されている。


ゆかりさんのインタビューの「前置き・その1」には次のような文章がある。


「自分で自分のやっていることを考えると

要するに、私は星占いという眼鏡をかけて人やものをみているのだ。

自分の、人間としての目では、人を見ていないのだ。

無意識に、この世界を星占いという鋳型にはめようとしているのだ。

生身の人間を、乾いたあの2次元の世界に押し込めようとしているのだ。

そうじゃないか?

と自問して、奈落に落ちるような恐怖を感じた。

その人がせっかく目の前にいるのに、

その人を自分の目や心ではなく、ホロスコープで捉えようとしている。

私は「その人」ではなく、ホロスコープを見てしまっている。

そう思った後、

悲しみのような、焦りのような、妙な気持ちが私の中に常駐するようになった。


私には何の権威もないし、知識も技術も知恵もない。

人間的な厚みもゆたかな社会経験もない。

でも、出会ったその人と同じ「人間」だ。

「人間」と「人間」が出会うというただそれだけのことだけが、

すなわち、世の中を作り出す根本的な現象ではないか。

これを生身でやらないで、どうして「会う」意味があるだろう。」

石井NP日記 前置き・その1


このことは、占いに限らず、「学問」と呼ばれる営みにも重なる部分があると思う。

ある集団を類型化したり、一般化したりする。
ある心の動きを定式化したり、理由を説明したりする。

そのことによって明らかになることや、知的好奇心が満たされる喜びはたしかにあるし(苦しみももちろんあると思うが)、その枠組みによってしか見えないもの、救われる人もきっとたくさんいると思うのだけれど、ある枠組みを通してしか人を見られなくなるのは、すこし怖い。

世界をみる、ある眼鏡が「普遍」だと思い込むことが怖い。

自分が手に入れた枠組み=眼鏡を持っていないひとを、何かが欠如した存在のように見てしまうこと、自分の方が「よく見えているんだ」と思い込んでしまうことが怖い。

「客観的」という言葉は、「主観的」と対置され、とりわけ学問の世界ではいまでもとても強い力を持っているけれど、ほんとうに怖いのは主観的になってしまうことではなくて、「客観」も主観の一種にすぎないということを忘れてしまうことだと個人的には思っている。

わたしは、「客観的」になれずに苦しんでいるひとの文章が好きだ。

ゆかりさんがしばしば日記に書いている、文章を書かずにいられない気持ちは、わたしにはよくわかる気がする。

「書くことがほんとうに好きなんですね」とか、「毎日文章を書いてすごいね」とたまに言われるけれど、好きだというよりも、なにかしら言葉にして、誰かからの反応を受けていないと、苦しくなってくるのだ。

体内にとどめておける情報量の器が小さいのかもしれない。
小さい頃からそうだったように思う。

いろいろな感情や想いを、そっと自分のなかに秘めておけるひとに憧れるけれど、どうもわたしには無理なようだ。

ちょっとしたコメントを書くだけなのに、気がつくとものすごい長さになってしまい、結局全部削除してしまうこともよくある(いま書いているこの文章もこうして長くなっている。)

言葉はいろいろな誤解を生む。

そんなつもりで言ったのではないのに、ふとした一言でものすごく誰かを傷つけたり、誰かの何気ない言葉に傷ついたりする。
言葉の持っている、そんな扱いにくさが怖くて、修正のきかない面と向かっての対話は怖かった。

ある程度のまとまった時間、話すことを組み立てたり、書き直したりできる文章というツールは、わたしにとっては一番馴染んでくれるものだったのかもしれない。

もちろん文章だって誤解は生むわけだけれど、ひとりで書いている時間は、言葉はまだ誰との誤解にもさらされていない。

誰かに差し出す前に、書く自分と、言葉と、言葉を読む自分の3人で対話ができる。


少し前に、旧くからの研究仲間が急逝した。

わたしが大阪大学の博士後期課程に編入した同じ年に、研究生として入学され、その後博士後期課程に進学された。
誠実で謙虚なお人柄で、わたしの研究のこともいつも応援してくださっていた。

発表してもあまり理解が得られず、落ち込んでいると、「日高さんの研究は、きっと研究の世界に新しい土壌を拓いていくと思います。がんばってください。」といつも励ましてくださり、参考文献を紹介してくださった。

すこしまえに大きな病気を患われたことはうかがっていた。
けれどもその後も精力的に研究活動をなさっていて、昨年の夏にもライブに来てくださったり、インターネット上でもお元気でおられる様子を拝見したりしていたので、訃報を聞いたときも、悲しいというよりも、まるで実感がわかなかった。

いまもまだ、実感がない。

いまこの文章を書いていて、その方のことが蘇ったのは、ふとしたことからその方も占いがお好きであることが判明し、そのお話でもりあがったことを思い出したからだ。

その方はもうこの世にはおられないが、書かれた文章は、活字としてこの世に遺っていて、これからもさまざまな人に読まれ、引用されていくのだろう。

彼の思考や感情や息遣いや苦闘は、そのなかで、ずっと生き続け、さまざまなひとたちとつながっているとも言える。

なぜ自分が文章を書きたいのかも、そう考えるとなんとなくわかるような気がする。